人事のアカデミア

物語論

人は、〈世界〉も〈私〉もストーリーの形で把握している

2020年12月10日

物語を語れるのは人間だけだといわれる。最近では、経営やマーケティングの世界でも、物語の重要性が指摘されるようになった。「人生には物語が必要だ」といったフレーズはすっかりおなじみだが、身近なはずの物語の正体を私たちはよく知らない。文学研究の枠を超え、人間の思考や文化をひもとくうえで、重要な示唆を与えてくれるのが、物語の構造や役割を研究する物語論だ。そもそも「物語」とは何で、どのようにつきあっていけばいいのか。物語論に詳しい千野帽子氏に聞く。

できごとを時系列に並べて語っていく

梅崎:もともと物語の研究は、文学理論として発展しました。

千野:物語は、人間の思考の枠組みの1つです。物語論というと文学研究の一分野のイメージが強いですが、近年、特にヨーロッパでは進化心理学や脳神経科学などとも結びつき、広く人間や文化の研究にも展開されています。

梅崎:ご著書では「人は物語る動物である」と書かれています。

千野:日常の会話も、小説も、ニュースもすべて、できごとを時系列上の連鎖で語っています。人は、できごとを時系列に並べた形、つまりストーリー形式で世界を認識しているのです。ストーリーは人間の認知に組み込まれたスキーマ(図式)であり、ストーリー形式が理解できないと社会生活を送ることさえ難しくなるでしょう。

梅崎:「人は物語る動物である」と聞くと、自分が物語を作るのだから自由に操作できるだろうと誤解しがちです。しかし実際は、人はストーリー形式でしかものごとを理解できない。「物語る動物」とは、誰もがストーリーから逃れられないという意味ですね。好むと好まざるとにかかわらず、頭のなかで自動的にストーリーを作ってしまう。

千野:その通りです。ストーリーに縛られているから、人は「雨乞いをしたから雨が降った」など、関係ないできごとも因果関係があるかのように意味づけてしまいます。理不尽な目に遭ったときに「これは何かの天罰ではないか」と考えてしまうのも同じこと。人間の脳は「わからない」ことが苦痛なので、無理にでも理由をあてがってしまうのです。

梅崎:「なぜ私がこんな目に遭うのか?」の説明がほしいんですね。

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千野:「なぜ?」と問いながら、そこで知りたいのは理由ではなく意味であることがほとんどです。「なぜ私がこんな病気になったのか」と嘆いている人に、病気の原因や罹患率を説明しても納得しないはずです。

梅崎:確かに、そんなことを知りたいわけではないでしょう。一般論を説明されても、ほかの誰でもない「この私」に降りかかった問題は、まったく解決されません。「なぜ私が?」という実存的な問いの答えにはなりませんね。
私自身の経験でも、大学院で社会人学生の指導をするとき、理論的な仮説や統計データを示して説明すると、頭では理解しているはずなのに、あまり納得してもらえないことがときどきあります。ところが、そういう学生が、何かの理論や分析結果に触れた途端に、急に目を輝かせることがある。あれはおそらく、研究対象のキャリア一般の話ではなく、その人自身の「この私」のキャリアの物語にヒットする何かに触れたからなのでしょう。

千野:そうだと思います。基本的に学問は、個別の「私」の問題を組み込みません。実存からできるだけ距離をとろうとするのが、科学者の良心といえるでしょう。
一方で多くの人は、実存的な問いと一般的な問いをあまり明確に区別していないので、個別の話と普遍の話がごっちゃになりがちです。「自分はこうした」と一人称で語るべき話を、「人とはこういうものだ」などと根拠もないのに決めつけて、主語の大きな一般論にしてしまうことがあるので、注意が必要です。

梅崎:ありますね。実存的な問いに対して「自分はこうしたから、あなたもこうすべき」と言ってしまう。

千野:参考にはなるかもしれませんが、誰にでも適用できる普遍的な法則ではありません。「べき論」というのは、意外と感情的なものなんです。「××であるべき」は、本当は「××だったらいいなあ」程度の話です。そして、個人は自分が生きているせいぜい何十年間の、自分が見て、聞いて、触れている範囲でしか世界を把握することができません。「わかった」と感じても、しょせんは自分の手持ちの一般論で説明できたにすぎないケースのほうが多いものです。

 

すべてはサバンナで生き延びるために

梅崎:なぜ人は、これほどまでに物語に縛られてしまうのでしょうか。

千野:進化の過程で、たまたまそういう特徴を持ったのでしょう。何も人間だけが特別な存在だと言うつもりはありません。蜘蛛がお尻から糸を出して巣を作るように、人は物語るという行動をとるようになったということです。何十万年もの人類の歴史のなかで、農業が始まったのは比較的最近のことです。宗教が生まれたのも、工業が始まったのも、ましてや会社組織ができたのは、ついさっきと言ってもいい。それ以前のほとんどの時間を人類はサバンナに住み、家族あるいは小集団で生活していました。
進化心理学の基本的な考え方では、人の脳は、サバンナで生き延びるのに最適な形で作られたとされています。おそらく僕らの先祖は心配性で、不本意なことに注目しがちで、理由が知りたくて、自分が正しいと思い込むタイプだったのでしょう。逆に言えば、そうでないタイプはサバンナで生き延びることができず、滅びていったのだと思います。そのときに形成された脳のまま、僕たちは現代の高度情報化社会を生きているので、しばしばコンフリクトが起きます。

