小沼大地氏 NPO法人クロスフィールズ 代表理事
日本企業で働く社員が新興国のNPOやNGOに一定期間赴任し、現地が抱える社会課題の解決に挑む――小沼大地氏がこの留学ならぬ「留職」というプログラムを共同創業者の松島由佳氏と共に世に送り出したのは2011年5月。手探りのスタートではあったが、4年あまりで大企業を中心にすでに20社以上が留職プログラムを導入している。日本企業のリーダー育成と、新興国への社会貢献を同時に実現する同プログラムは、新たな価値を創造する取り組みとして注目され、確実に、社会にインパクトをもたらしつつある。「社会の未来と組織の未来を切り拓くリーダーを創ること」。それが、小沼氏らの熱き想いであり、掲げるミッションだ。
ビジネスと社会課題解決をつなぐ。
自らの体験から生まれた"気づき"
「教師になる」。高校生の頃からそう決めていた小沼氏は、実際に教員免許を取得している。教師が「人に影響を与える尊い仕事」だと考えるようになった背景には、小沼氏自身の人格形成に影響を与えた3人の恩師の存在があった。
小学校低学年の時、僕に大きな影響を与えた出来事がありました。国語の授業で、教科書に載っていた物語の解釈をめぐり、クラスの意見が二分した場面があったんです。その時、担任の指導で「じゃあみんなで話し合いましょう」と、いわばディベートをすることになったのですが、僕は、最後の一人になるまで自分の意見を変えなかった。小学生ですからね、心細くなって「もう泣いちゃう」と思った寸前、先生が「はい、ここまで。小沼君に拍手を」と言ってくれ、僕は周囲から称賛を受けることができた。人と違ったことでも、勇気を出して言い続けてみたら讃えられたという、ある種の成功体験を得たわけです。
そして中学、高校時代に所属していた野球部それぞれにも、影響を受けた顧問の先生がいました。僕は中学受験をしたんですけど、それまでトップだった成績が、進学校に入ったら一気にビリ近くになり、アイデンティティを失ったんですよ。そんな時、入った野球部で僕の力を認め、褒めてくれたのが顧問の先生。びしばし鍛えるタイプの厳しい先生でしたが、いい面を伸ばしてくれたというか、「救ってもらった」という感覚でした。
比して高校の時の顧問は、まるっきり逆で、例えば野球の練習メニューもレギュラー決めも、全部生徒にやらせるという完全な放任主義。答えがない中、仲間たちと一緒に物事を決めていくのは大変だったけれど、今にすれば、「自分でやりきれ」というかなり強力なリーダーシップ教育だったように思います。
小・中・高と、三者三様ながらいい先生に恵まれたわけですが、共通しているのは、人が何かに挑戦する時に応援することで、よりよい方向に導くということ。"挑戦と応援"、これがセットになれば「人は変わっていく」ことを僕自身が体験し、学んだのです。
一橋大学大学院に在学中、小沼氏は青年海外協力隊に参加している。就職という定められたレールに直行する気になれず、「教師になる前に社会経験を積むのもいい」と考えたからだ。赴任先はシリア。現地NPOの活動に参加し、衝撃を受けたことが2つある。活動を通じて出会ったシリア人たちが、予想に反して、情熱と気概にあふれていたこと。そして、「まったく関係ない」と思っていた社会貢献とビジネスが「つながる」成果を目の当たりにしたこと。ここでの原体験が、小沼氏の行く道を変えたのである。
貧困層向けに低金利で融資を行うマイクロファイナンス事業の調査にあたっていました。正直なところ、当初は「かわいそうな途上国の人たち」という気持ちがあったのですが、共に働いてみると、それは大きな勘違いだったと知りました。援助を請うのではなく、シリア人たちは「自分たちの力でこの国をよくしていく」という情熱を持っている。この気づきは衝撃でしたね。
追って、このNPOに、ドイツの経営コンサルティング会社からプロボノとして社員たちが派遣されてきたんですよ。そもそも教師になるつもりだった僕は「自分にビジネスは関係ない」と思っていたので、コンサルタントという職業すら知らなかったし、彼らが何をしにやって来たのかわからなかった。ところが、その社員たちは自らのスキルを用い、スタッフの業務量を可視化してバラツキを改善したり、成果が見えにくい社会貢献活動に成果指標を導入したりして、NPOの運営課題を次々と解決していったのです。
「これはすごい」と。ビジネスの世界にいる人間も社会に対してちゃんと目を向けているし、無関係だと思っていた社会貢献とビジネスがつながることで、大きな可能性が生まれることを知ったのです。加えて、シリア人たちの情熱や感謝の気持ちがコンサルタントたちに伝わったのでしょう。彼らもまた、本当に生き生きとしていました。僕とは異質な人たちともスキルを掛け合わせれば、絶対に何か新しいものが生まれる。世の中、きっと面白いことになる。なら、自分はそれをやるために生きて行こう。約2年間の活動を通じて、僕はそう決心したのです。
