「公正」を規定するのは社員、人事は仲介者に徹する(江夏幾多郎氏)
社員一人ひとりが自ら考え組織に貢献することを求める企業が増えるなか、組織を「公正(※)」に運営することで社員の納得感を高め、自発的に働く意欲を引き出すことの重要性も高まっている。処遇の公正性を研究する神戸大学経済経営研究所准教授の江夏幾多郎氏に、組織の公正を実現するために、人事が果たすべき役割を聞いた。
人事は構造的な問題を見極める
組織内では、企業全体の労働分配率、事業部間での資金配分、そして職場間や職場内での報酬配分など様々なレベルでリソースの分かち合いが行われている。職場での配分が公正に行われずに従業員が不満を持ち、働く意欲が損なわれてしまう背景として、各職場よりも上の単位での配分が作用することがある。
「資源や報酬の配分は、事業と事業の間だけでなくチームとチーム、個人と個人のなかでも問題となりますが、マクロ的な観点から配分されるべき資源や報酬の総枠や配分基準を決めてミクロに落とし込んでいくと、ミクロレベルでの納得感の醸成が難しくなることがあります。個々の従業員の多様な配分基準をクリアしないことがしばしば生じるからです」
資源配分や人事評価で公正が問題となる場合、もはや直接関わる当事者の努力だけでは、解決できなくなることがある。
「たとえば、一次評価者が行った評価がその後の調整で変更され、被評価者へのフィードバックに一次評価者が苦慮することがあります。こうした調整や変更の多くが、一次評価者が知りようのない報酬原資の制約によって起きます。また、どういう調整が行われるかわからないから、とりあえず甘めにつけておくという一次評価者の行動も発生しえます。一次評価者にとってどうしようもない状況、すなわち構造的問題を前に、「正確に評価しろ」と彼らに通達を出したところで、それは無意味でしょう。職場に不公正が生じた時、人事はそれが当事者間で解決可能な問題か、それとも構造的な問題かを見極め、構造の是正が必要な場合は制度やガバナンス、予算配分を変える必要があります」
しかし、企業の多くは、問題の根元にある構造的な問題から目をそむけがちだ。たとえば1990年代に脚光を浴びた成果主義も、成果に対する当事者意識や評価への納得感を高めるには、社員がやりたい仕事に取り組める環境、必要に応じて業務遂行や能力向上のための支援を仰げる環境が不可欠だった。ところが、業務のほとんどが会社主導でアサインされ続け、余裕のない職場で従業員が孤立しやすくなった結果、成果主義はうまく機能せず、導入企業は軌道修正を迫られることになった。
「企業が社員の意向を聞かずに仕事を与えながら結果だけは求めるという構造的な問題が生じたことで、社員の成果を追う意識は高まりませんでした。公正な組織の実現を妨げる構造的な問題がどのように発生しうるか、それにどう対処しうるかにまで踏み込まずに行う人事管理は、費用対効果が非常に悪くなります。構造的な問題に対処するため、施策間の連動性を意識する必要があります」
人事は「現場ドリブン」の価値創出を支援する
組織として何を公正と据えるのかや人事の方向性を決定する主体は、実際に利益を生み出すマネジャーやその部下にあたる社員、利益創出の方向性を示す経営陣や事業部門の責任者らなど、人事制度を使うステークホルダーにある。人事の基本的な役割は、ステークホルダーの意向を理解し、調整し、制度の設計や運営に反映させる「仲介者」である。
「人事の役割は、各ステークホルダーの意見を踏まえ、また、意見として表明されないステークホルダーの本音や立場も想像しながら、どの立場の人にとっても十分ではないにせよ一定程度の公正性を担保できる落とし所を探し、ある配分の基準や手続きを有する評価や報酬の制度、補完的な人事施策についての積極的な合意を作り出すことです」
一方で、「人事の多くが一人芝居を演じ、笛を吹いても社員は踊らないという状態に陥っている」とも話す。ステークホルダーの人事制度に対する当事者意識は薄く、「組織における公正」を決めることも含めて人事に丸投げしているケースが少なくないからだ。
「ステークホルダーから明確な意見が出ないため、人事は彼らの考えやニーズを捉えきれずに当たり障りのない制度を提案せざるを得ない。このため提案を受け取る側も不満を募らせるという悪循環に陥っています」
こうした事態は長い間、評価や処遇の運用を現場に任せつつ、報酬原資や従業員の配属をブラックボックスのなかで決め、一方的に現場や各社員に落とし込んできた人事の「自業自得」な面もある。こうしたなかでは従業員は自らのキャリアに、職場のリーダーは抱えるメンバーの能力開発や活用に、深くコミットしづらくなるし、深いコミットに基づく人事へのリクエストも生まれにくい。結果、従業員と人事が本音を言い合う関係が築きにくくなった。
しかし、これから社員に主体性を発揮してもらうには、経営層、事業責任者や管理職、さらには従業員一人ひとりが、粗削りでもいいから、「現場ドリブン」で組織として目指すべき働き方や価値創出の在り方、それらを可能にする人事管理の方向性について積極的に考え、発言する必要がある。
「人事の専門性は、当たり障りのない言葉ではなく、現場の価値創出プロセス、社員の熱量や喜怒哀楽と直結した言葉で、人事管理の方向性やそれに裏打ちされた評価指標やグレードを定義することです。現場のステークホルダーには、人事管理を我がこととして捉え、自分の問題意識に即して専門家集団としての人事を積極的に巻き込み、使い込んでいくことが自分たちの業績や成長につながる、という発想を持ってもらう必要があります」
現場主導での問題の定義と解決を支援するプロに
