人事が知っておくべき人体の秘密

なぜ、オフィスに人を詰め込んではいけないのか

2016年08月10日

人には、「パーソナルスペースが必要」と、非言語コミュニケーションを研究する東京未来大学・磯友輝子氏は話す。パーソナルスペースとは、個室や自分の席のことではない。浸食されると不快に感じる、目に見えない境界線で仕切られた、人が自分の身体の周りにまとう空間を指す。

人にもある"なわばり"意識

「パーソナルスペースとは、いわば携帯式の"なわばり"。必要な理由は4つです。自分の周辺をある程度空けて、自分の存在感を示すため。プライバシーを守るため。相手との親密さを調整するため。そして、不意の攻撃に備えるためです」(磯氏)。基本的には、今の時代、人間社会では不意の攻撃などあまりない。「それでも攻撃に備えてパーソナルスペースが必要というのは、人間の動物としての本能なのでしょう」(磯氏)。パーソナルスペースに他者が入ってくると、まばたきの数が増えたり、心拍数が上がったりするなど、身体的な影響もあるというのだ。
「米国の文化人類学者、エドワード・T・ホールによれば、対人距離は、相手との関係性によって変わる」(磯氏)という(図参照)。家族、恋人という非常に近しい関係なら45センチ(親密距離)、友人、知人で45〜120センチ(個人距離)、そして、仕事の関係においては120〜360センチといわれる(社会距離)。「興味深いことに、体格や発達による個人差はあっても、文化による違いはあまりありません。授業で学生に対して測定すると、例年同じようなパーソナルスペースの値になります」(磯氏)

仕事では近すぎも会話を毀損する

逆に、仕事の関係者であっても、友人や家族のように近くにいることになれば、いいコミュニケーションが取れるのだろうか。磯氏は「そうとも言い切れない」と言う。「コミュニケーションの善し悪しは、目的次第で決まります。家族や恋人に許容される至近距離は、いわば"話さなくてもいい関係"にあってこそ。対話によってアイデアを出し合ったり、問題解決をともにしていく職場においては、やはり話すことが重要ですから、むしろ一定の距離が必要です」(磯氏)
近しい関係にない人が至近距離にいると、人は不快感を覚える。満員電車や混雑したエレベーターにいる自分を思い出せば納得できる。「そのとき、何をしていますか。電車であれば読書をしたり、スマホを見たり。エレベーターではドア上の階数表示を眺めていたりしないでしょうか。米国の社会学者、アーヴィング・ゴッフマンによれば、これは近くにいる相手に対して特別の好奇心や関心を持たないことを示す態度であり、"儀礼的無関心"と呼ばれるものです。人はこのような態度で、お互いのパーソナルスペースを守ろうとしているのでしょう」(磯氏)
あまり関係性が出来上がっていない状態で、狭いオフィスに詰め込まれれば、そこでも儀礼的無関心が起こり、知らず知らずのうちにコミュニケーション量が減ってしまう可能性もある。

生まれつき持つ表情を見分ける能力

儀礼的無関心が起こる距離では、相手の顔をしっかり見ることも難しい。「すると、相手の表情が見られないという問題があるのです」(磯氏)。サルにも表情がある。無用な争いを避けるため、怒りの表情を持っている。「人間はより顔の筋肉を発達させ、喜び、悲しみ、驚きや恐怖なども表現できるようになりました。これらは生まれつき誰もが持っている表情であり、円滑なコミュニケーションに活用されてきたのです」(磯氏)。私たちは、「今、話しかけていいのか」「機嫌はいいのか」など、表情を手がかりに、相手の感情を微妙に見分けながら会話している。その能力を使わずにコミュニケーションを取るのは、リスクが大きい。
フリーアドレス化によって人数分の席がなくなり、狭い場所で仕事をせざるを得ない。会議室がいつも予約でいっぱいで、人数に対して適切な大きさの会議室が取れない。あるいは、コスト削減でデスクがどんどん狭くなっている。このような会社は要注意だ。在宅勤務やメールでのやり取りが増えて、社員同士の距離が離れてしまうことを心配しがちだが、ギュウギュウに詰め込まれたオフィスでも、いいコラボレーションは生まれにくいのだ。

Text=入倉由理子 Photo=刑部友康 Illustration=寺嶋智教

磯友輝子氏

東京未来大学モチベーション行動科学部准教授。

Iso Yukiko 大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。同大学院助手、東京未来大学こども心理学部講師、准教授を経て現職。専門は、対人社会心理学。