極限のリーダーシップ

集落再生 山本 浩史氏

いくら言葉を尽くしてもきっとわからない
人は体験してこそ変わる

2019年04月10日

Photo=酒井大

新潟県十日町市の山間部にある池谷集落。夏になると美しい棚田の風景が広がる、実り豊かな集落だ。60年前、池谷は37世帯200人以上が住む賑やかな集落だったが、時代の変化とともに過疎化が進んでいった。櫛の歯が欠けるように人が減り、2004年にはその存続が危ぶまれる限界集落(*)と呼ばれるまでになった。そこに追い討ちをかけたのが、同年10月の新潟県中越地震である。池谷は道や棚田が崩れる大被害を受けた。震災の影響で2世帯が集落での生活をあきらめ市街地に移り、残った住民はたったの6世帯13人。池谷の未来は絶たれつつあった。「当時は、もう集落をたたんで平場に下りようか、とみんながあきらめムードだった」とNPO法人地域おこし代表理事、山本浩史氏は振り返る。

体験して初めて理解できる

山本氏は、この池谷集落を廃村の危機から救うために尽力した人物だ。池谷集落と交流が盛んだった、隣の入山地区の出身である。夏の盆踊りなどの行事では両集落から人が集まり楽しんだ。「春には山菜、夏はイワナシ、秋になればアケビを採りに山に入ったものです」と、目を細める。
しかし、1989年に入山集落は廃村となる。山本氏は、街なかに居を移してからも兼業農家として入山の田畑に通ったが、廃村のときの喪失感を忘れることはできなかった。池谷集落存続の危機を目のあたりにし、「池谷を再生させたい」と強く思ったのだ。「本当は、池谷の人たちも村での生活を続けたいと思っていたはずです。でも、相次ぐ住民の離村と震災のダメージで、それを口にすらできないほど、誰もが疲れ果てていた。そんな状態で実際には池谷に住んでもいない私が『再生しよう』と言っても意味がない。やはり、集落は集落の人々のものです。まずは彼らの何をやっても無駄だ、という“あきらめ”感を払拭していく必要があったのです」(山本氏)
池谷集落の再生にさきがけて山本氏が行ったのは、集落の人にさまざまな“体験”をさせることだった。
これには山本氏自身の原体験が影響している。震災前、山本氏は農村風景を描きたいという東京の画家に、入山に残してある小屋を提供していた。その画家は、農村では当たり前の生活や風景をことのほか喜んだ。また、山本氏は画家を通じて外国人とも知り合った。その交流がきっかけで、外国人の農業技能実習生を受け入れることになり、それは日本の農業の技術を世界に伝えることにもつながった。「農村には重要な役割がある。活路は外の世界との交流にある。私が本気でそう思えたのは、体験したからです。いくら言葉を尽くしてもきっとわからない。池谷集落の人も体験してこそ変わるんだ、と思いました」(山本氏)

やっと出たひと言

Photo=特定非営利活動法人地域おこし提供

山本氏の試みが始まった。時には自らマイクロバスを運転し、集落の人々を外に連れ出した。たとえば、長岡市で開催された震災復興の会議。最初は山本氏が誘っても、誰も手を挙げなかったが、「温泉があるなら行ってもいい」と数人の女性が参加した。ところが、そこで池谷集落よりも被害が大きかったほかの地域の人が、避難生活を続けながらも復興に向けて努力している事例を見聞きし、「自分たちよりもずっとつらいはずの人たちがあきらめずに頑張っている。すごく励まされた。次は父ちゃんの首に縄を付けてでも連れて来よう」と話してくれたという。実際に次の会議には、夫婦で参加する人も出てきた。
また、ボランティアや行政の人たちを集落の外から積極的に呼び込んだ。彼らを巻き込んで行ったことの1つがワークショップだ。池谷集落の魅力や名産、集落の将来について、何度も対話を重ねた。
「当初は、こうした外からの人々に集落の人は懐疑的でした。1、2回来たら飽きちゃうだろうと。しかし、何度も足を運んで、真剣に集落の未来を考えてくれる彼らへの信頼感は、次第に高まっていきました」(山本氏)
このワークショップで、現在の池谷を支える米の直販事業の構想も生まれた。集落の人々が未来を見始めたのだ。そして、活動を始めて2年、山本氏は待ちに待った言葉を聞いた。「本当は、集落をなくしたくない」
1人が呟いたその言葉に、すべての人が頷いた。
「ああ、やっとこの言葉が出た、と思いました。うれしかったですね」と、山本氏。まさに、再生に向けてスタート地点に立った瞬間だった。
その後、池谷集落では、移住者の受け入れなどの活動が本格的に始まった。現在の人口は11世帯23人、子どもはゼロから6人に増えた。山本氏は、後継者とともに、今も再生への活動を続けている。

 

(*)限界集落:過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭などを含む社会的共同生活や集落の維持が困難になりつつある集落を指す。

Text=木原昌子(ハイキックス)

山本浩史氏

Yamamoto Hiroshi NPO法人 地域おこし代表理事。新潟県十日町市の池谷・入山集落出身。十日町市の生コンクリート会社に勤めながら、父親から受け継いだ農地で米づくりを続ける。新潟県中越地震をきっかけに、限界集落といわれた池谷集落の復興と存続に尽力。その手法は過疎地再生のモデルとして全国から注目されている。