人事は映画が教えてくれる
『何者』に学ぶ若者を迷走させない大人のあり方
若者が自分を偽り本音を語らないのは私たち大人の責任である
【あらすじ】元演劇青年である主人公の二宮拓人(佐藤健)をはじめとする5人の大学生が就職活動に取り組む姿を描いた物語。拓人のルームメイトで天真爛漫な元バンドマン神谷光太郎(菅田将暉)、光太郎に片思いする控えめな性格の田名部瑞月(有村架純)、瑞月の友人である小早川理香
(二階堂ふみ)と拓人は、理香の部屋に集まり、就活の相談や報告、アドバイスをし合う関係になる。そこに理香の同棲相手で就活をシニカルに語り、否定する宮本隆良(岡田将生)も加わり、複雑な人間模様が展開され始める。
『何者』は大学生たちの就職活動をテーマとした映画です。
「就活対策本部」を結成した就活仲間が、表面的には協力し合いながらも、本音を隠し、自分を演じ、内心ではお互いへの軽蔑や嫉妬をふくらませていく。この作品が描き出すのは、そんな彼らの心の闇です。
象徴的な登場人物を紹介しておきましょう。
主人公の二宮拓人(佐藤健)は、人や物事を分析する能力に長けています(実際には底が浅いのですが)。そのため、就活仲間に頼りにされますが、裏では仲間たちの欠点を冷静に分析し、嘲笑しています。
留学経験のある小早川理香(二階堂ふみ)は、名刺まで作って自己アピールに努める就活優等生的キャラクター。しかし、前向きに就活を語る彼女の言葉は終始上滑りしています。
拓人も理香も、内定が決まった友人に表向きは「おめでとう」と言いながら、陰では友人の内定先の悪い評判を検索しているような人間です。
多くの大人は、この若者たちに嫌悪感を覚えることでしょう。
しかし、大人たちに、「これだから今の若者は......」で終わらせることは許されません。なぜなら、彼らをこんなふうにしてしまったのは私たち大人だからです。何も企業の採用担当者のことだけを言っているわけではありません。この社会を構成するすべての大人が、若者たちに大人というものを間違って認識させるような言動や態度を積み重ねてきてしまったのです。
この問題も、前回取り上げた組織市民行動(OCB)の視点から論じることができます。OCBが定義する市民とは、自分だけではなく全体に目を向け、目先にとらわれず未来のことを考え、自律的に意思決定ができ、利他の精神を持って相互に支援し合う「大人」のことです。
一方、日本の大人はどうでしょうか。本音を隠して表面的な和を取り繕い、ずる賢いことがむしろ評価される、そんな姿を若者に示してこなかったでしょうか。だから、若者は「大人とはそういうものだ」と認識し、そこに過剰適応しようとします。
彼らがそうするのは「怖いから」です。「ありのままの自分が大人の社会で受け入れられるわけがない」という恐怖心から、間違った大人像を必死で演じるのです。
大人に過剰適応しようと努力を続ける理香は、結局内定を得ることができません。採用試験のグループディスカッションで偶然、理香と一緒になった拓人は、「今日も彼女は相変わらずだ。彼女の内面から出てきた言葉はひとつもない」とツイッターで冷たくつぶやきます。これが採用側の評価でもあるのでしょう。
しかし、留学や課外活動の経験を踏まえて生真面目に自分の意見を論じる理香の姿は、まさに大人が表向き若者に求めているもののはずです。
彼女をそうさせている大人が、拓人と同じように嘲笑混じりで彼女を拒んでいるのだとしたら、あまりにもアンフェアです。物語の終盤、どうしたらいいのかわからなくなり、泣き崩れる理香の姿に、私は大人の一人として罪の意識を感じざるを得ませんでした。
そこで、ふと私の頭に浮かんだのが『舟を編む』という映画です。主人公は、特異な言語感覚を活かし、辞書の編纂という普通の人なら気が遠くなる仕事に打ち込む若い編集者。
こちらの映画には、対等な立場で対話を重ねながら、主人公の埋もれていた才能を発掘する上司をはじめ、人とのコミュニケーションが苦手な主人公を支える温かい大人が何人も登場します。周囲の大人たちのフェアな態度や行動が若者を変え、能力を伸ばし、成長させていくのです。
この感動的な世界も、日本の組織の1つの姿として実際に存在してきたと私は思います。『何者』が突きつける問題は極めて深刻ですが、私たちはフェアな「大人」にもなれるのです。その可能性を『舟を編む』は示してくれています。
Text=伊藤敬太郎 Photo=平山諭 Illustration=信濃八太郎
野田 稔
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授
Noda Minoru リクルートワークス研究所特任研究顧問。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。
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