第5回 「文化心理学」 唐澤真弓 氏
自分だけうまくいっても、生き生きできない日本人
【プロフィール】
唐澤真弓(からさわ・まゆみ)東京女子大学教授、専門は文化心理学・発達心理学。1985年東京女子大学文理学部心理学科を卒業、東京大学教育学部研究生、白百合女子大学文学部助手を経て、99年4月より現職。論文に、「自己:文化心理学的視座」(共著:北山忍・1995)、「幸福なエイジング−−文化比較研究からみえてくること」(2012)など。
探求領域
文化心理学は、人間の心理を進化や歴史を含めた文化背景から探求する学問
心理学は、人間の心の普遍性を探求する学問ですが、その理論の中には、どうも日本人の現実からは違和感があるものもあります。そうした事象を、進化の中で適応し、歴史の中で作り上げてきた文化を切り口に解明していくのが文化心理学です。
私は、2000年から「日本人のしあわせと健康」プロジェクトを立ち上げました。これは、アメリカのハーバード大学公衆衛生大学院で始められた、中高年の心理社会特性、メンタルヘルス、健康に関する長期大規模調査、「米国の幸福と健康」(Midlife in the United States<MIDUS>, A national longitudinal study of health and well-being)と、世界一長寿な日本人とのサンプル比較のために実施されている調査(MIDJA)。ウィスコンシン大学エイジング研究所、東京大学医学部との国際的プロジェクトで、現在も継続中です。これまでにアメリカからは4000以上、日本から1000以上の調査データが得られ、400を超える論文によりさまざまな違いが明らかになっています。
日本人とアメリカ人では、幸福のとらえ方が違う
多くの調査結果から、日本は世界でも幸福が低い国と言われますが、それはそもそも、日米あるいは東洋と西洋の幸福感の違いから生じているのです。例えば、アメリカ人の幸福感は「どれだけ自分が達成できたか、獲得できたか」によって決まりますが、この中には、日本人が感じるような、今生かされていることに感謝するような幸せや、関係性からちょっと解放されてほっとする幸せは含まれていません。アメリカ人は、元来、自分の力を誇り、人間関係も獲得していくものと考えているので、お互い独立して切り離された関係性を築くことに幸せを感じるけれど、関係性がデフォルトである日本人には、人間関係のしがらみから離れて静かになりたい幸せがあるのでしょう。
探求領域×「生き生き働く」
自分だけうまくいっても生き生きできない
「生き生き働く」のニュアンスも、日米では違ってくるでしょう。アメリカの場合は、活動レベルが高くて、「私が達成した!」と活性化している感じ。でも日本人にとっての生き生き働く姿は、もっとしなやかで穏やかな感じ。そしてアメリカ人の場合、個人の達成感が最重要ですが、日本人には、自分だけうまくいっても幸せになれないような感覚がどこかにあり、皆で一緒に成し遂げたということが、より重視されるのです。
ルーヴェン大学のメスキータ先生たちは、絵を見せて、日本人とアメリカ人に実験しました。真ん中に描かれた主人公がいて、「うれしい」「悲しい」「怒り」「ニュートラル」の表情を作り、周りの4人がその主人公と同じまたは別の表情をするという実験をしたら、アメリカ人は、主人公の表情を見て判断したのに対し、日本人は、周囲の人の表情を合わせて判断してしまうのか、「悲しい」表情の人がいれば主人公の「うれしい」度を下げる判断を取りました。日本人は、周りの人と合わせて自分の幸福感を決めるようです。ですから、自分だけがうれしく、他の人の表情に気づかない人は、周りの人から「この人何者?」となって、生き生き働きづらいはずです。
自分を理解している人はメンタルヘルスが高い
ポジティブであることが、必ずしもベストではないのも日本人の特徴です。データ分析では「私はできる!」と言う人より、「これはできなくはないんですけど」というような間接的自己肯定の人の方が、メンタルヘルスが高いという結果も出ています。二重否定で自己を肯定する人は、自分だけができるわけではないことをしっかり理解しているのでしょう。こんな特徴も、生き生き働けることと影響がありそうです。
「生き生き働く」ヒント
お互いの能力差を認め合い、信頼できる仲間がいること
あらためていうまでもなく、日本で生き生き働くためには、職場の人たちとの関係が重要になってきます。私は、日本の場合、スペシャリストの集まりといった組織よりも、お互いの能力のでこぼこ加減を認め合いながら助け合えるチームの方が、うまくいくのではないかと思います。アメリカではスペシャリストを集めてプロジェクトを作ることが多いですが、プロジェクトが終わったらぱっと次の目標にそれぞれ分かれておしまいです。でも日本では、助け合ったチームの方が、あとあと「あのとき一緒にやったよね」と集まったりし続けるようなチームの絆ができますね。
上司に必要なのは、能力より人間力
そのときの上司は、圧倒的に能力に優れ、ヒエラルキーのトップで采配を振るうリーダーよりは、ちょっと足りないところがあっても、部下をよく見ている人がいい。上司が自分のいいところも悪いところもわかってくれているというのは重要な関係性指標なんです。
そしてその上司の決定を受け入れられるかは、どのくらい上司の生き方を尊敬できるか、能力よりも重要かもしれません。この人の決断は間違っているかもしれないと思っても、この人が最終的に決めたことなら信頼してやってみようと思える。上司には、能力以上に、関係性や社会性など総合的な人間力がより強く求められている気がします。
十の自画自賛より一の他者からの「いいね!」
個人のレベルでは、他者がその人のよさを見つけてあげるということが大切なのではないかと思います。「あなた、ここ得意じゃない?」とか、「ここすごくいいじゃない?」と。アメリカ人は、言われなくても「自分はここができる」と思っているし、落ち込んだときには、自分から「自分のいいところを10個探そう」といったことをやります。でも日本人は、もともと自画自賛するのは苦手ですから、何か駄目だと思ったら自分ではなかなかうまくいかない。そこを誰かが、10個ではなく1個でいいから「あなた、ここがいいね」と言ってあげるのはすごく大事。私たちが行った調査でも、日本人は、自分の欠点に関して、厳しく自己批判しますが、長所に関しては、たとえ自己評価の方が低くても他の人が褒めてくれれば受け入れ、やや評価を上げるという傾向があります。ですから他者からの褒め言葉は、日本人にとってとても大事なのです。
アメリカ人は老化に対しても「アンチエイジング」の考え方。
でも日本人は「きれいに年を取る」「いいおばあちゃんになりたい」という言い方をします。
衰えに抗うのではなく、自分を受け入れるミニマリストな生き方。
これは、アメリカ人にはあまり理解できない幸せかもしれませんね。
――唐澤真弓
執筆/荻原美佳(ウィズ・インク)
※所属・肩書きは取材当時のものです。