人事、仏に学ぶ

社会や組織の分断を避けるためどう行動すべきか

2020年08月07日

w161_hotoke_01.jpg私は今、ニューヨーク・マンハッタンのタウンハウス(共同住宅)に住んでいます。本来は3月下旬、彼岸のために一時帰国する予定だったのですが、新型コロナウイルスの感染拡大により戻れない状況です。
コロナ禍による死者数がピークを迎えた4月上旬、ニューヨーク市民の間には一体感がありました。「互いに助け合おう」「医療関係者やインフラ業務従事者に感謝しよう」という機運が、自然発生的に生まれていたのです。ところが5月下旬に人種差別反対運動が起きると、状況は一変しました。それまでの連帯は忘れられ、社会的分断が進んでいます。
この分断を生み出しているのは、人の心の奥底に潜む「無意識の偏見」ではないでしょうか。ほとんどの人は、自分には偏見などないと考えていますが、人種や性別、宗教などで相手を決めつける傾向は、どんな人にもあるのです。そして、無意識の偏見が「意識的な偏見」、すなわち人種差別などに変わったとき、それは非常に危険なものとなります。
日本には、異質な相手を嫌ったり避けたりする独特の閉鎖的な文化が存在します。コロナ禍のもとで自粛圧力が生じたことも、そうした文脈上にあるのでしょう。ですから、我々が他者を「異質だ」と感じたとき、それが無意識の偏見から生まれていないかどうかを感じとることが大事です。特に人事担当者は、社員や求職者を偏った目で見ないこと。それは、社内の分断をもたらすからです。
新型コロナウイルスの行く末は不透明ですし、この先日本に第2波、第3波がこないとも限りません。その際、危機に直面して異質なものを拒む気持ちが露呈し、激しい分断が起こるかもしれないのです。そうなれば、誰も幸せにはなれません。人は相手を幸せにすることで、初めて救われる生き物だからです。
仏教には、正しいものの見方を指す「正見(しょうけん)」という教えがあります。無意識の偏見をなくし分断を回避するには、自らの目がゆがんでいることに気づき、できるだけ偏りのない見方をするよう常に心がけるしかありません。それは、人事担当者にとっても大切なことだと、私は考えます。

Text=白谷輝英

松原正樹氏

臨済宗妙心寺派佛母寺住職

Matsubara Masaki 米コーネル大学でアジア研究学の修士号と宗教学の博士号を取得。カリフォルニア大学バークレー校仏教学研究所、スタンフォード大学HO仏教学研究所を経て、現在はコーネル大学東アジア研究所研究員、ブラウン大学瞑想学研究所講師。グーグル本社などで禅や茶道の講義も行っている。また、千葉県富津市の臨済宗妙心寺派佛母寺で住職を務めるなど、日米を股にかけて活動中。著書に『大丈夫! 雲の向こうは、いつも青空。 365 日を「日々是好日」にする禅のこころ』(実業之日本社)、『心配事がスッと消える禅の習慣』(アスコム)など。