ドイツ政府の「インダストリー4.0」政策と中高年社員のリスキリング
ドイツ連邦政府は、2011年から「インダストリー4.0」政策を推進してきた。この政策は、ビッグデータやAIを活用して製造業の生産性を向上させることを目指している。その中で、生産性向上に伴って失業した人々に対して、公的な再教育機関でリスキリングを行い、デジタル分野への転職を促進してきた。現在では、技術によって仕事が代替される可能性のある人々も、在職中に必要なトレーニングを受けることができる。さらに、2022年には教育研究省と労働社会省が連携して「国家継続教育戦略(Nationale Weiterbildungsstrategie)」を発表した。この戦略は、企業内でのスキル開発やデジタルスキルの習得に関するベストプラクティスを特定し、社会に広めることを目指している(※1)。
共通点と課題
ドイツと日本は、リスキリングにおいて共通の課題を抱えている。まず、高齢化により労働力人口が減少し、人材不足が深刻化していることが挙げられる。ドイツでは40歳以上の人々が56.7%と労働力の過半数を占めており(※2)、2035年までに熟練労働者が700万人不足すると予測されている(※3)。ドイツは多数の移民を受け入れているが、不足を解消できるまでには至らない(※4)。勤続年数が10年以上の雇用者の割合は、日本が45.9%、ドイツが40.3%と共通しており(※5)企業内での人材育成が重要である。ドイツでも企業都合による解雇は規制されており、教育訓練や異動などの努力が求められている。また、中小企業が経済の根幹をなしている点も共通している。
日本企業にとって、ドイツでのリスキリングの取り組みは参考になるだろう。特に、ミドルシニア世代に対するリスキリングの実施方法を知ることは、有益な情報となる。
ドイツ企業の取り組み
私たちは、ドイツの4つの企業でリスキリング推進者にインタビュー調査を行った(図表)。4社では、ミドルシニアの社員に対して、デジタル技術を活用した業務改善に必要な知識やスキルを提供している。具体的なリスキリング内容は、下記のとおりである。
- クラウドコンピューティングの理解促進(金融機関D社)
将来的に導入されるクラウド技術について、社員が理解できるようにサポートしている。 - 既存ツールの最新版への移行に伴うカスタマイズスキルの育成(電力会社S社)
既存のツールを最新版にアップグレードする際に必要なスキルを提供している。
ドイツでは、教育と職業が密接に結びついており、仕事に就くためには公的な訓練を受けて職業資格を取得することが一般的である。日本とは異なり、ドイツでは職種を変えることが少ないため、調査協力企業内では職種転換を意図したリスキリングは行われていない。
図表 調査協力企業の業種、従業員規模と45歳以上の従業員の割合4つの企業で共通しているのは、ミドルシニアがリスキリングに向き合うためのプロセスづくりに力を入れている点である。ドイツのミドルシニアは、長期間同じ職種で専門性を磨いてきたため、新しい技術や業務プロセスの変化には抵抗感を示すことがある。そのため、各企業は工夫を凝らしてミドルシニアをサポートしている。
たとえば、電力会社S社ではミドルシニアの価値を認識し、AIに対する興味を引き出す方法を模索している。戦略的購買部では、再生可能エネルギーなどの新しい事業領域にAIを導入するため、プログラミングや最新版のSAP(統合基幹業務システム)を学ぶ人材を育成している。しかし、もともとSAPを利用してきた技術職であっても、50代後半の社員には「新しい技術を学ぶ必要性を感じられない」「学ぶことができるのか不安」といった心理的な障壁があるという。社内広報として社員にリスキリングを呼びかけているM氏は、カジュアルな雰囲気の社員食堂でAIについて雑談のように話すことや、実践を通じて試しながら学ぶ姿勢を繰り返し伝えることでミドルシニアたちの意欲を高めている。顧客が自分たちよりも知識を持っている事態を避けるためにも、多角的なアプローチで動機付けを行っている。
M氏によれば、AIを学ぶ人の最適な年齢層はミドルシニアだという。「ドイツの定年年齢は67歳であり、40~50代はまだ若いと言えます。新卒者やプロジェクト単位で短期雇用する人材ではなく、社内でノウハウを蓄積していて今後も会社に長く在籍するミドルシニアにAIの学習を任せたいと考えています。経験を新しいSAPの導入とカスタマイズに生かしてほしいのです」(M氏)
