極限のリーダーシップ

長野県中野市 ぶどう生産者 町田 仁氏

まず自分が作り儲けてみせる。そうすればみんなもやりたがる。やってみせるのがいちばん早い

2021年06月10日

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長野県中野市のぶどう生産者、町田仁氏は2005年、国の試験場である農研機構 果樹研究所ブドウ・カキ研究部を訪れ、ある種なしぶどうの新品種を口にした。「香りがよくてすごくうまい。粒も大きい。最高だと思いました」。シャインマスカットとの出会いだった。
長野県中野市は1950年代から巨峰の生産に力を入れ、かつては生産量日本一を誇ったぶどうの一大産地。だが、1990年代から巨峰の価格の下落に悩んでいた。食べやすい種なしぶどうの人気が高まり、種のある巨峰が売れなくなっていたのだ。
「山梨は種なし、長野は種あり。1990年代までそれが常識だった。私たちは、ぶどうは種があってこそ本来の味と思いこんで作っていました」
だが、ぶどう栽培を辞めてさくらんぼやプラムなどに転作する生産者も現れ始めた。
「このままでは中野のぶどう産業そのものが衰退してしまう。市場が求めている種なしぶどうを作らなければ生き残れないと焦りを感じました」
巨峰の価格は下がり続け、このままでは農家を続けることさえ難しいというところまで追い込まれていた。そんなときにシャインマスカットと出合った。町田氏は背水の陣で生産に取り組むことを心に決めた。

シャインマスカットで日本一の産地を目指す

国の試験場で作られた新品種は日本全国の農家が栽培することができる。「これだけおいしいぶどうだ。引く手数多になるだろう。早く苗を手に入れて、一気に増やして中野市でシェアを取りたい」。町田氏は中野市の生産者に試験場で見たシャインマスカットの話を持ち込んだ。しかし、実際に味わっていない生産者たちにはなかなか話が通じない。
「シャインマスカットが当たらない理由がない」。そう信じていた町田氏は思い切って自分の畑の半分をシャインマスカットに転換した。通常、作物の転換は失敗のリスクを考えると畑の10分の1にとどめるものだが、それをはるかに超える転換だ。「早く作って、早くもうけたほうが勝ち。だったらまず自分が先陣を切ってしまおうじゃないか、と」
もう1つ、町田氏の大規模な転換には思惑があった。
「ある品種の産地として認められるには、一定のボリュームの出荷量が必要となる。そのためにも中野市全体で取り組まないと意味がない。だから、まず自分が量を作り、儲けてみせる。そうすればみんなもやりたがる。やってみせるのがいちばん手っ取り早いのです」
2008年、町田氏は中野市の生産者の組合である「JA中野市ぶどう部会」の部会長に任命され、本格的に「シャインマスカット産地化プロジェクト」を立ち上げる。当時シャインマスカットの苗は日本中で争奪戦が始まっていた。中野市も十分な量の苗を入手することができない。そこで、JA中野市ぶどう部会が協力してシャインマスカットの枝を各農家の別品種のぶどうの樹に接ぎ木して増やした。また、多めに苗を入手できたときはJA中野市が苗を育て、シャインマスカットに取り組みたい農家に成長した苗を渡し、1年でも早い収穫を実現できるようにした。
「実際に収穫できるまでの5~6年は本当にうまくいくかわからず、暗闇のなかでした」
2012年、ようやくシャインマスカットの出荷が始まった。町田氏の予想どおり、シャインマスカットは全国レベルで人気となる。その年、中野市のぶどうの売り上げは前年より約4億円増の25億円となった。その後も順調に売り上げが伸び、中野市のぶどう産業はみごとに復活。そのV字回復は話題となり、2017年には、日本農業賞「集団組織の部」で大賞を受賞し、取り組みが評価された。2020年の売り上げは61億円に達している。

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人をひきつける産業に

JA中野市はシャインマスカットのブランド価値を高める施策にも力を入れている。1房の粒の数、粒の大きさに規格を作り品質を担保。さらに栽培や保存の独自技術を開発し、年間のうち9カ月の長期シーズンでの出荷を可能にした。これらの施策によって「中野市産は品質も入荷量も安心」という市場の信頼を作りあげている。
市場の信頼は、ぶどうの価格の高値安定にもつながる。シャインマスカットに転換する農家が増え、また、都会に出た若い後継者たちが戻ってくるようになった。さらには、中野市のシャインマスカットなら収入を見込める、とIターン移住で農業に従事する新規就農者も増えた。JA中野市では、シャインマスカットの新規就農者に栽培ノウハウをオープンにし、指導も手厚い。「誰かが質が低いぶどうを作り、それが出回ってしまうと評判を落とします。だから、全員が質の高いぶどうを作れることが重要なのです」

Text=木原昌子(ハイキックス)

プロフィール

町田 仁氏

Machida Hitoshi 長野県中野市「ぶどうの沢乃園」園主。江戸時代から続いている農家の9代目。先々代が1960年から巨峰を中心にぶどう栽培を始める。中野市のぶどう生産者で構成される「JA中野市ぶどう部会」部会長を2008~2009年に務める。中野市のぶどう生産者のなかでもいち早く新品種シャインマスカットの栽培を開始し、中野市のシャインマスカット産地化へのきっかけをつくった。