「ゆるい職場」は新入社員育成に何をもたらすか
グレートリセットされた新入社員の職場環境
2021年夏のダボス会議の全体テーマは「Great Reset」であった。時計の針は戻すことはできない、リセットボタンが押されてしまってもう前の世界には戻ることができない、そんな意味を持つキーワードである。
さて、本稿では第一回、第二回と現在の新入社員の職場環境が変化し、また、新入社員自体も多様化していることを検証してきた。こうした新入社員を取り巻く変化もまた、Great Resetである可能性が高い。なぜならば、社会全体の要請に基づいて国の法律が変わったことに起因しているためである。2010年ごろから若者たちの間で使われだした「ブラック企業」という概念は、2013年には流行語大賞トップテンにもなった。こうした運動もあり2015年には若者雇用促進法が施行され、企業は職場情報の開示を義務付けられた。また、2010年代後半、大手企業において若手社員が過労死するという痛ましい事件が起きた。こうしたなか、日本社会全体で働き方改革が共通課題となり、2018年の大規模な労働法改正に至っている。その後もパワハラ防止法、育児・介護休業法など近年も労働に関する法律の改正の動きは続いており枚挙に暇がない。
こうした法改正の評価についての議論は控える。ただ当然のことだが、過去のような職場環境に戻すことは社会的にも困難であることに加え、法的に違法となる可能性もあり、昨今のコンプライアンス重視のなかでは極めて難しいと言わざるを得ない。また、「人的資本経営」が提唱されるなか、社員を重要なステークホルダーと考える企業も増えている。各種ステークホルダーにかかわる社会性の高い企業の取組みを投資判断につなげようとする動き(ESG投資)も活発化しており、かつてのような厳しい労働環境が許容される余地は乏しい。こうした大きな潮流をふまえると、コロナショックが鎮静化しようがしまいが、もう元に戻ることはないのである。
このトレンドはどういった課題を生むか
ここで、現在起こっている変化が今後も継続するとした場合に、大手企業の新入社員育成において起こると考えられるポイントを列記する。
① 職場だけでは新入社員を育てきることができない
本稿でもデータを示したように、労働時間の上限規制など諸々の法改正により、大手企業の新入社員の労働時間は着実に減少している。こうした事実は、職場で伝達できるノウハウ、スキル、ネットワークの量が以前と比べて減少することを意味する。もちろん、「生産性・学習効率を上げれば労働時間が減っても従来通り育成できる」と言った意見もあるが、生産性を上げることが如何に難しいかは容易に想像がつくし、まだ仕事を習熟する段階にある新入社員においては尚更と言える。
労働時間、つまり職場にいる時間が減少するということは、職場での育成的な関わりが減少するということである。「職場での従来と同じような育て方は難しくなっている」という状況が出現すると考えられる。
② 入社後の若手の間で経験・スキル・ネットワークの差が拡大する
職場での労働時間が減少した結果として、現在の大手新入社員には時間的・精神的な“余白”が生まれている。もちろん、この“余白”をどう埋めるのかは新入社員自身に任せられている。職場外での社会的活動については、様々な広がりを見せており、副業・兼業、プロボノ、社会人インターンシップ、地域コミュニティでの活動、趣味の活動などオンラインで可能なものも含めて多様化している。こうした職場外での社会的活動と職場における労働との決定的な違いは、参加するかしないか、個人の自由である点である。この性質のために、これまで企業主導で社員を育てていた際にあったある種の“平等性”が失われる。職場内外での若手の能動的なちょっとしたアクションによって、数年後には大きな差が生まれる可能性がある。
また、新入社員の多様性が高まっていることを検証した(前回)が、こうした多様性の向上もこの事象を加速させるファクターとなる。
③ 関係負荷なく質的負荷を高めるアプローチが模索される
今回の調査を重回帰分析した結果として、新入社員の成長実感の高まりと職場における負荷との関係がわかってきた。その検証結果を整理したものが下記図表である。
この結果からは、量的負荷は成長実感には関係がなく、質的負荷が高まると成長実感も高まり、関係負荷が高いと成長実感が低くなる、ということがわかる。この際に重要になるのが、「関係負荷をかけずに質的負荷をかけるアプローチが必要になる」ということだ。実際に現状では質的負荷と関係負荷の間には強い相関が存在しており、切り離すことが難しい可能性が高い。既存のアプローチとは異なる育成メソッドが必要になるだろう。
