野中郁次郎の経営の本質

島津製作所 代表取締役社長 上田輝久氏

社長は誰よりも勉強しなければならない

2021年08月10日

w167_keiei_01.jpg京都市内の島津製作所本社にて。右側にある、人の半身ほどの縦型の機器が2020 年11 月に発売された全自動PCR検査装置「AutoAmp」だ。
Photo =宮田昌彦

経営においていちばん大切なことは何か。経営とは人間が行ういかなる行為なのか。これらの問いに対し、経営者はおのおの、思索と実践から紡ぎ出された持論を備えているはずだ。今回は146年の歴史を持つ島津製作所のトップ、上田輝久氏の「経営の本質」に迫った。

島津製作所 代表取締役社長 上田輝久氏
Ueda Teruhisa
1957年山口県岩国市生まれ。1982 年京都大学大学院工学研究科修士課程修了、島津製作所入社。1995年京都大学博士号(農学)取得。1989年から2年間にわたり、米カンザス大学との共同ラボのマネジャーを務める。2000年分析機器事業部LC部長、2004年分析計測事業部品質保証部長、2007年執行役員、分析計測事業部副事業部長、2011年取締役、分析計測事業部長、2013年常務取締役、2014年専務取締役を経て、2015年6月より現職。

精密機器メーカーの島津製作所(以下、島津)が元気だ。2021年3月期の業績は売上高、営業利益ともに過去最高を更新、来期はさらにそれらを上回る予想を立てる。

好調を支える柱として注目されるのが、新型コロナウイルス感染症に対応したPCR検査関連事業だ。たとえば、2020年4月には、通常2時間以上かかったPCR検査が1時間程度で可能となる試薬キットを、同年11月には、操作が簡単な全自動PCR検査装置を相次いで発売している。同社では現在、上田輝久社長が、2020年5月にスタートさせた「感染症対策プロジェクト」が走っている。前月の4月から新しい中期経営計画が始まっていたが、その際には影も形もなかった。

感染状況が日々悪化するなか、何か手を打たなければならないと上田は考え、5月の社外向け決算発表会に合わせて、急遽、同プロジェクトを立ち上げたのだ。本人が話す。
「企業活動の自粛が要請されるなか、コロナ関連の製品を出すべきか出さざるべきか、社員たちが迷っていました。社外に発表した内容は社内にもすぐ伝わります。迷いを払拭させ、コロナはもちろん、感染症対策に関わるものはすべてやれと、発破をかける意味がありました」

初年度の成果として前述の全自動PCR検査装置のほか、京都産業大学がPCR検査センターを設立する際の支援、東北大学との共同研究が形となった呼気を用いる新たなウイルス検査法の確立、肺炎検査に活用する回診用のX線撮影装置の増産などがある。このX線撮影装置は患者のベッド脇での検査を可能とするため、国内外で引っ張りだこの売れ行きなのだ。

頼まれれば何でもつくる

短時日で成果を生み出す機動的な動きがなぜ可能だったのか。
「創業者、島津源蔵(げんぞう)は頼まれたら何でもつくりますと、仕事にあたっていたといわれています。それが脈々と継承されてきた結果、社内にさまざまな技術が蓄積されている。世の中で問題が起こったとき、何らかの形で対応できる技術が社内に必ずあるんです」

今回の試薬キットも、もともとは1997年に開発したものだ。その後、ノロウイルス検出用に最適化したキットを2006年に発売。まもなく、ノロウイルスは沈静化し事業は低調だったが、撤退しなかった。だからこそ、2カ月という短期間で、コロナに対応した製品開発が可能だったのだ。

ひと頃の日本では「選択と集中」が経営の王道といわれた時期もあった。
「当社とは真逆の手法です。安易に事業から撤退しない。結果、あるとき伸びた事業も、あるときは伸び悩むということを繰り返してきました」

