AIがもたらす「日本ならではの危機」とは何か。生まれる余白を新たな共同体の再構築へ
日本企業は長い間、現役世代の生活保障、人材育成、健康管理など、社会の安定に関わる、極めて多くの役割を果たしてきた。しかし生成AIの活用拡大で仕事の総量が減るとの予測が有力視されるようになり、それに伴う労働移動の加速も見込まれる中、企業は従来の機能を担いきれなくなりつつある。AIがもたらす「日本社会ならではの危機」とは何か、そこに打つべき手にはどのようなものがあるか。労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一郎氏と、リクルートワークス研究所の大嶋寧子が話し合った。
急速に変化する「AIリスク」 本当の姿はまだわからない
大嶋:世界経済フォーラムが発表した『仕事の未来レポート』2023年版は、労働の自動化に伴う変化について、「創出される仕事より、失われる仕事の方が多い」と予測しました。2020年版の「創出される仕事の方が多い」という予測を覆した形で、労働環境の見通しが急速に変化していることがうかがえます。またかつてAIは、定型的な業務を代替すると考えられてきましたが、近年は高技能の仕事こそ代替されやすいという研究も多数発表されています。今後、人の仕事はどう変わるとお考えですか。
濱口:「わからない」というのが正直な答えです。経済協力開発機構(OECD)は2023年3月、日本を含む8カ国の職場でのAI導入事例を比較分析したワーキングペーパーを発表し、EUも同年2月、AI利用の規制法案について大筋で合意しました。しかしいずれもChatGPTが登場する以前の議論がベースになっており、AIをIT技術の延長線上と捉えています。
今やAIが社会に与えるインパクトは、ITをはるかにしのぐかもしれない、とも考えられるようになりました。しかし実証的な研究はまだほとんどなく、よくわからないままに多くの人が「大変だ」「大変だ」とオオカミ少年のように叫んでいるのが現状だと思います。
大嶋:それでも欧州では、AIの脅威を「許容できないリスク」「ハイリスク」などの段階に分け、それぞれのリスクが雇用に与える影響などについても整理が始まっています。しかし日本では、こうした議論はあまりなされていません。なぜでしょうか。
濱口:欧米は、経営者が労働者を強力に管理してきた歴史的経緯から、経営者がAIも悪意ある道具として使うのではないかという警戒感が強く、それゆえに規制の議論が活発化しました。一方日本の労働者は、職場への信頼感が比較的強く、ジョブが不明確であるがゆえに、会社が存続さえしていれば雇用は守られるという感覚もあります。このためAIが自分の仕事を脅かすという危機感が薄いのです。
実際、高度な仕事ほどAIに代替されやすいとの研究に、最もショックを受けているのは欧米のエリート層です。彼らは近代欧州社会が形成される中で「人間たる自分」の存在意義を科学技術や芸術、エリートとしての職務のような、創造性を発揮する領域に求めてきました。AIの登場が、その土台を揺るがしているのです。
仕事もアイデンティティも生活保障も奪われ「焼け野原」に
大嶋:創造的な仕事ほどAIに代替され、機械に任せたい仕事が人の手に残されるかもしれない。こうした中、比較的スキルの低い労働者を、高度な仕事に移動させることが目的だったリスキリングのあり方も、見直しを迫られる可能性があります。またこれまで、自らのアイデンティティを「働く」ことに置いてきた正社員層は、仕事がAIに代替されることよって存在意義の拠り所を失い、リスキリングの意欲や仕事のやりがいを持てなくなってしまうのではないかとも懸念しています。
濱口:欧米企業と違い、日本企業は管理職も雑務を担うなど、エリート層とノンエリート層の境界があいまいです。アイデンティティを形成しているのも、仕事そのものというよりは「組織の一員として認められている」という認識です。このためAIへの代替が進んでも、雑務の割合が増えるだけで、内容的にはこれまでの仕事と地続きだとも言えますし、アイデンティティも維持されるのではないでしょうか。
大嶋:ただAIの活用で、企業が長期雇用の人材に担ってもらいたい仕事の総量が減れば、日本人は欧米以上に大きな打撃を受けるのではないでしょうか。というのも、日本では組織の一員としてのアイデンティティだけでなく、家族の生計費も含めた生活保障から人材育成、健康管理、そして共同体的つながりさえも企業が支える構造が色濃く残っています。企業がこうした機能を果たせなくなれば、少なからぬ働き手が気づけば何の支えもない「焼け野原」に立っていた、ということになりかねず、社会の安定も揺らいでしまいます。健康管理や人材育成の一部を外部へ移管したり、キャリアの空白期間や労働移動を前提とした生活保障に転換したりすることで、機能を社会に分散させる必要があります。