「現場ドリブン」の価値創出を支援する人事制度の実現には、まず人事が変わるべきだと、江夏氏は強調する。
「自分たちが変わらずステークホルダーにばかり『人事のイニシアチブをとってください』と求めるのは、誠実な姿勢とはいえません。『人事のイニシアチブを現場がとる』という発想が現場に生まれ、広がり、定着するところから始めなければなりません。そのためにも、まず自分たちから『皆さんが抱える問題を明確に定義するため、一緒に考えましょう』とお願いし、現場を引き込んでいくのです」
現場の「困りごと」を表面的に聴き取るだけでなく、無意識的なものを炙り出すなど、それへの理解を一緒に深めてゆく。それを起点に、解決策としての人事制度について現場と一緒に考え、現場の運用を支援する。そうすることで、人事管理に関する課題解決への当事者意識が現場で養われてゆく。
「人事の多くは、社員に満足してもらえるまでサービスを改善させる意識が弱い。社員が満足を得られるサービスには人事単独で考えていてもなかなか到達しない。現場のステークホルダーには、サービスの受益者が創出にも関わるという『プロシューマー』に近づいてもらうことが望ましい。自らが関わった人事管理への満足感が高まれば、現場の社員は人事があれこれ言わなくても職場の課題を伝えてくれるようになり、解決にも積極的に関わってくれるようになるでしょう」
現場の社員は職場を熟知していても、課題を言語化しきれず「もやもや」として抱えていることがしばしばある。人事は、こうしたもやもやを言語化する「プロ」になるべきだという。
「課題を言語化、概念化した上で、多くの職場に共通する問題は制度をつくるなどして組織としての解決を目指し、局所的な内容なら職場内で解決してもらうといった具合に、課題をさばいていくのです」
社員の課題解決をサポートすると同時に、会社のポリシーやルールを社員に落とし込むことも、人事の重要な役割だ。たとえば有給休暇1つとっても「皆さんに気持ちよく、かつ生産性高く働いてもらうためにも、組織のイメージを高めていい人材を確保するためにも、きちんと取得することが重要です」と理由を説明し、大義を伴う理屈で「なんとなくとりづらい」という雰囲気を払拭する必要がある。「有給取得率何パーセント」という数値や、模範解答的な言葉を示すだけだと、社員は会社の本気度をくみ取れず、取り組む意欲を持てなくなってしまう。
「これから求められる人事は、社員にあれこれ通達する存在でも、社員の表面的なニーズに関する御用聞きでもありません。経営や人事管理のポリシーやルールに関して、自身が制定に関わったからこそ自分事として受け止められて、効果が実感できると現場の人たちが思える状況をつくるという『良い落とし込み』をする力が求められます」
最近、注目されるようになった個人の主体性や自律性の議論も、経営・人事から現場への「丸投げ」が懸念される。従業員が具体的な行動をイメージするための手掛かりがない状況では、路頭に迷う従業員に対処するために上意下達のマネジメントが温存され、目指す方向と実態が乖離したままになってしまう。
「社員が主体性や自律性を発揮しないのは、彼らが主体性や自律性を発揮する目的を具体的に伝えきれていない経営や人事の責任です。組織として実現を目指す、そこに社員が参画してほしいものとは一体なんなのか。そこに共感する社員は、経営や人事があれこれ言わなくても、自分で動き出します。共感が得られないとしたらなぜなのか、現場目線で考えなければなりません。社員が主体性や自律性を発揮しだしたら、経営や人事が示す方向性をよりよくするため、方向性と達成手段の関係をより合理的なものにするため、声をあげるようになります」
現場起点で人にしかできない想像・創造を行う
人事に求められる最も重要な要素は、これまで述べてきたような「現場起点の思考」だと、江夏氏は指摘する。同時に現場を信頼し、人事の考えを現場にしっかりと伝えることも大事だという。
「人事が十分に情報公開をせず、あるいは十分な理解を得られる前に施策を展開するのは、現場を信頼していないからだともいえます。社員に必要な情報を提供し、それに対する社員の反応を施策の設計や運用に生かしていれば、社員から人事への信頼も高まります」
現場の社員に向き合い課題解決策を考えるマーケティング的な姿勢や、解決に必要な知識を学ぶ力、ネットワークを構築する力も求められる。
人事施策には連動性がある。施策同士が生み出すひずみやシナジーといったシステム的な挙動は、従業員個人に対するヒアリングやアンケート調査を単調に行うだけではなかなか見えてこない。だからこそ、人事が施策と施策の関係の実態やあるべき姿について意識し、それをもとに現状を診断しながら施策をメンテナンスしていくことが大切になる。
「給与管理や労務管理など作業系の仕事も大事ですが、単なる労務屋と思われないためには、社員や職場の活動のなかでどのような出来事の因果があるかを理解した上で、制度を設計・運用することが欠かせません。こうしたことを行うため、人事は、理想像を描き、理想像と現実のギャップを具体的に把握し、ギャップを埋める道筋についての仮説を持ち、その妥当性を実行のなかで検証しなければなりません。こうした想像や創造は、今のところは人間でなければできない領域なのです」
聞き手:橋本賢二(研究員)
執筆:有馬知子
(※)本稿では、「公正」について、「各人が、手にすべきものを手にできている状態」と定義する。この定義はアリストテレスに由来する極めて古典的なものであるが、そうした状態を可能にする配分原理は、「公平性(貢献の大小に応じた格差)」「平等性」「必要性(報酬へのニーズの大小に応じた格差)」など様々であるし、実際の配分は様々な原理を混合させて行われる。