しかし、突破口になりそうな事例はいくつか生まれている。例えば、「横の関係で育てる」。外食チェーン店で取り組まれている「新入社員だけがスタッフを務める研修店舗」はその具体例であり、実際に離職率が急激に下がったという報告もある。若手だけでプロジェクトを組成して短期間で成果を出させる取組を行う組織(※1)も出ており、「関係負荷をかけずに質的負荷をかける」ための様々な試みが始まっている。
図表1 成長実感が高い新入社員と職場環境の分析(※2)
④ 新入社員の「不安」が高まる
第一回において職場環境が好転し現状に対しては大きな不満はないなか、新入社員の「不安」が高い水準に留まっていることが明らかになった。こうした「満足だが不安」という若手社員に対して、企業はどういった手を打てるだろうか。新入社員の多様性も高まる今、この不安についても、見えすぎる不安もあれば見えない不安もある。また、言語化できる不安もそうでない不安もあるだろう。しかし、ポジティブ心理学によれば不安は次のステップに進むための重要な心理的状況でもある。不安を活かして具体的なアクションに繋げていた、「会社だけだと30歳になった時に大学の同期は成長していたが自分は成長していない状況になりうる。部署横断の勉強会に籍を置いたり、副業したりしている」(※3)という新入社員の声もある。不安が積極的な活動へのエネルギー源になっているのである。こうした現状を分析すると、企業は「不満」だけではなく、「不安」への対応を考えていく必要があるのではないだろうか。
「会社が若手を育てる」という当たり前の転換点
以上のような変化がもたらすのは、「会社が若手を育てる」という日本社会における常識の転換である。これまで日本社会で若者に仕事のしかたを叩き込んできたのは学校でも親でもなく、企業・職場であり上司・先輩であった。しかし、現下の若手を取り巻く職場環境は変化し、企業・職場だけではかつてのようには育てきれなくなり、育成アプローチもコミュニケーションも変わろうとしている。そしてそれは不可逆な、元には戻れない性質の変化であった。
そのような変化が進んでいった先に、会社が主体となり若手社員を育成する、というこれまでの社会通念はどこまで通用するだろうか。「会社が若手を育てる」の主語と述語が入れ替わり、「若手が会社を使って育つ」時代に変わっていくのではないか。そして、私たちはその入り口に立っているのではないだろうか。本研究では、企業・若手双方の“打ち手”を検討していく。
古屋星斗
(※1)例えば、経済産業省は2017年に「次官・若手プロジェクト」として事務次官と若手職員だけで社会提言を策定しメディア発信する取組を実施した。
(※2)
1:成長実感高群ダミーを被説明変数とするprobit分析 R2=0.104 / R2=0.099
成長実感高群ダミーは「日々の仕事で自分が成長できていると感じる」という質問に対して、「いつも感じた(毎日のように)」「しばしば感じた(週に1・2回程度)」との回答者。また、頻度についての5件法によっており、以下「たまに感じた(月に1・2回程度)」「ほとんど感じなかった(1年に数回程度)」「全く感じなかった」となっている。
2:量的負荷、質的負荷、関係負荷、自立支援的な職場環境については各因子スコア。各負荷の因子スコアの詳細は第一回コラムに記載。自律支援的な職場環境スコアについては、「副業や兼業をする人に肯定的な職場である」「失敗 が許される職場である」「他者の反応におびえたり恥ずかしさを感じたりすることなく、安心して発言や行動ができる」「休みがとりやすい」「成長や昇進の見込みがある」の5項目について「あてはまる」~「あてはまらない」のリッカート尺度による5件法で回答を得た結果を最尤法、プロマックス回転によって1因子を抽出した結果を用いている。
3:入社前の社会的活動については、回答者の個数を投入している。全項目は第二回コラムに記載。BIG5神経症傾向については、A「心配性で、うろたえやすいと思う」、B「冷静で、気分が安定していると思う」を用い、(A+(8-B))/2の算出式を用いて算定した。出典:小塩真司・阿部晋吾・カトローニ ピノ (2012). 日本語版Ten Item Personality Inventory (TIPI-J)作成の試み, パーソナリティ研究, 21, 40-52.
4:ほか統制変数として、女性ダミー、院卒ダミー、5000人以上規模企業入職ダミーを投入。両モデルにおいて、すべて5%水準で有意ではなかった。
(※3)通信・IT, 2020年卒, 男性