メルカリ 執行役員CHRO 木下達夫氏
ムラからマチへのシフトで多様性を前提とした“大胆”な人事変革
聞き手/大久保幸夫(リクルートワークス研究所 アドバイザー)
大久保 木下さんはメルカリのCHROに就任されて以来、様々な変革に取り組まれています。CHROとは何か、人事部長とは何が違うのか、まずお考えを聞かせてください。
木下 CHROをはじめ、一般に「CxO」と呼ばれる役割は、もともとはすべてCEOの仕事に含まれるものだと考えています。創業期の規模の小さな会社であれば、CEOが1人ですべてを見ることができます。これが成長期に入ると1人で全体を把握することが難しくなり、COOを置きたくなる。そして上場が視野に入る段階では、CFOが必要になってくる。会社の成長ステージに応じてCEOの役割が分化していくなかで、人事領域に関してはCHROに任せようということになるわけです。
ですから「CxO」は、上から降ってきたディレクションに従う中間管理職ではなく、ディレクションを作る側、つまり経営の仕事だということ。CHROには、中長期的な会社の方向性に対するビジョンを持ち、人事領域における戦略を描く力が求められていると思います。
マチのみんなが依って立つカルチャーを定義
大久保 会社の成長ステージでいえば、メルカリは、かつては日本を代表するユニコーン企業と呼ばれ、2018年には上場もしました。現在はどのような段階にあるのでしょうか。
木下 まさに今は「ムラ(村)からマチ(都市)へ」と変革するさなかにあります。数百人規模のムラであれば、お互いの顔と名前が一致し、どこに誰がいるかわかる。似たような仲間が集まっていて、暗黙知も共有されています。
しかし連結での社員数が1800人となった今、丁目や番地をつけて区画を整理し、マチとして機能するための役割分担やルールが必要になってきました。特にわが社では多国籍化が一気に進んでおり、今や約40カ国の人が働いている。多様性を前提にしたマチづくりを進めていかなくてはなりません。
大久保 文化も言語も異なる人たちが、それだけ集まって1つのマチに住むとなると大変でしょうね。
木下 だからこそ、このマチのみんなが依って立つカルチャーがとても重要なのです。メルカリには「Go Bold(大胆にやろう)」「All for One(全ては成功のために)」「Be a Pro(プロフェッショナルであれ)」という創業時から大切にしている3つのバリューがあります。
その前提として、「Trust & Openness」と呼ばれる信頼から生まれるオープンなカルチャーを目指しています。現場で大胆に、高いレベルの意思決定をするには、経営陣と同じ目線を持っている必要があります。そのため、社員を信頼し、情報共有度をとことん高めているのです。入社してきた人には「こんな情報にもアクセスできるのか」と驚かれることも多いです。公開しているものが多すぎて「情報の洪水」とまでいわれますが、そのなかから何が必要か取捨選択することも含めて自分で考えてほしいのです。
大久保 このような基盤があってこそ、3つのバリューを実践できる、ということですね。
木下 はい。創業当初は経営陣との距離も近く、「Go Bold」とはどういうことなのか、直接尋ねたり、間近で行動を見たりすることができました。でも人数が増えてくると、それが難しくなる。そこで、メルカリの組織や人に対する考え方を明文化した『Culture Doc(カルチャードック)』を作りました。新たに入社する人にとっても、そういうものがあったほうがわかりやすいだろうと思います。
大久保 もともと目指していたバリューやカルチャーを実現するため、今は行動支援に力を入れているということですね。
採用型から育成型へ 成長機会をいかに与えられるか
木下 「ムラからマチへ」の変化のなかで、もう1つの軸が、育成型組織へのシフトです。創業以来、メルカリは採用にフォーカスしてきましたが、入った後の成長支援により力を入れていきたい。
3カ月ごとに行っているエンゲージメントサーベイから見えてきたのは、メルカリには成長意欲の高い人が多いということ。そして、職場への信頼・愛着が高い人は、おしなべて「成長機会のあること」に魅力を感じている傾向があります。良いCX(Customer Experience)を作るには、それを担う社員の、良いEX(Employee Experience)が必要だと言われますが、成長意欲の高い人たちに、高いエンゲージメントを持って活躍してもらうためにも、いかに新しい挑戦を作れるかが鍵だと思っています。
そのために、私がまず取り組んだのがHRBP制度の導入です。組織のなかに入ってキータレントを見出し、新たなアサインへのサポートをしたり、のびしろのある人の背中を押したりしています。個別のキャリア相談にも乗り、現場密着の成長支援を行っています。
やはりいちばん大事なポイントは、一人ひとりの社員が現場でどのような経験を積むことができるかでしょう。本人の意思を尊重しながら成長実感を持てるようなアサインができるかは、マネジャーによる部分が大きいのです。
大久保 現場でマネジメントサイクルを回していく上で、フィードバックを大切にされているのも大きな特徴です。
木下 そうですね。評価の仕組みとしては、四半期ごとにOKR(Objectives and Key Results)の考え方で個別に目標設定して、3カ月に1度、目標の達成度やバリューの発揮度を自分自身で評価し、マネジャーがフィードバックするというサイクルを回しています。特徴的なのは、その際に「グッドともっと」と称するピアレビューも実施し、一緒に仕事をしているメンバー同士が、良かったポイント、改善したほうがいいポイントをお互いに贈り合うことです。