国際協力とビジネスをつなぐ事業を模索し、
生まれた「留職」プログラム
そんな情熱をまとって帰国した小沼氏だったが、先に就職していた大学時代の仲間に再会した時、大きな違和感を覚えることになる。かつて高い志を語っていた友人たちが、すっかり"大人"になっていて、目の輝きを失っていたからだ。「もったいない。これでいいのだろうか」。憂慮した小沼氏は、想いを発信する場として、有志らと「コンパスポイント」という勉強会を立ち上げる。
協力隊から帰って部活仲間と飲み会をした時、僕は興奮覚めやらぬ状態だから、当然、シリアで得た経験や夢を語るわけです。「社会人、熱く生きよう!」みたいな。すると、けっこう引かれてしまいまして(笑)。でも、なかには「お前が言っていることは正しい。忘れかけていた」と言ってくれる人間もいて、そこから定期的に集まるようになったのです。
最初は飲み会レベルでしたけど、しだいに想いを同じくするメンバーが増え、社会起業家などのゲストを呼んで話を聞くとか、勉強会らしくなっていきました。すると、いろんな問い合わせや情報が入るようになった。つまり、ニーズがあったんですよ。日本の社会人は病んでいる、情熱を持って働けていないことを自覚する人たちが確実にいる。それがわかっただけでも大きかったですね。僕が一人でただ発信していても「何だ、それ」という話だったでしょうが、勉強会という活動の場があったことで発信力は増し、仲間集めにつながった。起業に向けての大きな素地になりました。
並行して、小沼氏はマッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に入社し、3年間という期限付きで"修業"した。当時頭にあった「国際協力とビジネスをつなぐ」というビジョンを実現するスキルを身につけるためだ。ここで小沼氏は、のちに展開する事業「留職」の芽を育んでいる。
コンサルティング業の本質は、課題解決じゃないですか。必死で働くなか、日本企業が抱えるいろんな課題に触れられたことは本当に勉強になったし、何より、マッキンゼーで働く人たちからは「課題と正対する」姿勢を学びました。それと、海外研修でアメリカに行く機会があったのですが、その時に、僕は合間をぬっては様々なNPOを訪問したんです。これも、営利と非営利のフィールドをつなぐ事業を模索するのに非常に有効でした。当時のノートには、留職につながるビジネスプランがいくつか書き記されています。
3年後、自ら決めていた期限どおりに思い切ってマッキンゼーを辞め、共同創業者である松島由佳とクロスフィールズを立ち上げました。先ほど話した勉強会・コンパスポイントの活動で親交を深めた彼女は、同じ問題意識を持ちながら事業を考えていました。仲間たちと何度も何度も議論を重ね、練り上げたのがクロスフィールズのコンセプトでした。
留職は、企業で働く若手が新興国の非営利団体に赴任し、彼ら、彼女らが持つスキルやリソースでもって、現地の人々と共に社会課題の解決に挑むというものです。目の輝きを失いつつある日本のビジネスパーソンに、ドイツ人経営コンサルタントがシリアで経験したような圧倒的な原体験を提供したい。そして、その活動は企業にとっては新しいアプローチでの国際貢献にもなる。さらには、社員たちが現地でリアルなニーズを捉えることで、新興国の市場開拓、つまり新たなビジネスチャンスを生む可能性もあります。留職は個人のみならず、企業、現地社会の三方がwin-win になれるプログラムだと思っています。
日本が抱える多様な社会課題を
解決していくために
聞けば「なるほど」と膝を打つプログラムだが、いかんせん前例がない。企業に留職の意義を理解してもらうまでには苦労もあった。12年、最初に同プログラムを導入した企業はパナソニックだが、小沼氏らはそれまでに100社以上もの企業を訪問したという。この時も、応援してくれたのはコンパスポイントの仲間たちだった。
創業してからは、企業で働くコンパスポイントの仲間たちが、「うちの会社にも提案してみなよ」とキーパーソンを次々と紹介してくれました。そういうサポートがなければ、多くの企業に僕らのビジョンを伝えることはできなかったし、何度も聞かされた「前例がないからできません」という言葉に心が折れていたかも......。パナソニックで熱い想いを持つ社員の方に出会え、同社の理解のもと留職第1号が実現した時は嬉しかったですねぇ。それまで連戦連敗でしたが、"前例"ができると、あとはアプローチしやすくなるものです。
営業をしながら改めて気づいたのは、企業のほとんどが「社会の発展のために寄与する」という理念を持っていること。ベースはあるんですよ。それと留職プログラムの目指すベクトルが合致したからこそ、導入する企業が順調に増えてきたのだと思います。
