これから介護に直面する従業員に、企業は何を伝えるのか──大嶋寧子

2019年09月04日

介護と仕事の両立は当たり前になる

高齢化の進展により、介護保険上の要支援・要介護の認定を受けた人の数は増加しており、2019年4月末現在で659万人(男性が207万人、女性452万人)となった。総務省「平成29年 就業構造基本調査」によれば、有業者のうち介護を行う人は364万人。50歳代から60歳代前半が中心だが、それ以外の年齢階級にも介護と仕事を両立する人が存在する。また、職場の呼称が正社員である人についても、50歳代から60歳代前半では約1割が介護に従事している(図表1)。
人口のうち要支援・要介護の認定を受けた人の割合を年齢階級別に見ると、75歳以上で急速に上昇する。更なる高齢化によって75歳以降の人口が増えていく今後、介護を必要とする人も、それを支えるために仕事と介護を両立する人も、大幅に増えていくことがほぼ確実な状況だ。

図表1 雇用者のうち介護をしている人の割合(%)20190828_01.jpg出所)総務省「平成29年 就業構造基本調査」

備えを進める国と企業

このような状況のもとで、介護による疲労蓄積やそれに伴う生産性の低下、あるいは介護を理由とする離職をいかに防ぐかが、国の政策としても、企業の人事施策としても重要性を増している。2016年6月に閣議決定された「ニッポン一億総活躍プラン」では、介護離職ゼロを目標に、介護の受け皿拡大や介護人材の処遇改善、仕事と介護を両立しやすい柔軟な働き方の普及等の対策が掲げられた。また2016年の育児・介護休業法の改正(2016年3月31日公布、2017年1月1日全面施行)では、在宅介護の長期化を視野に、介護休業の分割取得や所定外労働の免除制度の導入、介護休暇の取得単位を柔軟化する制度改正が行われた。企業の中にも、法定を上回る介護と仕事の両立支援制度を設けたり、相談窓口を設置したり、セミナーや説明会等の情報提供を充実するなど、多様な支援を展開するところが増え始めている。

今後重要性を増す、介護予備軍への支援

こうしたなか、今後、重要性を増すと考えられるのが、現在は介護を行っていないが、将来行う可能性がある従業員(以下、介護予備軍)への支援を豊かにしていくことである。高齢期の個人が幸せな老後を選択するためには、医学などの科学的根拠にもとづく、正しい知識が必要とされる(※1) 。介護に関しても同様だ。介護サービスや会社の支援制度だけでなく、親世代の生活の希望を知ることや、早期から専門家と連携し、備えを行うことが、自立した老後を過ごしたり、認知症など病気の進行を遅らせる上でも有効であるという(※2)。このように適切な対処行動を取ることは、従業員の親世代の健康や自立、幸せな老後の可能性を高め、最終的には介護予備軍の働き続けやすさに関わってくる。つまり介護予備軍に親世代が幸せな高齢期を過ごすための備えを促すことが、介護離職や介護疲労の予防策となるということだ。

「後回し」を生む心理的なバイアス

問題は、介護予備軍に備えを促すことが簡単ではないことだ。企業の仕事と介護の両立支援を行う株式会社リクシスが行ったビジネスパーソン2500人への調査(※3)によれば、これから介護を行う可能性がある人の72%は、介護がはじまったら「仕事を続けられない」もしくは「わからない」と回答している。その半面で、介護がいつ始まってもおかしくないなど、状況が切迫している人であっても大多数が、相談できる専門家とつながっておらず、介護される人の希望する介護を把握していないなど、基本的な備えを行えていない。

人間の心理には、自分にとって都合の悪い情報を考えないようにしたり、リスクを過小評価したりする「正常性バイアス」が働きやすいことが知られている。両立予備軍の立場で考えれば、今の時点で現実の問題が生じているわけではなく、「できれば考えたくない」「そうは言っても介護が必要にならない可能性もある」「もう少し先に考えればいいのではないか」という気持ちが生じやすい。そのような気持ちが、状況面では切迫していても、実際には情報を取りに行けていない現状を生み出していると言える。