大久保 組織がこれだけ一気に拡大すると、マネジャーの育成が追いつかなくなりそうですが。
木下 それは大きな課題です。全体的に若い会社で、初めてマネジャーになる人も毎年たくさんいる。人事としては新任時の研修を充実させたり、当初はHRBPが並走するなどしてよりサポートしていこうと考えています。
このほかに2020年には、新たにラーニングデベロップメントチームも立ち上げました。育成型組織を目指す上で、大きなステップだと思っています。
誰もが使えてわかりやすいデータドリブンを目指す
大久保 木下さんがCHROに就任されて2年ほどですが、人事が次々と新しい施策を打っていますね。
木下 現在注力していることの1つは、HRもデータドリブンでやっていくことです。テックカンパニーとして、ビジネスにおいては様々なデータをタイムリーに集め、データドリブンなマーケティングを実践してきました。ピープルアナリティクスに関しても、同じ発想で進めていきたいと考えています。
そのためにはしっかりとしたHRのインフラが必要ですが、当初は内製した人事データベースしかなく、機能面で限界がありました。そこで企業向けのサービスを活用して、2020年に新たなシステムを導入しました。採用のプロセスを管理するツールも含まれたものなので、例えば入社後に高いパフォーマンスを発揮している人は採用段階でどういう傾向が見られたかなど、一気通貫で分析できるようになりました。
また、各種サーベイとLMS(学習管理システム)の仕組みをつなげて、この人はどのようなスキルを伸ばしていけばいいのか、個別に提案することなどもできるようになるでしょう。採用、育成、学習、配置といったものをシームレスに連携させていきたいと考えています。
大久保 様々なデータが一元的に集約されることで、また新たにできることが増えますね。
木下 そうなんですよ。次はタレントマネジメントを強化していきたい。例えば新規事業を立ち上げるときに、どういうスキルが必要で、その能力を持っているのは誰か、データベースを活用してマッチングまでできるようになります。どんな分野に挑戦したいかを表明できる機能もあるので、本人の意思がかなうような形でキャリアを築いていけるように、情報を活用できればいいですね。
大久保 人事のDXを進める上で大切なことは何だと思われますか。
木下 最も重要なポイントは、データの民主化です。最近、ワークマンの経営に関する本を読んで感動したのは、個店のデータだけでなく、誰もが全国の店舗のデータを見られるようにしたという話でした。戦略人事を進める上でもまったく同じで、HRBPは自分が担当する部門だけを見ていてはわかることが限定的です。全体のデータや他部門のデータと見比べてどこが良くて、どこに課題があるのか、その部門の置かれた状況を分析してはじめて、実効性のある提案をすることができるようになります。
大久保 みんながデータを使えるようにならないと効果も上がりません。
木下 その本にも書いてあったのですが、データの民主化には複雑なプログラムは必要なく、Excelで十分だと。難しい理屈よりも、シンプルな生データのほうが役に立つという話でした。私のイメージするデータドリブンHRはまさにこれです。難しく考えて結局は使えないというのがいちばんよくない。個人情報には気をつけなくてはいけませんが、「Trust & Openness」で必要以上に隠すことなく、わかりやすい形でデータを共有することが必要だと思います。
大久保 みんなが使える、やさしいデータドリブン。オープンであることとわかりやすさを重視する、メルカリらしい発想です。
人事評価の仕組みもグローバルスタンダードに
大久保 お話を聞いていると、もともと持っていた会社のビジョンが大きくなり、カルチャーが強まっている感じがします。そのほか、今後やっていきたいことはありますか。
木下 多様性への対応の1つとして、報酬制度を刷新し、2021年1月から新制度に移行しました。グレードに応じたシンプルな基本給と、個人業績によって決まる金額を組み合わせたものです。シニアなグレードでは中長期的なインセンティブとなる株式報酬も出る仕組みで、グローバルなテック企業では一般的な形です。外国人社員にもわかりやすい仕組みにしています。一方で、競争力のある人材のリテンションを考慮して大胆な昇給を可能にするなど、メルカリらしい「Go Bold」をいかに取り入れるかということにこだわりました。
大久保 木下さんの仕事を今、端から見ていても楽しそうです(笑)。
木下 そうですね。多様性が増している分、難しさはあるのですが、その分人事にとってやりがいがあります。
大久保 会社の成長・拡大に合わせて人事制度は整えていく必要がありますが、それだけに腐心するとベンチャーの勢いを止めてしまう。そこをカルチャーという会社の原点を大切にすることで、うまく乗り切っている印象があります。その点が非常に素晴らしいと思いました。次にどんな取り組みをされるのか、私も楽しみにしています。
メルカリ 執行役員CHRO 木下達夫氏
P&Gジャパンで採用・HRBPを経験後、2001年日本GEに入社。GEジャパン人事部長、アジア太平洋地域の組織人材開発、事業部人事責任者を経て、2018年12月にメルカリに入社、執行役員CHROに就任。
text=瀬戸友子 photo=刑部友康