成功の本質

第80回 スカイアクティブエンジン/マツダ

「世界最小」の開発部隊で「世界一」の性能を目指す

2015年10月10日

マツダ本社内にあるマツダミュージアムに展示されているスカイアクティブエンジン。右側がディーゼル仕様、左側がガソリン仕様だ。

マツダは昨期、過去最高益を更新、今期も海外生産は前年同月比16カ月連続プラス(2015年7月現在)と好調ぶりが目立つ。それには独自技術「スカイアクティブテクノロジー」搭載車の躍進が大きい。
この独自技術の中核をなすのが、ガソリンエンジンながら、世界一の高圧縮比化により、ハイブリッド(HV)並みの低燃費を実現した「スカイアクティブエンジン」だ。既存の常識をくつがえす技術は、1人の技術者がいなければ実現しなかった。
自動車業界に多くの技術者を輩出してきた東京大学工学部航空工学科出身。入社後は要素技術を先行開発する技術研究所でエンジンを担当した。新しい技術開発に次々取り組み、その成果を商品提案したが、採用されることはなく、報われない「虚しい日々」を20年間も送った。
「達成感もなく、年だけとってサラリーマン生活を終えるのか」と思いかけた40代半ば、EU環境規制という「待ち望んでいた外圧」が到来する。当時のマツダはHVも電気自動車の技術もなく、環境対応が遅れていた。不遇から一転してプロジェクトのリーダーに就くと、それまで蓄積した技術を総動員。"跳ぶ発想"により、既存の限界を超え、世界に類のないエンジンをつくりあげた。
必要なときに必要な人材が舞台裏から表舞台へ登場。トップ企業と比べて圧倒的にリソースが少ないがゆえに選んだ「内燃機関を磨く」という他社と異なる道筋が、結果として大きな成功に結びつき、今や世界中の自動車メーカーの注目を浴びる。売上高がトヨタのほぼ9分の1の「小さな会社」はいかに戦ったのか。1人の技術者とマツダの逆転のドラマをたどる。

ヘッドピン&ロードマップ

その技術者の名前は、人見光夫。現在、常務執行役員としてパワートレイン(*1)(PT)開発などを担当する。体重100キロを超す巨漢。「技術と冗談では誰にも負けない」が口癖で、独特なユーモア感覚が社内でも人気だ。

(*1)パワートレイン:エンジンがつくり出した回転エネルギーをタイヤに効率よく伝える装置の総称。

人見光夫氏
マツダ 常務執行役員
技術研究所・パワートレイン開発・統合制御システム開発担当

人見の逆転劇は2000年、PT開発本部内の先行開発部の部長に46歳で就任したときに始まる。エンジンの先行開発部員はわずか30人。当時、親会社だったフォードとのエンジンの共同開発に大量の人員をとられてしまったためだ。一方、業界トップ企業の先行開発部隊は1000人規模だ。30人で何ができるのか。組織は沈滞した。
部内には、制御先行開発と計算解析の部員もいたが、商品開発部からの下請け的な業務ばかり。「参画意識など持てるわけがなく、不満が募っていきました」(人見)
3年目の2003年、社員意識調査があり、先行開発部は散々な結果となった。放ってはおけない。外に目を向ければ、EUで厳しい環境規制の施行が2012年に予定されていた。自動車走行時のCO2平均排出量を1kmあたり120グラム以下にしなければならない。当時のマツダの水準は180〜190グラム程度。規制をクリアするには、燃費を30%以上改善した新エンジンの開発が必要だった。
2004年初頭、人見は意を決し、全部員宛てにメッセージを発信する。「マツダのエンジンといえば○○であると言ってもらえるような特徴をつくり出していく」「それは先行開発部の人間が考えなければならない」。そして、「先行開発部が革新の先導役を果たす」と宣言すると、新エンジン開発に踏み出した。
人見は人数が少ないなりの「選択と集中」の方法を導き出す。多くの課題のうち、これを解決すれば、ほかの課題も連鎖的に解決される主要な課題を見つけ出し、そこに集中する。人見は開発において焦点を絞る主要課題のことをボウリングに例え、「ヘッドピン」と呼んだ。
では、燃費改善のヘッドピンとは何か。人見は虚しい開発を日々行っていたころ、各メーカーが実施している燃費改善技術を傍から見て、実はどれも名前が違うだけで、整理すれば目指す目的は同じ、要はいかにエネルギー損失を減らすかにあるということに気づいていた。
エネルギー損失には、排ガスの熱になって捨てられる排気損失、エンジン熱がまわりを伝わって逃げる冷却損失などの4つの原因があり、それらを制御できる因子は、圧縮比、比熱比、燃焼期間など7つに集約できることを突きとめた。そして、「究極の理想像」を想定し、そこに近づくための制御因子を明確にして、進む道筋をロードマップで見える化した。人見が話す。
「燃費改善の制御因子は7つしかないとわかれば、回り道をせず、壁が高くても逃げず、前へ進め、ロードマップがあれば、今どこにいるかもわかる。30人でもやる気を持って開発ができると考えたのです」
アイデアをコンピュータで検証して開発を効率化するため、計算解析チームにも主体的に参加させ、部全体で一緒に開発する態勢をつくって参画意識を高めた。その成果は、翌年の意識調査で群を抜く改善となって表れた。

