人事、仏に学ぶ

高いプロフェッショナル意識を持つには?

2019年02月10日

仏教では思い通りにならない人生 と向き合うにあたり、8つの実践手段として「八正道(はっしょうどう)」が定められています。このうち最初に示されるのが、 物事をバイアスなくありのままに見る「正見(しょうけん)」です。
私たちは「正しくものを見る」というと、真っ先に脳の働きを考えます。しかし、たとえば人間の脳をタ コに移植したとしても、足の1本も動かせないだろうと言われています。つまり、人間の脳は人間の身体を 伴って初めて機能するものであり、正見も「己の身体まで含んだ上で実現する営み」だと考えられます。 仏教では、この身体性を重視します。八正道の最後には、正しく坐禅を組む「正定(しょうじょう)」があり、この実践が正見を支えます。私が所属する宗派において重視されている修行は、まさにこの坐禅なのです。
坐禅には、メトロノームの針のように上半身を振る「左右揺振」と呼ばれる姿勢の整え方があります。背 骨を軸にして、最初は大きく、そして徐々に振れ幅を小さくしますが、このとき意識的に止めてはいけません。勝手に止まるまで体に委ねると、最もバランスのとれた姿勢で止まります。言い換えると、「作為的な型」に自分をはめ込むのではなく、力みのとれた「自然な型」に身を任せるという感じです。
坐禅を通じてこうした「型」と向き合っていると、心も体も「今まさに自然体になっている」と気づく瞬 間があります。これこそがプロフェッショナルのあり方でしょう。とらわれない思考、力みのない態度、言い換えれば「自由」ということです。 ただ、仮にそうしたありようを体 験できても、そこで終わりではありません。お釈迦(しゃか)様が悟りを開かれた後も修行を継続したように、ビジネスパーソンにも継続的な修行が大切です。それは、毎日の仕事や行動を、一つひとつ丁寧に見つめる続けることでしょう。何かに心がとらわれた状態を脱し、あらゆることを丁寧に行うことで自由へとシフトさせ、プロとしてなすというわけです。
丁寧な行いには、自然と丁寧な思考が宿ります。これはやってみなければ実感がわきません。実践によっ て身体性をともなった知識に触れることが大切です。

Text=白谷輝英 Photo=平山諭

吉村昇洋氏

曹洞宗八屋山普門寺副住職

Yoshimura Shoyo 駒澤大学大学院人文科学研究科修了(仏教学修士)、広島国際大学大学院総合人間科学研究科修了(臨床心理修士)。僧侶として活動するかたわら、臨床心理士、相愛大学の非常勤講師、精進料理を中心とする料理研究家、テレビコメンテーターなどとして幅広く活躍している。著書に『禅に学ぶくらしの整え方』(オレンジページ)などがある。