第4回 「脳科学」 阿部修士 氏
『人のため』は先天的に備わった動機かもしれない
【プロフィール】
阿部修士(あべ・のぶひと)京都大学 こころの未来研究センター 准教授。専門は脳科学、心理学。主な研究テーマは、ヒトの正直さ・不正直さを生み出す脳のメカニズムについての研究。2003年 東北大学文学部人文社会学科卒業、08年 同 大学院医学系研究科 障害科学専攻 博士課程修了。12年より京都大学こころの未来研究センター。主な著書に『意思決定の心理学 脳とこころの傾向と対策』(2017)
探求領域
脳科学はこころのはたらきを明らかにする学問の一つ
意思決定に関する心理メカニズムを、脳の働きをMRIなどで画像化するなどの手法で、脳科学の観点から研究しています。脳科学からは、こころのはたらきについての、有力なエビデンスを得ることができます。
例えば、人間は、合理的に考えよう、論理的に考えようという時、脳の前頭前野という、最も後に発達して、他の動物に比べて人でその割合が大きい部分が活動する。一方、簡単なことや日常の当たり前のことをやる時には、前頭前野の活動はそれほど必要とせず、脳の奥の方にある進化的に古い領域しか使っていない。ここは、急に目の前に何か物が飛んできた時、とっさに「怖っ!」と思うような、動物とも共通するような領域です。脳の領域のどこが活動するか測ることで、意思決定が論理的な判断によるものか情動的な反応によるものか、仕組みの解明をしていくわけです。
人を助ける行為は自発的なもの
人間は、利己的で合理的に考える動物と言われます。古典的な経済学などでも、人は自分の利益を中心に考え、その利益が最大化するように常に合理的な行動を取るという考え方が前提です。しかし、心理学や脳科学の研究では、必ずしもそうではないとするエビデンスがだいぶ増えています。
例えば、人が、相手に手を差し伸べたり、協力したりする行動。いかにも論理的に判断した行動に見えますが、生後18か月の幼児でもそういった行動を示すことが知られています。または、皆で今からお金を出し合うような状況。パッと短時間で判断する時の方が、協力的でお金を出せる、という研究があります。おそらくは直感的に判断しているのでしょう。反対に時間がかかる時は、あまり協力せずにお金を出さなくなってしまう。論理的に考えると利己的になってしまうというわけです。他にも、他人のために寄付をする時には、自分がお金をもらって喜びを感じる時に活動する脳部位と同じ領域が活動する、といった研究もあります。
意思決定にはどうやら、理性で判断する「遅いこころ」と情動で判断する「速いこころ」があって、それらがバランスをとりながら、時にはそのバランスが失われることもありますが、意思決定がなされている。二重過程理論と呼ばれるこのメカニズムをもとに、私は研究していますが、人間は、集団の中で生きていくので、自発的に協力するような特性が、ある程度は先天的に備わっている可能性があると思っています。
探求領域×「生き生き働く」
人や会社のための方が生き生き働ける
組織に置き換えて言えば、所属する集団で自発的に協力するような意思決定は、もともと本質的に人に備わったものだという解釈が可能です。だとすると、「会社のため」という動機付けも、不自然なものではありません。自分のためだけでなく、仲間内のためになる、あるいは、社会のためになるなど、周囲に波及していくような要素がある仕事だと、生き生き働けることが多いのかもしれません。
ルールが多いと、脳の理性的思考を阻害
昨今は、コンプライアンスが重視されるようになり、いろいろなことがルールで規制されるようになりました。それは大切なことですが、一方で問題もあります。ルールがない時には、何が正しくて何がいけないのか、前頭前野が理性的な判断や合理的な思考をフル稼働します。でもルールになった途端、人は考えなくなる。本質的な意味で、あるいはより大きな視点で、そのルールが正しいのかどうかと思考する機会が奪われてしまう。善悪の議論は、全てルールにして思考の負荷をなくしてしまうのではなく、ある程度は残しておくようにしないと、健全な会社、健全な社会にはならないのではないかという気がしています。
「生き生き働く」ヒント
理性には限界がある、根本的に環境を変えるのも一つの手
理性の働きには、限界があることも理解しておくべきでしょう。どうしても情動や欲求に勝てないことは、実はかなりあるのです。例えば、いつも帰り道にコンビニでお菓子を買ってしまうケース。仕事に疲れた状態で、コンビニに入ってお菓子を目の前にしてしまうと、頭ではやめないといけないとわかっていても、その誘惑に打ち勝つのはなかなか難しいことです。そのコンビニを通らない道で帰るなど、自制心を発揮するには工夫が必要です。他にも、映画館に入って最初の5分でこれはもう確実につまらない、絶対に外に出たほうがいいと思っても、意外と決断できないもの。1,800円も払ってるし、ひょっとしたらちょっと面白いかもしれないと、かなわない期待を持ってしまう。理性的に考えれば、面白くないと思ったのなら早々に外に出て残りの時間を有効に使うべきなのに、どうしてもそれができない。回収することができない費用であるにもかかわらず、固執してしまうわけです。ですから仕事でも、これ以上は理性で頑張ろうと思っても無理だという限界を、ある程度、自分で把握できるようになることも大切。そこから先は根本的に環境を変えるなど、思い切って別の手段を取る必要があります。
小さな目標をコツコツ達成させる
目標に関しても言えることがあります。人は大きな一つの目標を目指すよりも、小さな目標をたくさん作って、段階的に一つ一つ達成していく方が、努力を継続できるという研究があります。一つ達成すると、脳の奥にある報酬系とよばれる領域が満足感を生み出し、次に同じような状況になったときにまた満足感が得られると期待して活動する。だから、小さな目標で一つ一つは小さな満足感であっても、継続することで大きな目標の実現につなげていくことができます。
脳は何のためにあるのでしょうか?
こころの膨大なはたらきのために脳があるという意見もありますが、実は脳は「運動」のためにあると考えられています。
動く動物には脳があるが、動かない植物には、脳がない。
その意味では、こころを生み出すことは、
脳のはたらきの一部に過ぎないのかもしれません。
――阿部修士
執筆/荻原美佳(ウィズ・インク)
※所属・肩書きは取材当時のものです。