一方、金融機関のD社は、リスキリングを推進するために会社の戦略を明確に示し、強いリーダーシップを発揮している。ITアーキテクチャ担当のA氏は、「当社のデジタル戦略は、市場の要求を的確に捉え、ニーズに応えるために慎重に議論を重ねたうえで立案しています。その戦略は全社員が遂行するものであり、戦略遂行に必要なスキルを学ぶことは社員の義務と位置付けています。デジタル戦略では各部署の目標と技術の導入・集約のプロセスと理由を説明しており、全社員に共有しています」と語る。
ただ、ミドルシニアのリスキリングにはインセンティブの設計に難しさがあるとA氏は指摘している。「既に高いポジションや給与を得ているミドルシニアに対して、さらなるスキル習得を促すことは難しい側面があります。そこで、小さなインセンティブ(例:ウェルネスのギフトチケット)を活用して、新たなスキル習得に関わるプログラムへの参加を促しています。さらに、参加型のワークショップを通じて、アイデアを持ち寄ることで、受け身ではなく積極的に新しい技術の理解や習得に取り組む文化を醸成しています」(A氏)
フラットな企業文化の醸成、メンターのアサインなどで質問しやすい環境を
新しいスキルを学ぶ際、誰でもちょっとしたことでつまずくことがある。しかし、ミドルシニアは熟練スキルを持っているため、わからないことを質問しにくい場合があり、学びを諦めてしまうことがある。そのため企業は、疑問を一人で抱えるのではなく、気軽に質問できる環境を整えることに力を入れている。たとえば、衛生製品メーカーのC社では、リスキリングに取り組むミドルシニアにメンターをアサインし、必要なサポートを提供している。また、上司との評価面談の中でリスキリングの目標を立て、受講の目的や課題、進捗を定期的に確認している。製薬会社Organonでは、2週間に1度IT部門に研修内容について質問する場を設けており、ミドルシニアが積極的に利用している。
さらに、電力会社S社では、ミドルシニアと若手社員の研修を一緒に行うことで、学び合いの環境を作っている。ミドルシニアはC++や1990年代のプログラムに精通している一方、若手社員は新しい言語や技術を知っており、互いに教え合うことでミドルシニアの学ぶ楽しみを高めている。「当社では、開放的なカフェテリアで部署や職階、年代の垣根なく親しくなれる環境づくりを意識しており、そこで質問が生まれたり、情報や知識の交換がされたりしています。研修の中でも、講師が当社のロゴシャツを着るなどリラックスした雰囲気を作ることに注力しており、参加者と講師が対等な立場であるという印象を与えています」(M氏)
ミドルシニアのデジタルスキルが企業の戦力となる
最新のデジタルスキルを持つミドルシニアは、企業にとって重要な戦力となる。ドイツ企業では、ミドルシニアを長期的な組織の貢献者として捉え、リスキリング施策の中心に位置づけている。そして、新しいスキルを習得するモチベーションを高めるためにさまざまな試みを行っている。
ミドルシニアがリスキリングに向き合うための動機やプロセスを丁寧に設計すること、研修の参加者同士が気軽に教え合える環境を整えること、学ぶ楽しみを醸成することなど、これらのアプローチは日本企業でも有効である。
衛生製品メーカーC社の営業マネジャーD氏は、「リスキリングは会社のためだけでなく、ミドルシニア自身にとっても有益であることを理解してもらうことが大切です」と強調する。企業はミドルシニアに対して、スキルの習得が将来の業務にどのような価値をもたらすかを明確に伝え、働きがいのある環境を提供することが重要である。
聞き手・執筆:石川ルチア
(※1)欧州委員会 デジタルスキル&ジョブ・プラットフォーム(2023) ‟Germany: a snapshot of digital skills“
(※2)ドイツ連邦統計局(2022)‟Population by age groups 2011 to 2022 in percent“
(※3)Riham Alkousaa. 「ドイツ経済相、労働者不足を懸念 成長阻害の最も大きなリスク」 ロイター. 2024年2月22日
(※4)日本総研(2023)「労働力不足に苦しむドイツ経済」
(※5)厚生労働省(2022)「令和4年版 労働経済の分析 -労働者の主体的なキャリア形成への支援を通じた労働移動の促進に向けた課題-」