この姿勢で技術やノウハウを地道に蓄積していったなら、他社が肩を並べるのは難しいだろう。何といっても、同社の歴史は146年を数えるのだから。

1875(明治8)年、島津源蔵が教材用の理化学器械の製造と修理を手がける同社を京都市内で創業する。源蔵は仏具製造と販売を生業としていたが、明治初年の廃仏毀釈(仏教排撃運動)をきっかけに仏具の将来性を見限った。代わりに、近代化へと舵を切った京都府が熱心に取り組んでいた小学校の整備に伴い、授業で使われる理化学器械の需要の高まりに目をつけた。

以後、お雇外国人の1人で、ゴットフリード・ワグネルというドイツ人技術者と知り合い、その薫陶によって欧州仕込みのものづくり理論や技術をマスターすると、さまざまな器械製造に乗り出す。まもなく、日本初の有人軽気球の製造と飛揚にも成功している。
その父とともに軽気球製造にも携わった二代目源蔵は、家業の手伝いに追われるあまり、小学校に3年間しか通わなかったが、15歳のとき、洋書の挿絵を参考に、感応起電機(電気の発生装置)をつくり上げてしまう。後に、日本で初めてX線の撮影に成功し、日本初の医療用X線装置や同じく蓄電池も開発するなど、まさに和製エジソンであった。

「事業の邪魔になる人」とは

その二代目が1939(昭和14)年に書き記した言葉がある。「事業の邪魔になる人」「家庭を滅ほろぼす人」、それぞれ15項目からなる訓語だ。
たとえば、前者には「自己の職務に精進することが忠義である事を知らぬ人」「共同一致の融和心なき人」「艱難(かんなん)に堪えずして途中で屈伏する人」、後者には「自分の一家と国家との繋がりを知らぬ人」「両親及び兄姉を敬わず夫婦和合せぬ人」「毎日不平を言うて暮す人」といった言葉が並ぶ。「こうあってはいけない」という“逆説”を記した島津流の価値観であり、行動指針といえる。上田はこの2つを新入社員向けの講話で必ず取り上げる。

上田は大学で液体クロマトグラフィー(液体中の各成分を分離させ、比率や量を計測する技術)の研究に携わり、その分析装置(液体クロマトグラフ=LC)を取り扱っているという理由で島津に入った。
1995年から10年間、そのLC開発部署の課長、そして部長として働くが、この間、最も力を入れたのは、顧客からのクレーム処理だった。 

通常は品質管理部門が対応するが、原因が不明の場合、開発部門が対応する。「クレーム先の1社が医薬品メーカーのエーザイでした。納入した複数台のLCで実験結果がばらつくので困る、と言うのです。何度も出張し、先方とともに原因の究明にあたり、結果として解決できたのですが、その過程で信頼関係が築けたのでしょう、思わぬ副産物がありました。医薬品分析システムを共同開発しないか、と言われたのです。ぜひと応じ、2年あまりの期間を経て、2001年、複雑な試料処理を自動化した画期的製品を上市することができました」

そんな上田は社長のあるべき姿として、「誰よりも勉強していること」を挙げる。「関連本を買いこみ、1人で読破するというやり方はとりません。そもそも本に書かれているのはひと昔前の内容です。そうではなく、その分野の最先端の知見を持った研究者に依頼し、社内で講演してもらう。1時間も話を聞けば、多数の本を読破する以上の収穫がある。私はいちばん前の席に陣取り、熱心に質問します。そこからさらに共同研究を持ちかけたり、技術顧問になっていただいたりしています」

w167_keiei_02.jpg Photo =島津製作所提供

メモからシナリオが生まれる

w167_keiei_03.jpg Photo =宮田昌彦

シナリオも製品開発も、失敗することがあるが、高みを目指すためのものであれば、咎められることはない。そうやって得た知識や気づいたことを、上田はすぐにメモするという。昔は手書きだったが、今はタブレット端末を使う。なかには記事の要約や画像を張り付けたメモもある。
「それらを見返していくと、未来に向けたシナリオが生まれる。たとえば、食品の機能性成分に関する最先端の研究についてのメモと、県産の野菜や果物を海外に輸出したいと考える知事の話をまとめたメモがあったとします。その2つを組み合わせると、『その県に研究拠点をつくり、地元食品のブランド力を高める』というシナリオが生まれる。そこには当社の分析機器を設置してもらう。実際、宮崎県で、それが形になっています」

