野中郁次郎の経営の本質
丸井グループ 代表取締役社長 CEO 青井 浩氏
静かなリーダーシップで二項対立を乗り越える
経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。今回は小売と金融が一体化したユニークなビジネスモデルを展開する丸井グループのトップ、青井浩氏の「経営の本質」に迫る。
丸井グループ 代表取締役社長 CEO 青井 浩氏
Aoi Hiroshi
1961年東京都生まれ。1983年慶應義塾大学文学部卒業。1986年丸井(現・丸井グループ)入社。1991年取締役営業企画本部長、1995年常務取締役営業本部副本部長兼営業企画部長、2004年代表取締役副社長などを経て、2005年4月より現職。丸井は祖父、青井忠治が創業し、父、忠雄が2代目、そして本人が3代目社長を務める。2020年10月より世界経済フォーラム Global Future Council On Japan メンバー。オフタイムは生け花や瞑想、読書などをして過ごす。
店とは「商品を並べておいて売る所」(『広辞苑』)だが、丸井グループは目下、「売らない店」づくりを目指す。どういうことか。
新宿マルイ本館2階にはフリマ(不用品販売)アプリ、メルカリのテナントが入り、アプリの使い方が学べる教室を開催する。出品物の撮影や梱包を行えるブース、売れた商品を発送できる無人投函ボックスなどもある。確かに「売らない店」だ。7階に上がると、オーダーメイドスーツ店の「FABRIC TOKYO」があるが、ここも売らない。身体の採寸を行う場所であり、展示物は生地のみ。商品は顧客が店のホームページを通じて購入する。
こうした形で、商品やサービスの体験に特化、あるいは顧客に直接販売するネット企業のショールーム的意味合いを持つのが「売らない店」なのだ。その数は丸井グループ全国23店舗に出店するテナントのうち、現在は1割ほどだが、2026年までに3割に引き上げる計画だ。
社長の青井浩が話す。「ネット通販が普及すると、人々が店舗に行く必要がなくなります。ネット利用を前提にしたうえで、実店舗の価値を提供できない限り、私たちの事業は衰退せざるを得ない。それを打ち破るために掲げたのが『売らない店』というコンセプトなのです」
2020年春からのコロナ禍は、当然のことながら業績を直撃した。「特に4、5月は休業を余儀なくされました。創業90年を迎えた当社にとって、戦時中を除き、異例の事態です。店を開ければお客さまが来て、商品を買ってくれるという今までの当たり前が通用しない時代に入った、と改めて実感しました」
多様なステークホルダーを想定した共創経営
その2カ月間は出店テナント側も苦境に陥ったが、丸井グループ(以下、丸井)は家賃の免除に踏み切る。
「取引先も大変なとき、家賃という出費を強いていいのかという疑念が生じ、結局、テナントに収入がないなら、私たちにもないのがフェアだ、という結論に達しました」
この決断の背景にあるのが共創経営という考え方だ。顧客、取引先、株主・投資家、地域・社会、社員といったステークホルダーの「利益(金銭で測れる価値)」と「しあわせ(金銭で測れない価値)」が重なり合う部分の調和と拡大を「企業価値」と置き、“共”に“創” っていく。
短期的には価値の相反も起こり得る。先の家賃の問題でいえば、免除によるテナントの利益は丸井の債権放棄を意味し、株主の利益損失につながる。
「そこは株主総会でしっかり説明し、納得いただきました」
2019年からは前述の5つに加え、将来世代が新しいステークホルダーに加わった。青井は環境問題に敏感だったが、それをどう経営に反映させたらいいか、決めかねていたところ、アメリカ人思想家、バックミンスター・フラーによる「富とは私たちが将来世代のために残せる未来の日数である」という言葉と出合う。
「10代の私の子供がステークホルダーなんだと。私のなかでは6つのうち、いちばん重要なステークホルダーです」
企業価値を「利益としあわせの調和と拡大」としたのは2017年。それ以前は「利益の調和と拡大」だった。「お客さまにとっての『豊かな体験』、取引先にとっての『助け合える関係』、社員にとっての『働きがい』といったように、非金銭的価値の大切さに気づいたのです。それを『しあわせ』と定義し、目指す価値に加えました」
利益かしあわせかではなく、どちらも追求する。その姿勢は2019年改定のビジョン「ビジネスを通じてあらゆる二項対立を乗り越える世界を創る」につながる。歴史をひもとくと、丸井自体、二項対立どころか二項を融合させてきた。
「小売業でありながら金融業でもある。両方があって初めて丸井なんです」
月賦という言葉をクレジットに
丸井は、1931年、青井の祖父、青井忠治がのれん分けという形で、丸二商会という月賦店(クレジット専門の小売店)から独立、東京・中野に店を構えたことから始まる。営業品目は箪笥、茶棚といった家具が中心で、その後、洋服や蓄音機なども扱い、支店も増やしていった。
戦時中は政府による商業活動規制を受け、全5店舗を一時閉鎖するが、終戦後の1946年に家具の現金販売で営業を再開、翌年、戦前の本店跡に中野本店を再興した。その後の経済成長とともに、営業品目を増やす一方、チェーン店化を図り、家具や家電中心の月賦百貨店へと成長していく。1960年には月賦という言葉をクレジットに変え、日本で最初のクレジットカードを発行している。
丸井の名が一躍有名になったのは昭和の終わり、1980年代のことだ。所得が向上し、流通も多様化するなか、「家具や家電を月賦販売する」というビジネスモデルが行き詰まる。同業他社も同様の苦境に直面していたが、結局、丸井だけが生き残った。顧客を若者に絞り、品目を彼らの好むファッションに寄せたことが奏功したのだ。キャッチフレーズは「赤いカードの丸井」。
