大人が再び学んだら

天野 仁氏(銀行員 → 弁護士)

刺激的で面白い毎日。その実感に胸が躍る

2018年04月10日

Amano Hitoshi
弁護士法人ステラ 代表弁護士

転身のプロセス

1991年 23歳〜
早稲田大学法学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)に入行。3年間の支店勤務ののちに本部へ転勤、事務企画、外為やデリバティブ業務、法人向けインターネットバンキング開発などを担当する。

2008年 40歳〜
17年間勤めた銀行を退職し、早稲田大学大学院法務研究科に入学。未修者コースで3年間学び、2011年、司法試験に合格。1年間の司法修習(第65期)を修了し、弁護士に。2013年1月、法律事務所を開業し、"ソクドク"(即時独立)を果たす。

2018年現在 50歳
自身を含めた弁護士7名体制で、離婚・男女問題、相続、交通事故、企業法務、刑事事件など、幅広い分野をカバーする。モットーは「依頼人になり代われるほど相手を知って弁護に臨む」で、その誠実さには定評がある。

「弁護士資格を取る」。そう決めて動いたのは40歳のときだ。銀行員として17年間働いた天野仁氏は、3年間の支店勤務の後、主に事務企画や金融商品開発などといった本部の仕事に携わってきた。いわゆる出世頭だった天野氏の決断は、周囲を驚かせたという。
「『何それ、本気なの?』と、周りから騒がれまして。でも、僕にとっては自然な流れだったのです。というのは、僕はもともと社会や人に対する関心が非常に強く、そこに深くかかわる仕事をしたくて銀行に入ったんですけど、本部での仕事が長くなりすぎて、現場が遠のいていたんですね。立場もマネジメント寄りになり、プレイヤー時代が終わるという寂しさもありました。仕事にやりがいは感じていましたが、自分が本当にやりたいこととは違うなと。ならば、行く道は自分で決めよう--起業を視野に入れて、将来を考え始めたのです」
弁護士は子どもの頃から憧れていた職業だ。ずっと頭の片隅にあり、大学も法学部に進学したが、オリエンテーリングにのめり込んでいた天野氏曰く「忙しくて、司法試験の勉強どころじゃなかった(笑)」。棚上げになっていたその夢は、2004年にロースクール(法科大学院)が発足するというニュースを知ったことで再浮上する。法曹養成制度の改革を受けて、昔に比べると司法試験の合格率が4倍以上になっていたことも魅力的だった。天野氏は、統括していた大きなプロジェクトに区切りがついたところで、早稲田大学大学院法務研究科を受験。合格した段階で銀行に辞意を伝え、2008年の春、新たな一歩を踏み出したのである。

弁護士資格を取得して起業へ

ロースクールでは、法律を学んだことのない者を対象とする未修者コースを選び、3年間学んだ。純粋に学生の身となったこの期間は、「得た自由な時間を使ってあちこちに出かけたり、若い学生仲間と話をしたり、英気を養ういい機会になった」。
スパートをかけたのは、司法試験を受験する約半年前。このときに生きたのはオリエンテーリングの経験だ。地図とコンパスを使って、山中にある10~20のチェックポイントを回る時間を競うこの競技には、的確なルートを見極める力、それを実行する冷静さ、忍耐力が求められる。天野氏は、司法試験合格に向けて明確なルートを割り出した。
「いちばん大事なのは過去問を分析し、そのレベル感に合わせた勉強をすること。周りの多くの人は『難しくてまだ解ける段階にない』と過去問を後回しにしていたけれど、目的がはっきりしている場合は、まず達成への最短の道を探し、対策を立てないと。僕にとっては自然なことですが、意外にそういう勉強の仕方をしている人は少なかったですね」
ロースクールを卒業した2011年、司法試験に一発合格。そして「自由に働きたい」と考えていた天野氏は、弁護士業界でいうソクドク(即時独立)に踏み出す。まずはイソ弁(居候弁護士の略。法律事務所に雇われて働く新人弁護士)として経験を積み、それから独立するのが業界の常だが、ここでは社会人経験が生きた。「起業したくて弁護士資格を取得したので、早く実現したかったのです。それに、司法修習生として法律事務所で実務修習に就いたとき、先生が依頼人と面談しているのを見ていて、おこがましくも『すぐにできる』と思ったんですよ。人と向き合ってじっくり話を聞くのは好きですし、銀行本部の仕事ではあらゆる部署と連携してきましたから、身につけた交渉力、折衝力は事件関係者間においても生かせるだろうと」

培ってきた人脈が"強み"に

とはいえ、独立前後はそれなりに苦労した。弁護士激戦区である東京都内で開業するまでには、事務所探しに相当な時間をかけ、また当初は、同期の弁護士と"同居"するかたちにして経費を抑えるなど、知恵を絞ったという。
「何より、お客さんなしの状態でスタートしたことが大変でした。このとき指針になったのは、修習でお世話になった先生の言葉です。『人と会うことを億劫がってはいけない』『開業の挨拶状や年賀状は1000通出すこと』。つまり"弁護士がここにいる"ことを、常に発信し続けなさいという教えです」
その教えを守り続けてきて、気づいたのは"自身の知り合いの多さ"だ。かつて日本学生オリエンテーリング連盟の幹事長を務めた天野氏には、全国に知人がいる。銀行員時代の人脈もあり「それが僕の強み、財産だとわかった」という。現在は弁護士7名体制、事務所全体として常時、数百件の案件を扱うまでになった。「思っていたとおり、この仕事は本当に面白い。弁護士になっていなかったら会わずに終わっていたはずの人たちと胸襟を開き合い、事件も多種多様でまさに小説より奇なり......社会と深くかかわっていることを実感しています。新しい刺激に満ちた日々は、『人生、面白くなきゃ』という僕の思いを十分に叶えてくれていると思いますね」

Text=内田丘子(TANK) Photo=押山智良