梅崎:たとえば何でしょうか。

千野:人はストーリー形式で世界を把握していると言いましたが、「私」も物語の形をしていると考えることができます。そのときどきのできごとを時間順につなぎ合わせて、あたかも一貫した「私」という存在があるかのように物語っているのです。進化心理学でも、脳科学でも、最新の知見では人間の決定において「脳内にボスはいない」という考え方が主流になっています。各モジュールが勝手に機能しているだけで、会社組織のように全体を統括するCEOがいるわけではないのです。

梅崎:ピクサー映画の『インサイド・ヘッド』を思い出します。主人公の少女の頭のなかで「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」の5つの感情が奮闘するというお話です。作家の平野啓一郎さんも個人ではなく「分人主義」を唱え、「本当の自分なんてない」と指摘されていました。
しかし、現代社会では、一貫した「私」がいないと困ったことになります。「今の自分は1分前の自分とは違うから、5分前の約束は果たせない」となったら、社会システムが崩壊してしまいます。

千野:まさに法律も、一貫した「私」が存在するという前提に立っています。責任を背負える主体があるから、法律の専門家がそれぞれ知恵を絞ってストーリーを組み立て、動機を明らかにしようとする。でも実際には、人は必ずしも理由があって行動を起こすわけではありません。太るし、虫歯になるとわかっていても、甘いものを食べてしまうのは、生き延びるために糖分を摂取することが有効だった時代の名残りでしょう。わかっているけどやめられない、不合理な行動はいくらでもあるものです。

脳が作り出した物語に縛られる必要はない

梅崎:会社組織においてもさまざまなコンフリクトが起こっています。昔は、たとえば松下幸之助物語のような大きな物語に皆が参加していくようなイメージでしたが、今はそれぞれが実存的な問いを抱えていてバラバラにストーリーを作り続けている。昔より多様になったけれど、より排他的になっている気がします。

千野:いわば、強い物語が複数、戦いあっているような状況ですね。それぞれのストーリーのエッジが立っていて、お互いにけんかしているような感じがします。昔のほうが健全だったとは思いませんが、もっと物語の数も少なくて、「それはそれとして、まあ1杯どうぞ」みたいな大まかなところがありました。今はそういう曖昧さが耐えられないのかもしれません。

梅崎:曖昧さを排除したら、すべて平行線です。なのに、自分とは異なるストーリーに出合ったときに、論破するか無視するかの二択しかなくなっている。

千野:実存的な悩みが悪い方向に働いている気がしますね。

梅崎:人事制度においてもそうです。もともと完全な評価方法など存在しないので、全体に適用すると皆それぞれに不満を持ちます。「なぜあいつは自分より給料が○万円高いのか」という「この私」の問題が解決されないまま、たくさんの実存的な問いが組織のなかにはびこっている。「こんなに頑張っているのに、なぜ自分は評価されないんだ」と皆が思っているところに、「これからは成果主義だ」「次はジョブ型だ」と新しい物語が現れると、一気に飛びついてしまう。

千野:今の仕組みがダメで、新しいものはクリアでフェアだと思い込んでしまうのはとても危険です。頑張るといっても主観的なものですし、努力ではどうにもできないこともあれば、たまたまうまくいくこともある。冷静に考えれば、クリアでフェアな仕組みになったら、自分の給料はもっと下がる可能性も大いにあるのに、人間の脳は自分の都合のいいように決めつけてしまうんですね。

梅崎:人間が物語から逃れられないのだとしたら、どのようにつきあっていけばいいと思われますか。

千野:抜け出すことはできなくても、その仕組みを知り、人間がどういうスキーマで行動しているのかを学ぶことはできます。不本意なストーリーも、それは自分の脳が意味づけた1つの見方にすぎない。1つに縛られる必要はないのです。

梅崎:実存的な悩みを個人の問題として抱えるよりも、人類の脳の仕組みの問題と捉えたほうが楽になれます。異なるストーリーに出合ったときも、対決するのでも、無視するのでもなく、ほどよい距離感を保ってゆるやかにつながることができるようになるとよいですね。

千野:そういうことです。現代人は曖昧さが嫌いで、すべてをコントロールしたがる傾向がありますが、僕たちの脳はサバンナ時代のまま。自分も進化の産物なのだという視点を持つと、少し楽になれるのではないでしょうか。

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Text=瀬戸友子 Photo=刑部友康(梅崎氏写真)

千野帽子氏

Chino Boshi パリ第4大学博士課程修了。文筆家として本に関するエッセイなどを執筆するかたわら、講義・講演活動、公開句会「東京マッハ」の司会のほか、自ら句作も行う。
◆人事にすすめたい1冊
『人はなぜ物語を求めるのか』『物語は人生を救うのか』(ともに千野帽子・著/ちくまプリマー新書)。人が生きていくうえで欠かせない物語とは何か。その仕組みを理解し、人生を生きやすくするストーリーとのつきあい方を考える。

梅崎 修氏

法政大学 キャリアデザイン学部 教授

Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。