青井が社長に就任したのは2005年で、当時は若者の丸井離れが進み、「赤いカード」の威光も衰えつつあった。そこにリーマンショックが襲い、2009年、丸井は初の赤字を計上してしまう。
こうしたなか、青井が取り組んだのは3つの革新だ。まずはカード事業。従来の「赤いカード」は丸井でしか使えなかったが、これを「エポスカード」と改称するとともに、他店でも使えるようにした。そして、ターゲット層を、若者から全世代に広げ、品目もファッション中心からライフスタイル全般に拡大する。最後はテナントとの取引形態の変更。売上高に応じた金額を徴収する「百貨店型」から、固定額の出店料のみを徴収する「ショッピングセンター型」への転換である。売上のない「売らない店」が成り立つのも、この基盤があるからなのだ。
「世の中が動き、消費者の嗜好も変わったのなら、われわれも変わればいい。丸井のDNAには革新する力が組み込まれています。社長になり、家具販売という創業以来の事業を取り止めました。そのとき、祖父の墓前で誓ったんです。家具は止めますが、丸井のビジネスの本質は失わず、磨きをかけますと」
Photo =丸井グループ提供
信用はお客さまと共につくる
青井いわく、その本質は「信用は私たちがお客さまに与えるものではなく、お客さまと共につくるもの」という創業者の言葉に表れている。
「子供の頃から、私が丸井関係者だと知ると、出会う大人がみんな『昔、丸井に世話になってね』と言ってくれた。地方から上京しスーツが必要になり、丸井に行ったら、若いのにカードをつくってくれ、いいスーツを売ってくれたと。月賦販売、すなわちクレジットカードは持ち主の社会的信用を体現しています。初めてスーツを購入した店ではなく、社会人として初めて信用してくれた場所。この認識が丸井を90年間支えてきたのです」
実際、ほかの金融業では収入や年齢、社会的地位、資産残高に応じ与信を行うが、丸井は違う。最初は低い利用限度額からスタートし、利用実績に応じて額を上げていく。お客さまの信用を一体となってつくり上げるのだ。
さて、先の革新を成し遂げるためには、組織面の変革も欠かせなかった。
上意下達の風潮が強く、自由闊達な議論ができないことが先の経営危機につながったという反省から、青井が醸成を図ったのが「手挙げの文化」だ。
「社長になり、管理職が一堂に会する経営方針発表会で登壇すると、必ず居眠りする社員がいる。止めさせられないかと考え、はっと気づいたんです。この人たちは責任のある偉い人たちだけど、上から言われ、いやいや出るから寝てしまう。だとしたら、役職や年齢に関係なく、希望者だけに出席してもらえばいい」
今では、そうした会やプロジェクト、勉強会は手挙げ制で運営されている。希望者多数の場合はレポートを提出してもらう。事務局3名がそれを読み、出席者を決める。結果、出席者の年代や性別が分散して、活気が生まれたという。
青井は過去、リーダーとしての自分の資質にコンプレックスを抱いていた時期があった。「2代目社長の父は見た目も言動も“猛獣系”。私は対極で、線が細いといわれていました。そんな折、ハーバード大学のバダラッコ教授が唱える『静かなリーダーシップ』を知った。内省的で目立たない静かなリーダーのほうが複雑な状況に対処するのに向いていると知り、これだと思ったのです」
その静かなリーダーに、自らが考える経営の本質を問うた。「全ステークホルダーをつなぎ合わせ、1つにする媒介項が経営者。経営とはその媒介機能そのもの。利益としあわせの葛藤を調整しながら、調和させ、価値を生み出していくことだと思います」(文中敬称略)
Text = 荻野進介
Nonaka's view
小売・金融一体の二項動態経営
多様な関係性から知を紡ぐ
丸井の経営を深く知り、浮かんできたのは、「二項動態」という言葉だ。
西洋人は物事を「あれか、これか」という二項対立の枠組みでとらえる傾向がある。後にそこから、Aという項がBという項によって否定され、新たなC項が生まれるとする弁証法が生まれたのだろう。
この二項対立の弁証法に対し、A項、B項が動きのなかで両立し、両者が有機的に結びついてC項が生まれる様子を表したのが二項動態にほかならない。
丸井の場合、まずAに当てはまるのがテナント貸しによる小売であり、Bがカード事業という金融である。過去、株主からは、「小売業なのか金融業なのか、はっきりしてほしい」という要望があったそうだが、小売・金融一体のビジネスモデルを保持し続け、C項、つまり、同業が真似できない数々のイノベーションを実現させてきた。
カード事業は発行コストなどの初期費用がかかり、数年間は赤字を覚悟せざるを得ないが、成長率は高い。一方、テナント事業は最初から安定しているものの、成長率は低い。つまり、両者は長短相補う絶好の二項なのだという。
「店もネットも(売らない店)」「利益もしあわせも」という最近の施策も二項動態を体現している。
小売は売れ筋を見定める直感が肝になるため、どちらかといえば暗黙知が、金融は数字やルールが多いため形式知が重要になる。われわれが説く知識創造とは形式知と暗黙知の相互転換であるから、丸井は優れた知識創造企業でもあるだろう。
こうした二項動態の知創経営を推進しているのが自称「静かなリーダー」というのが面白い。「経営者は各ステークホルダーの媒介項」という言葉からも、「静かさ」が窺える。
しかも、ステークホルダーは六者を想定しているから、「三方よし」ならぬ「六方よし経営」でもあるのだ。青井氏はそうした多様な関係性を束ね、独自の知を紡ぐ。手挙げ制の文化を醸成し、仕事へのコミットを強め、モチベーションを喚起する。静かだが、したたかなリーダーであるのは間違いない。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。