ギャップを克服するコミュニケーション

企業は介護予備軍に対し、情報の提供の仕方を変えていく必要がありそうだ。

企業へのアンケート調査より、企業が介護と仕事の両立に関して行っている情報提供の内容を見ると、多くは介護予備軍とすでに介護に直面している従業員を区別していない。また、その内容は「介護に直面した後」に利用する国や会社の制度、心得などの内容が中心である(※4)。

しかしこのような情報は、既に介護に直面している従業員にとっては適切であっても、介護予備軍に対しては不十分なのではないだろうか。心理学の領域では、相手に脅威の存在を示しつつ、相手に脅威を予防・提言する行動を求める説得を「脅威アピール(恐怖アピール)」と呼ぶ。脅威アピールの有効性に関する研究では、脅威が大きすぎると逆効果になりやすいとされる一方で、情報の受け手が脅威の深刻さを認識したうえで、それに対する対策に効果があることを理解し、その行動を自分が出来ると確信を持てることが、適切な行動を喚起するために有効であるという指摘がある(※5)。

もちろん、介護予備軍にとっても、国や会社の制度を理解することは重要だ。しかしこれだけでは、介護への不安が喚起される一方、今の段階でできること、その行動で期待できる効果、その行動を無理なく行うための方法は分からない。つまり、脅威アピールの観点からは適切な行動が促されにくく、多くの人が自分なりの備えをもたないまま、生活上の問題へと突入する事態を生んでいるのではないか。

図表2 介護に関わる局面と会社の支援20190828_02.jpg

 

介護予備軍への支援のアップデートを

繰り返しになるが、従業員の親世代の幸せな老後を実現するために、従業員に早めの備えを促すことは、最終的に企業にメリットを生む。そのメリットを手にするために、企業にはやれること、やるべきことが沢山ある。たとえば、介護予備軍に対して、親世代の生活の質を維持するためのリテラシーを上げることをゴールに、情報提供を充実していく。その上で、介護予備軍が個々の状況に応じた備えを行いやすくするために、相談の仕組みを作る。国の政策は、介護予備軍への情報提供の量的、質的な充実を図る企業への支援を充実することが必要であろう。

 

 

(※1)大石佳能子(2018)『人生100年時代、『幸せな老後』を自分でデザインするためのデータブック』ディスカヴァー・トゥエンティワン、酒井穣「親が定年を迎えた時が始まり。介護で働くはどう変わるのか?」
(※2)大石(2018、前出)、酒井穣「親が定年を迎えた時が始まり。介護で働くはどう変わるのか?」
(※3)国内の大手企業に導入されている仕事と介護の両立支援クラウド「LCAT(エルキャット、Lyxis Care Assistant Tools)」を利用した、企業に勤める2500人の回答に基づく結果(https://www.lyxis.com/news/2019/07/31/60/)。
(※4)日本経済団体連合会「介護離職予防の取組身に関するアンケート調査結果」によれば、回答企業の6割弱でセミナーや説明会等を開催しており、その9割が対象者を限定せずに開催されている。またセミナーや説明会等での情報提供は、介護保険制度の仕組みや公的介護サービスの内容や介護を行う際の心構え、地域包括支援センターの概要、社内の両立支援制度や相談窓口の紹介などが中心である。つまり介護予備軍も含めて、介護に関わる情報提供は、「介護に直面した後」を支える制度や機関、窓口に関するものが中心であり、この局面での行動の効果や行動を行う際の負担を減らすことに主眼が置かれていると言える。
(※5)邑本俊亮「情報をどのように伝えるか:認知バイアスと恐怖アピール」(2018年4月東北大学災害科学国際研究所 南海トラフ地震予測対応勉強会成果・報告レポート集)

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