日本人の賃金のいまを探る

2023年02月22日

日本の賃金の停滞感を嘆く議論は、近年盛んに行われており、こうした認識はますます広がりを見せている。そもそも1人ひとりの就業者は日々懸命に仕事をしているにもかかわらず、なぜその対価である賃金が増加していかないのか。企業が内部留保をため込んでいるといった指摘に代表されるように、何か分配面での重大な課題が隠れているのではないか。あるいは経済・金融政策など国の政策的な誤りが背景にあるのではないか。1972年以降の日本の賃金動向を振り返り、賃金の「ほんとう」を考えてみたい。

上がらなくなってしまった1人当たりの年収

まずは、日本の賃金の動向をざっくりと確認してみよう。国税庁「民間給与実態統計調査」から近年の日本人の賃金の動向を確認してみよう。

同調査においては、民間給与所得者1人当たりの年収を調査している。年収額の推移を見ると、1990年代半ば賃金はピークを付け、その後長期にわたって低迷している様子が見て取れる。この間、賃金の増減を基にしていくつかの期間に分けてみよう。

まず、図表では現在の基準で統計上比較可能である1972年からの推移を表しているが、ここから初めて前年から平均賃金が減少した1993年の前年までの期間を賃金の「単調増加期」とすることができるだろう。オイルショックにより高度成長期が終わったのが1973年として、その後の日本経済の安定成長期とバブル経済期において日本人の賃金は単調に増加していた。

図表1 1人当たりの年収(1年以上継続雇用者)図表1 1人当たりの年収(1年以上継続雇用者)出典:国税庁「民間給与実態統計調査」

これ以降、バブル経済は崩壊し、日本人の賃金もそれに伴って減少していく。賃金のピークを迎える1997年を挟んだこの期間を賃金の「停滞期」とすれば、停滞期は1997年からリーマンショック前の景気拡張期を経て、リーマンショックが発生する2009年までとすることができる。これまでの賃金の推移を見ると、この1993年から2009年までの賃金停滞期が労働者にとっては最も厳しい時代であったと言えるだろう。

1993年から2009年までの期間において、なぜ労働者の賃金は減少してしまったのか。一見すると、賃金が減少したのは同期間における経済政策などに問題があったからだという風にも見える。しかし、この期間の経済に問題があったというのではない。

なぜ労働者の賃金は減少したのか

日本経済に問題があったからではなく、むしろバブル経済期に賃金が伸びすぎていたことが問題だったというほうが実態に近いだろう。

失われた10年と言われた期間においては、雇用、設備、債務の3つの過剰に日本経済は悩まされ、その長期にわたる調整を余儀なくされた。雇用の過剰には賃金水準の高騰といった側面も含まれる。

つまり、バブル経済の期間において、企業は日本経済の基調を見誤り、賃金を高騰させすぎたのだとも捉えることができる。賃金水準は低すぎても良くないが、高すぎても良くないのである。バブル経済が遠い過去となり、過去の過ちの記憶は薄れつつあるが、本来、企業利益の分配である賃金は、企業利益が歩調を合わせながら決まっていく姿が望ましい姿であると言える。

2009年から現在にまで続く緩やかな賃金上昇期は、賃金の「回復期」と位置付けることができる。賃金上昇率は緩やかであり、かつ下げた賃金を回復させているという要素が大きいが、この間は賃金水準が底を付けた2009年の408万円から2021年の443万円と年間で9.2%の増加となっている。

「賃金」にはさまざまな側面がある

一方で、こうした日本の賃金の状況は、経済のさまざまな要素によって影響される。日本人の働き方1つ取ってみても、ここ10年ほどで大きく変わってきている。これまでは働かないことが当たり前であった女性について、女性活躍の掛け声とともにその多くが社会進出を果たすようになっている。

これに伴って男性の働き方も変わってきている。働き方改革関連法の施行などによって、長時間労働に対する規制強化が図られ、実際に男性女性問わず労働時間は減少傾向にある。また、少子高齢化が急速に進む中、高齢労働者が急速に増加している。大黒柱である男性が長時間労働と引き換えに高額の給与を稼ぐというモデルはもはや風前のともしびである。こうした事情が日本人の賃金の平均値に大きな影響を与えていることは間違いない。

賃金は原則として労働生産性によって決まる。日本の賃金が上がっていないのは、単に日本経済が成熟化し、高い成長率を見込めなくなったことが原因なのかもしれない。経済成長率の低迷は何も日本だけの問題ではない。GAFAといった巨大プラットフォーマーが世界を席巻している米国では堅調な経済成長率を維持しているものの、英国やフランス、ドイツなど欧州先進国はいずれも経済的には苦戦が続いている。

人々の実感でいえば、世帯の可処分所得という視点も欠かすことができない。額面としての給与が高くても税・社会保険料などの非消費支出がかさみ、手取りが増えない状況であれば生活が豊かになったという実感は持てないだろう。高齢者が急速に増えている現代の日本社会において、賃金増加が実感できないというのはこうした日本社会の構造的な課題が絡んでいるはずである。

日本人の賃金のいまを探る

一言で賃金が上がっているかどうかを検証すると言ってもその切り口は多様であり、その全体像を知ることは意外と難しい。

本連載では、日本経済の観点から、また日本人の働き方や世帯所得の観点、また正規・非正規といった雇用形態や職種ごとの賃金など、さまざまな観点から現代日本の賃金の構造を明らかにする。日本人の賃金は「ほんとう」に増えていないのか。増えていないのだとしたら何が原因なのか。また、その原因を解決する処方箋はあるのか。膨大なデータから、日本人の賃金のいまを描きだす。

坂本貴志(研究員・アナリスト)

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