人事は映画が教えてくれる
『英国王のスピーチ』に学ぶプロフェッショナルのあり方
理論と経験、誇りと情熱。ライオネル・ローグが体現するプロフェッショナリズム
【あらすじ】
現在の英国女王エリザベス2世の父であるジョージ6世に関する実話に基づく。ジョージ6世(コリン・ファース)は、幼い頃から吃音に悩んでいた。王子として大英帝国博覧会閉幕のスピーチに臨んだ際も大観衆を前にして思うように言葉が出ず、失敗に終わってしまう。妻エリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)は言語聴覚の専門家ライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)に夫の診療を依頼。ライオネルによる風変わりな治療がスタートする。
『英国王のスピーチ』は、第二次世界大戦前の1936年に英国王となり、1952年まで在位したジョージ6世(コリン・ファース)が、スピーチ矯正の専門家ライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)のサポートを受け、長年のコンプレックスであった吃音を克服する映画です。
一般的には、この映画はジョージ6世が努力によって致命的とも思えた弱点を克服した成長譚、あるいはジョージ6世とライオネルとの身分差を超えた友情物語としてとらえられることが多いようです。
成長譚や友情物語であることを否定はしませんが、この映画を通して最も心を動かされ、学びを得たのは、全編を通してライオネルが体現し続けた「プロフェッショナルのあり方」です。私も1人のプロフェッショナルとして、「自分はあそこまでプロに徹することができるだろうか」と突きつけられたように感じました。
ここで、プロフェッショナルの条件を整理しておきましょう。一般的には「その専門性によってお金を稼げること」を第一に挙げる人が多いですが、私はこの考え方は違うと考えます。お金は結果にすぎません。本当のプロフェッショナルの条件はその前にあるものです。
最も大切なのは、理論と経験に基づいた「仕事の方程式」をもっていることです。専門分野に関して自分なりの持論を構築できているか、それに裏打ちされた経験を重ねているか、それを自分の流儀・型に昇華できているかどうかということです。
次に、自分の仕事に「誇り」をもっていること。ここが難しいところなのですが、この「誇り」はともすると「驕り」になりやすい。驕りで現状に安住するのではなく、常に誇りをもって仕事の方程式を進化させ、環境が変化しても、付加価値を提供し続けられること。これが第二の条件として挙げられるでしょう。
そして最後に、これらすべてに対して「情熱」をもっていること。
ライオネルはこれらの条件をすべて満たしていました。
彼は、戦争神経症でしゃべることができなくなった兵士を何人も治した経験から、当時まだ社会的には確立されていなかった吃音矯正に関して、「心の治療こそ大切だ」という境地に至り、独自の理論や療法を身につけてきました。そして、たびたび癇癪を起こし、くじけそうになるジョージ6世に対し、プロとしての誇りと情熱をもって寄り添い続けたのです。ですから、身分の違いに臆することもありません。プライバシーにまで踏み込んだ対話を重ねるなかでジョージ6世の過去を探り、吃音の原因が幼少期のトラウマにあることを突き止めると、「5 歳の頃の恐れなど忘れていい。あなたはもう自分の道を生きている」と、その心を解きほぐしていきました。
ただし、いかにプロフェッショナルの条件を備えていたとしても、仕事で成果が出るまでは、相手からの信頼を得るのは容易ではありません。
これから仕事をする相手に自分を信頼してもらうには実績を示すのがいちばんです。しかし、実績を形で示すことは難しいものです。そこで多くの人は、学位や資格、組織内でのポジションなどによる権威付けを利用します。しかし、ライオネルにはそのいずれもありませんでした。
その代わり、彼にはプロフェッショナルの条件に裏打ちされた揺るぎない自信がありました。彼のクライアントに対する態度にもそれが表れています。ジョージ6世の妻エリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)が、訪問診療を依頼したときも、「私のやり方に従ってもらわないと。診療はここ(ライオネルの診療所)で行います」ときっぱりと言い切ります。診療の相手がヨーク公(王子)だと知っても、その態度は変わりません。
そのライオネルの姿は、プロとして生きる私たちを勇気づけます。「もっと自信をもて。自分を信じられないプロを他人が信じるはずはないだろう」。私はこの映画を観ながら、ライオネルから直接そう叱咤されているように感じたのです。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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