「振りきる発想」で常識打破

スカイアクティブテクノロジーによる基幹部品を初めてフル搭載し、ヒットを記録したCX-5。
Photo=マツダ提供

新エンジン開発は、特に「世界一の高圧縮比化」に焦点を絞った。圧縮比とは、燃焼室内で空気と燃料の混合気をピストンで押し上げて圧縮する度合い。高いほど大きな力を引き出せる。ただ、圧縮比を上げると混合気の温度が上昇し、ノッキングという異常燃焼が起こる。そのため、業界の常識では高圧縮比化は限界に達しているとされ、通常、圧縮比は「11」前後に設定されていた。
人見は思いきった手に出る。圧縮比を一気に「15」まで振りきってみる。実験を指示された担当者は躊躇した。が、試すと、危惧されたほどの障害は起きなかった。予想外の反応が障害を回避したのだった。
「圧縮比を少しずつ上げていくと障害が次第に大きくなり、実験はあるところで止まってしまいます。でも、人より早く新しいことを発見しようと思ったら、極端に振りきってみればいい。誰も行ったことのない領域に行ったら何が起こるかを、自分の目で見て、説明できる現象を発見できたらうれしい。技術者は絶対楽しくなるんです」(人見)
「振りきる発想」は、不遇の時代に自らの存在証明を求め、「世界一」の技術を目指したなかで身につけたものだった。ノッキングを防ぐため、排気管の形状と長さを工夫して、燃焼室内の混合気の温度を下げる方法も技術研究所時代に試した。何より、高圧縮比白体、かつての人見のテーマだった。
「今回、燃費改善を目的に共通課題の大元をたどったら、以前はただの思いつきで取り組んだ技術に、すべてつながったのです。私にとっては過去の経験の総動員でした。あとは“外圧”を待つばかりでした」(人見)
同時期、会社も危機感を抱いていた。EU規制にどう対応するか。リソースに限りがあるマツダならではの戦略が策定される。戦力の逐次投人を避け、全部品を同時に包括的に刷新し、今後10年間に開発する車種まで「一括企画」を行う異例の方針を決定。開発面では各車種の共通要素を抽出して理想型を追求し、変勣要素で個性を出す(コモンアーキテクチャー)。生産面では共通要素を活かし、複数車種を同じラインで流す(フレキシブル生産)。創造性と効率性を両立させる「モノ造り革新」構想を打ち立て、現場に「思いきった提案」を求めた。
人見は持論を提案する。2035年には2倍に増える世界の白動車販売台数の増加分は主に新興国の需要であり、その時点でも9割のクルマはHVも含め、内燃機関で動く。内燃機関を磨くことこそが地球環境に貢献することである。7つの制御因子の理想型を目指し、まずは世界一の高圧縮比エンジンを実現する。上層部はこれを承認。 2006年、正式にプロジェクトが発足。同じPT開発本部内の商品開発部から大量の人員が先行開発部へ移籍した。外圧と人見の信念が会社を動かしたのだった。
当初は混合部隊の常で“複数の船頭”が並び立ち、「高圧縮比化など失敗する」「ダウンサイジングをやるべきだ」と否定論もわき起こった。確かに、過給機(*2)を使つて性能を確保したまま排気量を小型化するダウンサイジングは世界的な潮流だったが、人見は過去の研究経験から、「高コストになり、マツダには不向き」との確信があった。

