転機に向き合い、定年後のキャリアに向けて新たなスタートを
谷口ちさ(NPO法人いろどりキャリア理事)
前回のコラムでは、転機(トランジション)とニュートラルゾーンに着目することで、定年前のキャリアから定年後のキャリアに向けて何が起こっているのかを検証してきた。
今回も引き続き定年後のキャリアに多くの人がどのように向き合っているのかを分析し、定年後のキャリアに向けてどう考えていけばよいかを考えていきたい。
転機と向き合うことと、それによる葛藤
前回、定年後の方々が示したライフラインチャートには波が少ないということを指摘したが、波のあるライフラインチャートを描いた方々もいた。彼らのインタビュー逐語録を確認してみると、タイミングは人それぞれだが、明確に転機の出来事、ニュートラルゾーン、およびその心境が語られた箇所があるので、紹介していこう。
図表1 d氏のライフラインチャート
図表2 e氏のライフラインチャート
図表3 f氏のライフラインチャート
専門学校で技術を身につけていたd氏は、初職で希望業界の企業に入社するものの、営業職としてキャリアをスタートさせた。しかし、技術を活かしたい思いから転職し、自分のやりたい仕事に従事するようになった。
子どもの誕生を機に働き方を見直し、夜型だった企業勤めから自宅で仕事ができるフリーランスへと転向した。これがd氏の転機となる。フリーランスとなったことで、新たな取引先から新しいやり方が求められただけでなく、企業時代のやり方を手放す必要があったという。その際に生じたニュートラルゾーンについて、d氏は「手探り状態で(略)最初はなかなか思うようにいかないっていうか」と述べた。
学卒後から定年退職まで同じ組織に勤めたe氏は、現役時代にいくつかの転機を経験していたが、そのうちの一つをご紹介する。波はありつつも、順調なキャリアを歩んでいると感じていたe氏だが、50代のときの異動命令について「がくっと来まして。(組織は)私に期待してないなというふうな気持ちになった」と語っている。その配属先で2年間勤めることになるが、最初の1年で少しずつ職務に順応し、2年目で自分のスキルを活かせる仕事に着手することでやりがいを見出している。
学卒後から定年退職を経て定年再雇用終了まで、長きにわたり一つの組織に勤めたf氏は、再雇用終了が転機となった。組織を離れた後、「具体的にどんな格好で仕事をやればいいだろうかというのを、多分1年ぐらい考えた時期があった」と述べた。
また、その頃は「落ち込んでた」と「将来を目指してた」という相反する気持ちが同居していたことも語っている。横ばい傾向のライフラインチャートを描いたシニアの多くが、“終身雇用”後の仕事をすぐに決めているのに対し、f氏は1年間、ニュートラルゾーンを味わい続けた。思案の結果、f氏は組織に勤めていた頃のつながりを活かして起業した。
転機に正面から向き合わなければ、次に進むことはできない
ここまで読んでみると、苦痛を伴う転機などないほうがよいようにも思える。しかしブリッジズは、変化に対して葛藤を感じているにもかかわらずニュートラルゾーンを経験しないまま次のステージに進めば、場所や役者を変えただけで同じことを繰り返すと述べている。
もちろん、同じ事象(たとえば、定年再雇用者として非正規雇用になること)を経験しても、感じる衝撃の大きさは人それぞれである。しかし、横ばい傾向のライフラインチャートを描いた人たちは、どの年代においても転機の体験を語らなかった。では転機の有無は、現職にどのような影響を与えるのだろうか。
ニュートラルゾーンを回避してきたa氏は、現役時代に培った自身の強みを「ネットワークづくり」と答えている。事実、語りの中でも、現役時代には仕事やプライベートの活動において人的ネットワークを駆使してきたことが具体的に述べられている。
しかし現職でその強みを活かしているかと質問すると、答えはNOだった。現職を選択する際の心情として語られた「もう180度切り替えて、何でもやるよ」という言葉とあわせて考えれば、長く勤めてきた組織と自分を切り離したようにも見える。
転機に向き合い、自身の過去の経験を今に活かす
a氏と同じく現職で施設管理の仕事をしているe氏の例も見てみよう。転機を経験したe氏は、現役時代から「プラスアルファの仕事」を心がけてきており、現職でもそれは変わらない。
e氏の語りには何度も「生きがい」という言葉が登場するが、現職においても「そういう(今より良くできそうな)部分が見つかったら、よし、ここは私の力で何とかすかっとさせてやろうという、そういうのが私の生きがいっていうか生き方」と語った。e氏以外の例を見ても、転機を経験した方々は、現役時代と職務内容は異なっても、現役時代に培った自分の特技を今の仕事に活かしている様子が語りの中に見て取れた。
“終身雇用”後のシニアの多くが「長く・快適に働くため」に、専門性を必要としない、誰にでも代替可能な、低賃金の仕事に従事している。しかしもう一歩踏み込んでみると、それまでの人生の転機との向き合い方が、現職における“働き方”に影響を与えているとも読み取れる。
定年後のこれまでと異なる仕事の中にも、連続性を持たせることができる
外的には現役時代とは異なる仕事をしているが、内的に自分のキャリアに連続性を持たせることのできる人は、しかるべき時に葛藤し、それを受け入れることで次なる新しいスタート地点に立ってきた人ではないか。そんな考察が生まれる調査・分析であった。
『ライフシフト』(※)によれば、3ステージの人生の移行期間は2回だけだが、マルチステージの人生においてはその回数が増え、しかも曖昧なものになる。そして移行期間にさしかかるたびに、次のステージに向けて何を手放し、何を残していくかについて、人生に問われることとなる。これはすなわち、転機の機会が増えることを意味している。
シニア世代のライフラインチャートからは、さまざまな人生の選択が垣間見える。ニュートラルゾーンを味わう時間も重要であるという前提をふまえたとき、人生の分岐点でどの道を選択するか。組織に寄りかかるだけでなく、自らと対峙して自分のキャリアを創造していくことが、これからの時代にはますます求められる。
(※)リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット(2016)『ライフシフト 100 年時代の人生戦略』東洋経済新報社(訳・池村千秋)