ただ重要なのは、導入社数などの実績より、留職を経験する個人や組織とビジョンを共有できるかどうか。僕らは営利を追求しているわけではないので、社会的なインパクトにつながらなければ価値を発揮できません。だから、うちが出来上がったプログラムを一方的に提供するのではなく、双方が共通認識に立ち、一緒にプログラムをつくりあげていくことを大切にしています。「ほかの会社もやっているし」的な"熱の薄まり"が最大のリスクだと思っているので、これまでどおり、強く熱い関係性は維持していきたいのです。
留職する主な対象国は、インドネシア、ベトナム、カンボジア、インドなどで、現在、クロスフィールズは約10カ国でネットワークを構築している。重んじているのは、派遣先となるNPO、NGOの選定にも十分な調査をかけ、その留職者に本当に合致する団体を案内することだ。
僕らと直接ネットワークを結ぶ派遣先もありますが、基本的には、現地にいるキーパーソンたちと連携を取り、留職者が活躍できる"ぴったりの場"を探し出すというスタイルです。成果を挙げるには、留職者の想いが重要な要素になりますが、それは受け入れ側も同じ。淡々と活動しているような団体だと、人に影響を与えられないし、留職者に圧倒的な原体験を提供できませんから。なので、うちは必ず事前に現地に赴き、自分たちで確かめてから団体をご紹介するようにしています。調査に行った職員が、感化されるようなレベルで活動に取り組んでいる団体かどうか。職員が帰ってきて、めちゃくちゃ感動して話をするようならOKです(笑)。リーダーシップ育成に向けた鍛練と、現地への貢献。これらの成果達成度は受け入れ団体との協働にかかっているので、非常に重視している点です。なので、一つひとつがハンドメイドなんですよ。
今は大企業が主ですが、将来的には中小企業や行政なども対象にした仕組みもつくっていきたいと考えています。国内への留職も含めて、その幅と数を増やしていく。例えば、厚生労働省の人が育児系のNPOで働くとか、行政職員が社会の現場に出て、リアルに課題解決に挑む。そして情熱が媒介となって企業、行政、NPOが良きパートナーになれれば、日本が抱える多様な社会課題を解決していける。そう信じているし、それこそが、僕らの掲げるビジョンなのです。
組織と社会の未来を切り拓く
リーダーの創出をミッションに
言語も文化も異なる地で、企業の看板を外した"一人の人間"として働き、現地NPOと共に社会課題の解決にチャレンジする。セクターや国境、既成概念といった枠を超えて得る圧倒的な原体験は、その方向性は違っても、必ず「個人の変化」を生む。人が変われば組織が変わり、ひいては日本を変えていくはずだ――かつて、小沼氏がシリアで胸に宿した想いは、着実にかたちになりつつある。
留職を経験した人は、それぞれのかたちで明確に変わります。職場復帰後、イノベーションを推進するような部署に入って新しい事業を立ち上げた事例もあって、これは"見えやすい"成果。あるいは、自分が携わっているビジネスが社会にどう影響しているのかと、留職前よりはるかに視野が広がったという声もある。よく覚えているのは、最初に留職を経験したパナソニックの方の「失敗が増えました」という言葉です。挑戦することを覚えてすぐに行動するようになったから......ですが、それがとても嬉しそうだったんですよ。
十人十色。かたちは違うけれど、社会との向き合い方において、皆さんエッジが立ってきているのは共通しています。自分がやっている仕事の意味は何なのか。社会とどうかかわっているのか。自分が何かやり方を変えれば、社会が変わるかもしれない――その可能性を信じられる感覚。まさに、社会課題解決型リーダーの志向性だと思うんです。そういう組織と社会の未来を同時に切り拓いていけるリーダーを創出することが、僕らのミッションです。
昨年、うちのメンバーが二桁になるタイミングで、改めて自分たちの行動指針「CROSS FIELDS WAY」を定めたのですが、その中に「人の可能性を信じ、挑戦を応援」というものを入れ込みました。僕自身も大好きな言葉です。人に情熱を蘇らせ、可能性を花開かせるような機会を提供して、共に日本が抱える複雑で多様な課題を解決していく。僕はここに胸が踊るのです。どんなに暑苦しいと言われようと(笑)、これは絶対にブレない軸。これから先、まだまだ困難に思えたり、迷うこともあるでしょうが、僕自身も挑戦を楽しみながら、志を同じくする仲間たちと全力で走り続けます。
TEXT=内田丘子 PHOTO=刑部友康
プロフィール
小沼大地
1982年神奈川県生まれ。
一橋大学社会学部・同大学院社会学研究科修了。青年海外協力隊(中東シリア・環境教育)に参加後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。同社では人材育成領域を専門とし、国内外の小売・製薬業界を中心とした全社改革プロジェクトなどに携わる。2011年3月、NPO法人クロスフィールズ設立のため独立。世界経済フォーラム(ダボス会議)のGlobal Shapers Community(GSC)に2011年より選出。