(*2)過給機:エンジンが吸入する空気の圧力を大気圧以上に高めることによって燃費を向上させる装置。

火の粉を振り払った本部長

スカイアクティブボディ。破壊に耐える剛性を向上させることで高い衝突安全性を確保しつつ、それと相反する軽量化も実現した。

1年後、新任の本部長が着任。「人見の技術を信じ、心中する覚悟である」ことを部内に示し、あらゆる火の粉や雑音を振り払ってくれた。プロジェクトは人見をリーダーに再スタートする。「そこまで自分を信じてくれる人を裏切るわけにはいかない」と人見は奮い立った。
一方、プロジェクトには、上からの指名で商品開発部から移籍してきた若手も多くいた。課題の難しさから、「なぜこんなしんどい道を進むのか」と質問してきた。
「初めのころは、世間がやっていることをやるほうが安心できる人が圧倒的に多かった。私はこう答えました。無難なことをやっていて生きていけると思うか。燃費がよくなり、価格も抑えられる。やるのは大変だけれど、顧客にとって、正しいことをやろう」(人見)
移籍組の若手技術者たちも、やがて同じロードマップを手に、前に進んでいった。
「技術者たちも、低い山に登っては、また別の山に登る、その繰り返しでした。一方、われわれは頂点を見定めた。頂点があると思えば難しかろうが、やるしかないという気になる。そして、やったことを積み上げた上に立てば、その先に登れる。ロードマップがあったから、進化できたのです」(人見)
2011年6月、スカイアクティブの名を冠した新エンジンを初搭載した新型「デミオ」発売。1リッターあたり30kmとHV並みの燃費を実現。翌2012年2月、エンジンのほか、刷新した基幹部品をフル搭載した新型「CX-5」が発売されるや、1カ月で月間販売計画の8倍を受注し、秋には「日本カー・オブ・ザ・イヤー」に輝いた。
プロジェクトの間、リーマンショック、東日本大震災、超円高と逆風が続き、マツダは4期連続赤字を計上。2013年3月期が赤字なら資金調達不可能の事態が予測されたが、CX-5のヒットが窮地を救い、黒字転換を叶えた。「すべてがギリギリ間に合った」と人見は感慨深げに言う。

「次はオールジャパンだ!」

2015年5月発売の「ロードスター」に至るまで、全6車種の新世代商品群は、「魂動」をコンセプトとしたブランド共通デザインも相まって好調な売れ行きを見せ、業績を押し上げていった。トヨタもマツダの低燃費技術に着目し、包括提携するに至った。
人見は今、ロードマップのゴールの1つ手前、第2ステップの新エンジンの開発を統括する。同時に、外に向けた働きかけも始めた。人見が話す。
「世界各国の規制がバラバラでも、共通して対応できるテンプレート的なモデルをつくる。地球上で1年間に販売されるクルマの4分の1は日本製です。オールジャパンでモデルをつくれば威力を発揮します。日本の各メーカーはバットとグローブは共通のものを使い、選手力で勝負する。ものごとはシンプルに対応したほうが強いのです」
何をやるかという発想には、会社の大小は関係ない。考え方で勝てれば、競争に勝つことができる。「小さな会社の賢い戦い方」が日本の自動車産業にインパクトを投げかけている。(文中敬称略)

Text=勝見明 Photo=勝尾仁

強い「問題意識」を持つとき「部分」の知が「全体」へと総合される

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授

スカイアクティブエンジンの開発過程で注目すべきは「部分」と「全体」のスパイラルな展開だ。近代合理主義では、脳(mind)が身体(body)を中央集権的に支配する二元論が説かれてきた。これを逆転させたのが、最新の脳科学の知見だ。一次的な知覚情報は身体を通してのみ吸収される。脳は身体からしみ出る一部の情報を認識して、過去の記憶と総合し、概念化する。
たとえば、ハワイの地を歩くと、多様な情報が知覚される。脳はいくつもの部分的な情報を総合し、全体として「南国の島」という概念を生み出す。次いで真珠湾周辺に赴くと、米海兵隊の前進基地があり、日米の歴史も埋め込まれている。そうした部分の情報を総合すれば、「太平洋の安全保障の拠点」という、より大きな概念となる。
身体が受け取る暗黙知を基盤に、身体と脳、暗黙知と形式知が相互補完、変換して、部分がより大きな概念で総合されて全体となる。この過程で「跳ぶ帰納法、すなわちアブダクション(仮説生成)」が入るとイノベーションが生まれる。
人見氏は、先行開発において個別具体の課題で解を追求した。「虚しい日々」のなかで、身体的知覚が脳で概念化され、経験が蓄積されていった。やがて2000年代に入り、EU環境規制、内部的には組織の沈滞に直面する。そのとき、「自分は何のために存在するのか」「何が善いことなのか」という強い問題意識を持ったことで、蓄積された部分としての知がすべてつながり、「内燃機関を磨く」という理想を目指す全体概念が導かれた。
その概念により部分の知も改めて意味づけされ、「エネルギー損失要因を制御する因子を探す」という方法論が見出される。そして、高圧縮比化において、常識を覆して「振りきる」という「跳ぶ仮説」が生まれ、前人未踏の領域に踏み込めたことで、イノベーションが実現した。
全体を部分に分ける論理分析的戦略に対し、部分と全体がスパイラルに展開するのが物語り的戦略だ。人見氏は自ら導いた成果をもとに、それを新たな部分とし、より大きな全体にも目を向ける。オールジャパンで燃焼の共通モデルをつくる物語りだ。競合も巻き込み、ともにオープンエンドの物語りをつむぐことができれば、自動車産業の歴史に革新をもたらすはずだ。ここに、不確実な時代の持続的競争力のあり方を見ることができる。

野中郁次郎氏

一橋大学名誉教授

Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。