濱口: 1990年代前半にも「企業中心社会からの脱却」が議論されましたが、例えば健康管理については過労死が増加したことで「企業が責任を持って防ぐべきだ」という風潮が強まり、かえって依存度が高まってしまいました。高齢者の雇用確保義務も65歳から70歳に引き上げられ、転職や独立などで組織を離れる人間まで対象に含められるなど、当時の議論からは逆行する結果になっています。生活保障をベーシックインカム(BI)で行っていくべきだ、という議論もありますが、それには個人的に違和感があり、生計を支える仕組みは多様な方が、リスク耐性が高いと思います。
大嶋:企業中心社会があまりにうまく機能してきたがゆえに、さらに企業に責任を負わせる傾向が強まり、そこから抜け出ることが一層難しくなっている状況をまずは認識すべきですね。
労働者がつながる場を作り、残る仕事への移動を促す
大嶋:今後、人の担う仕事の中身が変わり、同時に総量も減るとすれば、より多くの人が労働移動をすることも必要になるでしょう。しかし当研究所の調査では、離職希望者の87%は、1年後も元の勤め先にとどまっており、その背景として、転職しても希望の労働条件が満たされそうにない、自分に合った仕事がわからないといった理由が多くを占めます。また失業給付や職業訓練も、移動のモチベーションを高める設計になっているとは言えません。今後、日本の労働市場はどのように変化するとお考えでしょうか。
濱口:基本的には、AIに代替されづらい人と人とのふれあい、対人サービスの仕事が残される可能性が高く、保育や介護のリスキリング需要が増えるかもしれません。ただリスキリングや失業給付の仕組みを変えても、労働移動を促すことの本質的な解決にはならないと思います。
日本企業は、転職が年収や地位のステップアップではなく下降圧力になりがちですし、職場も転職者に決して温かくはない。一度入った会社にとどまる方が多くの意味で快適なので、移ろうとしないのです。こうした「空気」は政策や仕組みで変えようとしても、なかなか変わるものではありません。
大嶋:日本の労働者は次のキャリアを後押しするような人間関係が希薄なため、このままでは企業に依存してきた個人が社会に放り出され、自律的なキャリアも築けず孤立することになりかねません。将来の仕事の可能性を考え、そこに移るための視野や実践的な知見を共有する仕組みとして、労働者が職場を超えてつながる場を作ることは有効だと思います。実際に大手企業の若手人材が集い挑戦を支え合うONE JAPANや、育休中や共働きの人が集いキャリアを相互に支援しあうikumadoをはじめとする横断的なコミュニティも現れており、希望を感じています。「コミュニティ・オーガナイジング」など、人が目的をもってつながり社会変革に取り組む方法論を教育に取り入れるなどして、次世代の意識を変えることも大事だと思います。
AIで作り出した余白で、コミュニティを再構築
濱口:近代化とともに個人主義が台頭する中でも、社会が共同体的なつながりを完全になくしてしまうことは不可能です。ただ日本では、主に企業にだけつながりが残され、支え合いの仕組みが集中したために、それ以外のつながりの大半が失われてしまいました。例えば学校のPTAなども、メンバーが一定の役割を果たしつつ、共同で何かを実現する場になり得ます。しかしわれわれはあまりに個人化され、自分の意志で参加していないつながりで義務を課されると「どうして私がやらなきゃいけないの?」という反発を強く抱くようになってしまった。いわば近代化の末、行き着いた病理に足を取られて苦しんでいるのです。
こうした中、企業に代わる支え合いの仕組みを作り直すのは、容易なことではありません。ただAIで仕事の総量が減るのはピンチではなく、共同体的なつながりの再生にエネルギーを注げるチャンスだ、と考えることもできます。
大嶋:AIの活用で生み出される余白を活用し、企業が担ってきた共同体としての機能を再構築することは、孤立を防ぎ、人間らしさを発揮する新たな場を創出していく上で重要だと感じます。研究の現場にいる私たちも、新しい共同体の価値や今多くの人が参加可能な形を提示していく必要がありそうです。
執筆:有馬知子
撮影:平山諭