年収か時給か、賃金が先か生産性が先か ―生産性と賃金の関係性を考える―
賃金と生産性について考えるとき、それを時間単位で考えるか、1人当たりで考えるかは前提条件として大きな分岐点になる。そうした観点でいえば、残念ながらメディアで行われる賃金に関する多くの議論のなかには多大な誤解が含まれている。年収水準、時給水準、生産性の推移をデータで振り返りながら、その誤解を解き、日本経済の未来を展望する。
年収か時給か?
賃金の基調をとらえるときは、それを年収水準でとらえるのではなく、時給水準でとらえることが重要である。当然だが、労働時間を増やせば1人当たりの賃金や生産性が高まる。しかし、それは長時間労働の代償が伴うものであり、本当の意味で賃金や生産性が上昇したとはいえない。そう考えれば、こうした要素を計測する場合に、時間当たりで考えることは自然である。
一方で、世の中の多くの議論は1人当たりの年収水準を用いて行われている。たとえば、1人当たりの平均年収が伸びないことをもって賃金が上がらないと語られるが、これは根本としておかしな議論だ。
先述の通り労働時間を延ばして年収水準を伸ばしたとしても、それは社会が豊かになったとはいえない。時給水準が高まるなかで、自身が必要な時間数を働きながら豊かな生活を送ることができるようなって、初めて日本人の生活水準が向上したといえる。
現在、女性や高齢者の労働参加の拡大や働き改革の浸透によって平均の労働時間は短くなっており、その誤りはますます大きくなっている。こうしたなかで賃金や生産性の計測単位について正確な理解が形成されなければ、経済の基調を大きく誤ってしまう。
年収は上がっていないが、時給は上がっている
それでは、年収水準と時給水準の時系列データを取ると、その形はどれだけ変わるか。図表1は厚生労働省「毎月勤労統計調査」から労働者の時給水準と年収水準の推移を取ったものである。
これをみると、時給と年収でその形は全く異なっていることがわかる(図表1)。労働者の平均時給は2022年で2,392円。2012年には2,138円であったから、10年間で+11.9%の伸びになる。経済の実勢から大きく外れた賃金水準や、過剰雇用が問題視されたバブル後の水準(1997年:2,288円)も上回っている。
一方で、年収に直すと一転してその伸びは鈍化する。2022年で390.9万円とバブル後の水準(同:431.4万円)を大きく下回る水準となっている。おそらくこの数字は、多くの人がメディアなどを通じて日本の悲惨な状況を説明したデータとして目にしたことがあるだろう。
しかし、ここまで説明してきている通り、一部の男性のみが「24時間戦えますか」のような働き方をしていた時代と、現代の「年収」水準とを比べることにあまり意味があるとは思えない。
出典:厚生労働省「毎月勤労統計調査」
この話は決して難しい話ではない。経済が専門でない人もすぐに理解できる話である。しかし、このような基本的なことであっても、データの見せ方によっては経済の実勢と異なる状態を想起させてしまうことがある。世の中の賃金に関する議論のなかにはそのような要素が実に多く、日本の賃金に対する誤解を形成してしまっているのだと考えられる。
バブル期の賃金は、労働者の生産性に比して高すぎた
生産性に関しても同様である。労働者1人当たりでみるのか、労働時間1時間当たりでみるのかで形が全く違ってくる(図表2)。
内閣府「国民経済計算」から労働時間1時間あたりの生産性を算出すると、2021年は4,793円となった。10年前と比較すると、2011年の4,403円から+8.8%の上昇になる。おおむね時給水準と連動していることがわかる。
長期的な推移をみても、現在のGDPの基準がスタートした1994年からの伸びでみれば、生産性と賃金の伸びはほぼ同程度となる。なお、このグラフの比較からは1990年代後半に賃金が生産性に比して大きく膨らんでいた様子が見て取れ、当時の賃金水準が実勢と比較して異常に高かったことがうかがえる。つまり、賃金水準はいまがおかしいのではなく、バブル期がおかしかったと推察することができる。
そして、GDPを就業者数で割ると、やはり生産性の伸びは急速に鈍化することがわかる。ここ10年当たりでみると全く成長していない。しかし、本稿で主張している通り、やはり1人当たり就業者数で生産性を測るのは適切とはいえず、時間当たりでみると成長しているのである。
賃金が先か生産性が先か
ここまで、時間当たりでみれば、決して日本の賃金が上がっていないわけではないということを解説してきた。生産性についても同様に、時間当たりでみればしっかりと伸びていることもわかる。それでは、現状の日本のパフォーマンスに問題はないのだから、積極的に賃上げをしなくてもよいのだろうか。
