人事が知っておくべき人体の秘密

プロの直観はなぜ優れているのか?

2015年10月10日

今さら言うまでもなく、経営者には質が高くスピーディな意思決定が求められる。そういう能力を持つ経営者をどのように育てればいいのか。そのヒントになるのが、理化学研究所・田中啓治氏の脳科学の研究だ。プロはアマチュアが持ち得ない直観が働く。このメカニズムの解明に脳科学の側面から取り組んだ。
被験者は、プロとアマの棋士たちである。「将棋には小学生から愛好者がいる。アマの有段者が多くいるし、そこで特に秀でた人が奨励会に入り、切磋琢磨し、プロになる。同じ競技でもプロとしてやっていける力のある人とそうでない人の比較がしやすいのです」と、田中氏は話す。
実験では、将棋の局面を1秒間見せて、4つの選択肢から正しい手を選ばせ、そのときの脳活動をMRIで測定する。「将棋は数手、数十手先まで読むというが、1秒間で意識的に道筋立てて考えるのは、さすがに無理。つまり、プロ棋士は直観で指しているのですが、その直観が働くときの脳の活動を見るために、極限まで時間を縮めました」

アマチュアの脳の活動状態とは

人間はものを考えるとき、大脳皮質の一部である、前頭連合野という部分を中心に使う(上図緑の部分)。
前頭連合野は、霊長類で特に発達した。アマが指し手を決めるとき、この前頭連合野が活発に活動しているのがわかったという。いかにも人間らしい部分を使って意志決定している。なるほど、と思う。

プロの脳の活動状態とは

しかし、プロは違う。アマと同様、前頭連合野の活動も活発だが、同時に脳の奥のほうにある、大脳基底核と呼ばれる進化的に古い構造の脳が活動を始める(上図赤の部分)。ここは、ネズミなどで既に研究され、習慣的な行動を司るといわれてきた。「習慣的な行動とは、同じ状況ではまったく同じ反応を示すということ。将棋の指し手の場合、同じ局面はほとんどない。複雑な状況から解を類推する場面でも大脳基底核を使うというのは、画期的な発見だった」という。つまり、プロ棋士の直観とは、習慣と同様に長い訓練や鍛練によって、論理的思考を超えて無意識下で答えに到達する働きである可能性が高いということだ。
「面白いのが、解答までの反応時間が短いときほど正答率が高いこと。長い訓練、鍛練によって、情報処理の一部が大脳基底核に移管されると考えられます。アマチュアであれば前頭連合野を使って考えているところを、大脳基底核で瞬間的に解を導き出しているために、プロは前頭連合野に余力が生まれているのでしょう」。その余力は、より創造的なことに使われるのではないかと、田中氏は結論付ける。
では、その機構をつくるのにかかる訓練の時間は?「約10年」と田中氏。1日3、4時間の真剣な訓練を10年間。人事が親しむ「熟練には1万時間」という心理学の知見とも合致する。
さて、冒頭の問いに戻ろう。経営者はいわば意思決定のプロである。彼らの意思決定が直観で行われるレベルに到達するには、約10年の意思決定経験が必要ということになる。しかし多くの企業で、重要な意思決定権限を与えるのは40代半ば以降である。45歳でそのようなポジションに就いたとしたら、前頭連合野と大脳基底核を結ぶ機構が出来上がり、経営者として脂が乗るのは55歳。それでは遅いのではないか、というのが、脳科学が突きつける命題である。

Text=入倉由里子 Photo=刑部友康 Illustration=寺島智教

田中啓治氏

理化学研究所脳科学総合研究センター認知機能表現研究チーム・チームリーダー。

Tanaka Keiji 認識、意思決定などの高次脳機能の脳内メカニズムに関する研究を中心に行い、この分野の権威として知られる。