賃上げはパート・アルバイトの定着に効果があるのか

2024年07月03日

本コラムでは、賃上げによるパート・アルバイトの定着への効果を検証していく。研究を進めるなかで企業からは、「離職には人間関係などの職場環境やそのほかの労働条件のほうが重要であり、賃上げはあまり効果を及ぼさないのではないか」との声が聞かれた。確かに、定着には入社後の賃金以外のさまざまな要因が関係すると考えられる。そこで、企業の人事データをもとにした定量的な分析を行い、賃上げが定着に及ぼす効果を検証していこう。

対象企業の離職率は月平均2.5%

はじめに、対象企業における定着の状況を確認しよう。図表1には、対象企業3社におけるパート・アルバイトの月間の離職率を示した。年齢層は15~19歳が最も多く、次いで20~24歳が多い。この2つの年齢階級で6割以上を占める。

図表1  対象企業におけるパート・アルバイトの月間離職率

図表1  対象企業におけるパート・アルバイトの月間離職率注:構成割合の値は、四捨五入のため合計で100%にならない。

離職率をみると若年層で高く、年齢層が高くなるにつれて低くなる傾向がみえる。若年層の多くは学生であり、在学する学校の卒業とともに離職することが多いため離職率が高くなる。他方で、年齢が高い層の離職率は低く、長期勤続のパート・アルバイトの形成につながっている(※1) 。

定着においては、賃上げの効果は限定的

図表2は、離職率に対する賃上げ効果の分析結果である(※2) 。賃上げ1%あたりの離職率への効果の大きさを棒グラフにした。0.023という数値が推定されたが、この数値は統計的には意味をなさない(統計的に有意ではない場合、棒グラフの色をグレーとした)。つまり、対象となった企業の平均的な効果としては、賃上げは離職を抑制する効果をもつとはいえない。ヒアリングにおいて聞かれた、パート・アルバイトの定着では賃上げがあまり効果を及ぼさないのではないかという現場の声を支持するものともいえる。

図表2  離職率に対する賃上げ効果

図表2  離職率に対する賃上げ効果注:*は統計的に有意なことを示す。*5%水準 **1%水準

採用と定着で賃上げの効果が異なる理由

前回コラム「賃金は採用に効果あり ——応募者数と入社者数の賃金弾力性」では、賃上げすることで応募者数や入社者数が増加することを指摘した。採用においては、賃上げは効果をもつ。しかし、本コラムでの分析からは、定着に関しては採用ほど明確な効果はみられなかった。なぜ採用と定着で賃上げの効果が異なったのだろうか。

1つは、賃金を評価するのが、企業の内側にいる人か外側にいる人かによって異なる点があげられる。仕事を探している人は、企業の外から求人情報をみる。このとき、募集賃金は最も注目される労働条件の1つであり、実際の職場環境や働き方についてはわからないことが多い。そして、応募先の選定にあたっては、賃金によって横並びの比較がしやすい。このように、応募から入社の段階では、賃金が明快で重要な情報となる。

他方、定着には採用後のさまざまな要因が関わってくる。例えば、図表2の対象企業3社のうち売上高のデータが得られたA社とB社について、店舗に在籍する従業員1人の1時間(マン・アワー)あたりの店舗売上高の高低で店舗を2群に分けたうえでの分析も掲載した。A社ではマン・アワーあたりの売上高が高い店舗(タイプY)において賃金上昇が離職率を抑える効果がみられ、その効果の大きさは-0.147であった。B社ではマン・アワーあたりの売上高が低い店舗(タイプX)において効果がみられ、その効果の大きさは-0.082であった。

ここでは、店舗ごとの特性を客観的に示す指標としてマン・アワーあたりの売上高を使用した。たとえば、B社においては店舗売上高に見合った人員(シフト)を充足できるようモニタリングしている。その意味では、マン・アワーあたりの売上高を「業務負荷」とみなせるかもしれない。とすれば、賃上げが離職率を抑制するには「業務負荷」が関連するようにもみえる。ただ、A社とB社では賃上げの効果がある店舗のタイプが異なっており、その理由については今回の分析では明らかにしきれなかった。

本稿では、マン・アワーあたりの売上高の高低で店舗を2群に分け、賃上げと離職率との関係をみてきた。ただ、労働者が賃金とセットで考える労働条件には、他にもさまざま要素が考えられる。例えば、柔軟な働き方ができているのか、職場環境は良好なのか、成長機会はあるのかなどがあげられる。本コラムの分析を通じて、定着においては、賃上げの効果は限定的であると考えられるが、定着に有効な賃上げの在り方やそのほかの施策との組み合わせの必要性など、今回では解明できなかった課題について、今後も引き続き検証していきたい。

(※1) 「パート・アルバイトはどのような労働者か」においては、パート・アルバイトの約2割は勤続年数が10年以上であることを指摘している。
(※2) 本分析の限界として、線形確率モデルを利用している点がある。被説明変数に確率を用いる際、本来は非線形モデルであるロジットモデルなどを採用する必要がある。しかし、月間の離職率が平均で2.5%であり、ロジットモデルを利用するには低すぎるために計算が収束しないという事象が生じた。このような経緯から、線形確率モデルを採用した。

小前 和智

東京理科大学理工学部工業化学科卒業、京都大学大学院工学研究科合成・生物科学専攻修了後、横浜市役所などを経て、2022年4月より現職。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。

関連する記事