「2002年にノーベル化学賞を受賞した当社の社員、田中耕一の研究も理論追求型ではなく、失敗した実験で起きた事象を見逃さなかったことが大きな実を結びました。しかも、失敗を繰り返し、それを糧にすることは、初代、そして二代目源蔵にも通じることです。社内ではよくこう言っています。『失敗から学べ。失敗を恐れ、何もしないのがいちばんよくない』と」

人事の基本は適材適所だという。「そのためには、特に上司が各自の強みと弱みを把握しておかなければなりません。異動を決める際、エース級の人材ほど、現部署が囲い込みにかかるから難しい。その場合、彼のこの強みを伸ばすため、あるいは、弱みを補完するために、こういう経験が次に必要なんです、と理由を説明できなければなりません」

上田にとって経営の本質とは何だろうか。「未来を見通すこと。その力をトップはもちろん全員が備えていなければならない。しかも、未来は与えられるものではなく、自分たちがつくり出す。そのために重要なのが過去から学ぶことです。過去には先人の知恵がつまっており、現在を通じて未来とも結びついているわけですから」

上田の座右銘は『三国志』で有名な諸葛亮孔明(しょかつりょうめい)の言葉とされる「寧静致遠(ねいせいちえん)」。丁寧に真心こめて、一つひとつの仕事を成し遂げていかなければ遠大な成果を得ることはできない。これは島津という企業のあり方を規定した言葉のようにも思える。大切な顧客がもたらしてくれた仕事や課題から逃げてしまえば、経営は傾き、長大な歴史を刻むことはできないのだ。(文中敬称略)

Text = 荻野進介

Nonaka's view
生産財企業には珍しい機動力
逃げない姿勢と日々の学びが鍵

島津製作所には計測機器、医用機器、産業機器、航空機器の4つの事業があるが、主力は計測機器事業である。売り上げの6割、利益の8割以上を稼ぎ出す同社の屋台骨だ。

二代目島津源蔵が日本で初めて撮影に成功したX線は、人体に通過させることで、腫瘍などの存在を可視化する物質だ。約1世紀後、たんぱく質を質量分析するための新しい方法を考え出した田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞する。

何かを分析したり、計測したりする場合、それが見えるようにしなければならない。島津の歴史に欠かせないこの2つの事象からいえるのは、島津製作所とは「見えないものを見えるようにする会社」ということだ。

その「見えないもの」を可視化し続けていくために、上田輝久氏いわく、顧客との対話を欠かさない。頼まれたら何でもつくる。クレームにも真摯に対応する。その姿勢が顧客との関係を強める一方、ものづくりの経験と技術が社内に蓄積されていく。結果、コロナのような突発的出来事にもすばやく対応できる。

上田氏は多方面の勉強も怠らないという。本を読むのではなく最先端の研究者の話を聞く。着想はすぐにメモし、時に並べ、相互の関係性を読む。それが次のシナリオや新しいコンセプトになる。

同じメーカーでも、生産財を扱う企業は消費財企業に比べ、機動力で劣るものだが、島津は違う。昨今われわれは数字や理屈を駆使する一般的な戦略論に代え、もっと人間くさい戦略論を提唱している。いわくヒューマナイジング・ストラテジーという。その立場からすると、戦略には経営者や企業の「生き方」が色濃く反映される。まさに島津がそうだ。さらにその戦略は、プロット(筋立て)とスクリプト(その筋立てを実行するための行動指針)で構成される。島津の社是「科学技術で社会に貢献する」がプロットにあたるのは容易に想像できる。一方のスクリプトは二代目源蔵による逆説的訓語「事業の邪魔になる人」ではないだろうか。

温故知新で未来を見すえる知的機動力に富んだ企業である。

野中郁次郎氏

一橋大学名誉教授

Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。