人事は映画が教えてくれる
『WOOD JOB!』に学ぶ若者が成長するメカニズム
ゲマインシャフトがもたらす心理的安全性や仲間意識が人を育てる
【あらすじ】大学受験に失敗した勇気(染谷将太)は、街で偶然目にしたチラシの美女(長澤まさみ)に惹かれ、林業の人材募集に応募する。たどり着いた三重県神去村は携帯電話も通じない山の奥地だった。集合研修を経て現場研修先として配属されたのはヨキ(伊藤英明)が働く中村林業。苛酷な現場作業や慣れない村での暮らしに、都会っ子の勇気の気持ちはさっそく折れるが、逃げ出すチャンスを失しているうちに、山の仕事に徐々に魅力を感じ始める。
『WOOD JOB! ~神去なあなあ日常~』は都会の若者が、ふとしたことから林業の世界に飛び込み、山深い村でさまざまな経験を重ねながら杣人(そまびと、林業従事者)として成長していく姿を描いた映画です。
映画論的な視点で見ると、若者や田舎の人の描かれ方がカリカチュアライズされすぎていて、その軽さに脱力してしまう面もあるのですが、「若者の成長」という視点からは、私たちがあらためて参考にしたい要素をいくつも見出すことができます。
大学に落ち、彼女にも振られて投げやりになっていた主人公の勇気(染谷将太)は、たまたま目にした林業の人材募集のチラシを見て、ごく軽い気持ちで応募します。
林業の仕事は危険と隣り合わせです。集合研修でチェーンソーの使い方の指導を担当した杣人のヨキ(伊藤英明)はダラダラした態度で話を聞く勇気の髪の毛を鷲掴みにして、「山なめとったら命落とすぞ!」と一喝します。それくらい厳しい世界なのです。それに対して勇気はうっかり鉈なたで手を切ってしまっただけでその場にへたり込んでしまうような軟弱者。そんな勇気がなぜ、逃げ出すことなく成長できたのでしょうか。
その要因はいくつか挙げることができるのですが、1つにはヨキというロールモデルが存在したことが大きいでしょう。勇気が働くことになった中村林業の先輩、ヨキは粗暴で女性にだらしなく、お世辞にも人格的に優れているとは言えません。しかし、山の仕事に関しては一流です。ヨキが105年ものの杉の大木を切り倒す姿を見て、それまで大してやる気のなかった勇気の表情が変わるシーンは印象的です。若者をモチベートするのは理屈ではありません。先輩のかっこいい姿なのです。
また、組織論的に注目したいのは、舞台となる神去(かむさり)村が、生活の場としての役割と仕事の場としての役割が渾然一体となったコミュニティであるということです。
ドイツの社会学者であるテンニースは、地縁・血縁・友情などで結びついた共同体を「ゲマインシャフト」、利益や機能の追求を目的とした組織を「ゲゼルシャフト」と定義しました。これに対して一般的な経営学は、組織のゲゼルシャフトとしての側面に注目し、発展してきました。その結果、現在の多くの組織でも機能面ばかりが重視されています。
しかし、本来ゲマインシャフト的な側面をもたない組織など存在しません。ゲマインシャフト的な側面を軽視した組織は生産性も上がらず、人も育たないということは、今や理論的にも明らかにされています。
勇気は村での生活になじんでいくのと並行して、職人としても成長していきます。物語の中盤、勇気が自分の食べていたおにぎりの半分をそっと道祖神にお供えするシーンがあります。その後、冬の山で枝打ちをする勇気の姿は最初の頃と比べると随分と様になっていました。山の神と生きる村人のマインドに近づいていくことと、仕事の上達が不可分なものとしてこの映画では描かれています。勇気は村での生活でゲマインシャフト的な仲間意識を育んだからこそ、ゲゼルシャフトの一員としても成長することができたのです。
そしてもう1つ、新人育成という点で取り上げたいのが、現場に出る前に行われる研修の意義です。林業では仕事の「標準となる型」がしっかりと形成されており、新人は必ずこれを学びます。新人でも危険を回避できるよう、チェーンソーの使い方やロープの結び方などの基本を、現場に出る前の研修で徹底的に叩き込まれます。ここで最低限の型を身につけていたからこそ、勇気は苦労しながらも苛酷な仕事に対応することができたのです。
この映画で描かれている「若者が成長できる条件」は、決して林業だからこそ成立するものではありません。そのしくみを学び、工夫をすれば一般の企業でも採り入れることは十分に可能なはずです。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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