現状の日本の賃金水準の評価と今後の賃上げの必要性については、それはまた独立した議論になるだろう。つまり、今後の日本経済を見渡せば、現状の日本の労働者の賃金や生産性について正確な理解をしたうえで、それをさらに引き上げていくための方策を考えるべきである。これまでの日本のパフォーマンスを過度に悲観することはないが、現在の水準に満足している余裕は全くないということだ。
これから日本の生産年齢人口は、急速に減少していくことは間違いない。社会的に支えなければならない高齢者も、いやおうなしに増えていく。こうしたなか、生産性の伸びが今後加速していかなければ、日本経済は大きな苦境に陥ってしまうだろう。労働者の時間当たりの生産性を高めると同時に賃金を引き上げていくための施策はまったなしである。
このような問題意識のもとでもう1つ問題提起をしておきたいことがある。それは、日本全体として人手不足が深刻化していくなか、賃金と生産性との関係性をとらえなおさなければいけないのではないかという点である。
ここまでのデータを見てわかる通り、賃金と生産性は連動する。そして、賃金と生産性との関係性についてよくある議論は、労働者が生産性を高め、賃上げのための原資を獲得できなければ、企業は賃上げできないという議論である。
パーソル総合研究所が行った賃金に関する調査では、こうした賃金に関する経営者の認識を鮮やかに浮かび上がらせている。同調査では、企業の経営層 530人に対し、アンケート調査によって賃上げに対する考え方を聞いている。それによれば賃上げに対する考え方として、「会社の成長なくして賃上げは難しい」と「賃上げなくして会社の成長は難しい」のどちらの考え方が自身の考えに近いかを聞いたところ、前者に近いと答えた経営者が63.0%。後者に近いと答えた人は6.4%しかいなかった(図表3)。
賃金水準の最終的な決定権を持つのは経営者である。しかし、その経営者は賃上げよりも生産性向上が先だと考えている。生産性が上がったあかつきには、その後にしっかりと賃金も上げるということだろう。
それではいつ生産性は上がるのだろうか。従業員が自発的にリスキリングをして、企業全体の生産性が高まるまで賃上げは待つというのだろうか。残念ながらこれまでの日本の経営者のなかでは、こうした考え方が支配的であったといっても差し支えはないだろう。
賃金上昇が先行し、経済のパラダイムが変わる
賃金と生産性の関係性について、どちらか一方だけに因果があると考えることは適切ではない。つまり、生産性が上がらなければ賃金が上がらないという理屈も正しいが、賃金が上がらなければ生産性も上がらないという理屈もそれと同様に正しい。
こうしたなかで、経営者としては従業員の賃金はコストである以上、経営側がまずは生産性向上だという認識になることにはやむを得ないし、労働者の賃金を上げてほしいと経営者の善意に訴えたところで事態は変わらない。
しかし、人手不足が深刻している現在から将来にかけて、この順序はおそらく変わっていく。人手不足が恒常化すれば、労働供給が先行して労働需要に対して不足する状態が常態化していくことになるから、賃金水準を先行的に引き上げて従業員を確保していくことを促すように、労働市場からの圧力が強まるのである。
こうした構造変化は日本経済のパラダイムが変わるきっかけになりうる。少子高齢化が深刻化するこれからの日本経済を展望すれば、労働力が希少なものになるなかで、人手を確保しなければ経営が成り立たなくなるケースは今後ますます増えていくだろう。
そして、そこに気付いた企業は先行して賃金を引き上げ、優秀な人手を確保しなければならなくなる。賃上げをしなければ他企業との人材獲得競争に競り負けるという危機感が経営層に波及していく形で、賃金を引き上げる動きが広がっていく。未来を展望すれば、賃金上昇が先行する形に労働市場の環境が変わっていくと考えることができるのである。
これからの経済の構造は、賃金引き上げを起点として、賃金上昇と生産性向上の好循環を実現していくという構造にパラダイムがシフトしていく。そうなれば賃金上昇が先行した後、その賃上げに見合うだけの生産性向上をいかにして成し遂げられるかに、世の中の関心は徐々に移っていくだろう。企業がそこをうまく乗り切れるかどうかが、今後の日本経済や人々の生活の行方を大きく左右する。
今後の日本経済は、人口動態の変化と歩調を合わせる形で大きな局面の変化を経験することになる。近年にない賃上げが行われている現在の状況は、まさにその転換点なのだと考えることができる。
坂本貴志(研究員・アナリスト)