主要キーワードに見る、2020年以降の米国労働市場とリスキリング(前編) ──後藤宗明
新型コロナウイルス感染症の流行が始まった2020年以降、米国では景気変動や外部環境の変化に応じて、労働市場が大きく揺れ動いてきた。以下では、2020年以降の米国の労働市場に関わるキーワードを振り返りながら、リスキリングが果たしてきた役割を考えたい。
コロナ失業者の再就職支援のためのリスキリング
2020年1月から広がり始めた新型コロナウイルス感染症の影響により、米国ではレイオフによる人員削減数が2020年3-5月の3カ月間で 4,000万件に到達した。2020年1月は、世界経済フォーラムが年次総会であるダボス会議で、「リスキリングレボリューションプラットフォーム」を創設し、2030年までに10億人をリスキリングするという野心的な目標を設定するなど、リスキリングの拡大に向けて国際社会が大きく前進しようとした時期である。これと歩調を合わせる形で、世界各国でパンデミックの影響を受けた失業者の再就職支援策として、リスキリングへの予算が割り当てられ、様々なリスキリング支援のためのプロジェクトが始まった。
The Great Resignation(大退職時代)とリスキリング
こうしたなか、いち早い動きを見せた国の一つが、米国であった。新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が進み致死率の低下傾向が見られるや否や、米国政府はロックダウンを解除し、経済再開を目指すビジネス活動も活発化した。大規模なレイオフを実行した直後の急激な景気回復は、未曾有の人材不足をもたらしたため、2020年6月の新規求人数は過去最高の月間1,000万人以上にも上った。途中変異種であるデルタ株感染急増によって様子見の時期もあったが、基本的には堅調な景気回復が続いた。
こうした空前の人材不足の中、米国の労働市場では「The Great Resignation(大退職時代)」と呼ばれる現象が生じた。新型コロナウイルスへの感染者数が底を打った2021年6月、Microsoftが「従業員の41%が現雇用先を退職しようとしている」という衝撃的なレポートを発表したことで話題になり、この現象をテキサスA&M大学のアンソニー・クロッツ准教授(当時)がThe Great Resignationと命名したことを契機に、メディアや書籍等でもこの問題が盛んに取り上げられるようになったのである。会社都合のレイオフ等を含まない従業員の自主退職者数は、2021年11月には過去最高の月間451万人に達した。それ以来、2022年12月まで毎月400万人以上もの労働者が自主退職を続けた。
様々な調査が明らかにしたのは、大量の自主退職の主要な理由に、会社が自分に成長機会を与えていない、という不満があったことである(※1) 。そこで企業は、社内におけるスキル不足解消に加え、有望な人材を社内にとどめる戦略として、組織内の成長機会を充実させるためのリスキリング施策をより本格的に提供するようになった。つまり、米国労働市場におけるリスキリングは、失業者の再就職対策という性格から一転して、企業の従業員体験の向上とそれによる流出防止手段という性格を強めてきたのである。
The Great Resignationを取り上げた書籍の例
(注)Russ Hill &Jared Jones(2021) The Great Resignation: Why Millions are Leaving Their Jobs and Who Will Win the Battle for Talent
Internal Mobility(社内配置転換)への注目とリスキリング
歴史的な自主退職者数が続くなか、社内に別のキャリアの機会があることが、従業員にとっても現在の組織にとどまる動機の一つとなることが分かってきた(※2) 。そこで米国企業が取り組んできたのが、本人の希望とリスキリングに基づく「Internal Mobility(社内配置転換)」の積極活用である。優秀な人材が退職してしまう前に、本人の希望の配属を叶えるため、会社が社内における新たなキャリアパス構築を支援する。そして希望部署の即戦力としてスキルが足りない場合には、リスキリング環境を提供して社内配置転換を実現するという戦略が注目されたのである。ここでリスキリングは、従業員に成長機会を提供するだけでなく、従業員が組織内でより積極的なキャリアの探索を行い、組織に貢献し続けることを可能にするための手段としての性格を強めることになった。
配置転換というと、日本企業では当たり前の慣行であるが、先にポストがありそこでの業務遂行に必要なスキルを持つ人材を社内外から獲得することが前提となってきた米国企業にとって、Internal Mobilityへの注目と積極活用は大きな変化であったと言える。その結果、Google Trendsを用いて「Internal Mobility」の検索数を確認すると、2012年からの10年間で4倍に増加している。米国では、企業から見たInternal Mobilityのメリットとして、以下の点が整理されている。
- 社内異動した従業員は、新しい職務に就いてからの数年間、社外採用者よりも明らかに高いパフォーマンスを発揮する
- 給与も20%程度低く抑えることが可能
定期的に社内異動を実施している企業では、従業員の在職期間が41%長くなることが判明(LinkedIn Global Talent Trends 2020レポート)
ところが景気回復とともに急激な物価上昇が進んだことにより、状況は再び変化している。2022年3月のFOMC(連邦公開市場委員会)では、インフレ抑制のために政策金利の引き上げが決定されたほか、同年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻の影響が顕在化し、経済成長に陰りが見え始めた。その結果、米国ではポストコロナの需要回復がついに止まり、企業と個人の関係にも変化の兆しが生まれ始める。後編では新たなキーワードとともに、米国の労働市場の現在とリスキリングの関わりについて紹介する。
(※1) https://www.forbes.com/sites/forbesbusinesscouncil/2022/07/15/could-the-great-resignation-become-the-reskilling-revolution/?sh=72c8c7e14e39
(※2)https://www.lever.co/research/2022-internal-mobility-and-employee-retention-report/
編集:大嶋寧子