Ⅱ章 教育・育成系創造メカニズム
教育・育成は、個人の社会に対するまなざしや関わり方に大きな影響を与える。「社会リーダー」の要件である「社会をより良くする」意識や「価値創造」能力について、早い時期から体系的に機会をつくり、個々人の発達段階に合わせた多様な方法で社会への関わり方を考える機会をつくることは、非常に有効な「社会リーダー」創造メカニズムの基盤となる。また、教育・育成の機会は生涯にわたって提供されるものであり、教える側の教員などの指導者のなかにも「社会リーダー」として成長し続けることができる仕組みが求められる。
この章では、Ⅰ章で定義した「豊かな国」で広範に見受けられる特徴的な「教育・育成」分野について具体的なケースを見ていこう。(1)スウェーデンの「共生・多様性尊重教育」(2)フィンランドの「初等・中等における起業家教育」(3)イギリスの「パブリックスクール・ボーディングスクール」(4)アメリカの「ソーシャル・アントレプレナー/エンタープライズMBA」の4つのメカニズムの概略をレポートする。そしてこれら「教育・育成」プログラムのなかから、「社会リーダー」の創造につながる糸口を探っていきたい。
1.共生・多様性尊重教育 スウェーデン
移民問題を背景に「共生」が教育カリキュラムに
現在、「共生」に関わる教育が世界的に展開されている。この背景には、1996年のユネスコ「21世紀教育国際委員会」による「共生」教育に関する報告書や、国連総会により決議された「人権教育のための国連10年」施策、「国連寛容デー」実施などにより、「共生」教育に世界が呼応しているためと見られている。そもそも「共生」とは異なった人種や人格同士がお互いを認め合い、共に生活することである。「共生」という概念を幼少期の教育カリキュラムに組み込むことで、より多くの子どもたちが相手の存在意義を認め、自分以外の他者がどのような生活スタイル、思想を持っているかを意識するようになる。「自分以外の人々のために」という意識にまで「共生」教育が派生すれば、子どもたちの資質になんらかの影響を与え、「社会リーダー」が生まれる確率を高めることにつながるかもしれない。国家を挙げて「共生」教育に取り組むスウェーデンの教育カリキュラムについて詳細を見ていこう。
スウェーデンは1980年代より、他国に先駆けて「他者との関係」についての項目を学習指導要領に取り入れ、「共生」に関わる内容をカリキュラム化してきた。スウェーデンが「共生」を教育の根底におくのは、この国の人口の10%は他国からの移民により構成されており、文化伝統の異なる80カ国の人が共に暮らしている多民族国家であるナショナリズムがあるからである。1930年代までは移民の構成比は1%程度であったが、1950~60年代になると人口の流出などで労働力が不足し、女性や移民の労働力に頼らざるを得なくなった。これをきっかけに、移民流入に対する緩和策がとられ、結果、続々と移民が流入するようになった。しかし、1980年頃からスウェーデン人と移民による摩擦・衝突が頻繁に起こりはじめ、その後、社会問題に発展していった。それに端を発し、国家を挙げて「移民との共生」問題が教育課題として取り上げられるようになったのである。
1980年以降、「共生」の授業は、平等と個を尊重したスカンジナビア・デモクラシー、つまり北欧諸国の福祉を重視した、普遍主義に則る社会民主主義体制を体現するものとして扱われるようになり、義務教育として低学年から複数教科にまたがるクロス・カリキュラムとして位置づけられた。これは、日本でいうところの「総合的な学習の時間」が目指したことの一部であると捉えることができる。「社会科」では「多様性(他者理解)」「男女の共生」など、「生物」では「他者への責任」、「家庭科」では「男女の性と性役割」「多文化理解」、「スポーツと健康科」では「障害者理解」などのテーマを配置した上で授業のシラバスが作成されている。子どもたちは、発達段階に応じて構成されるこれらのカリキュラムを通して、排除的・排他的ではない「インクルーシブ(包括的)な社会」の構成員であることを目指すのである。
(画像元 スウェーデン 学校庁ホームページ )
どのクラスにもあるいじめ問題
発達に応じて段階的に「共生」教育を施していても、小・中学生のいじめ問題はスウェーデンにも当然、存在する。いじめを発見した担任は、加害者、被害者、その他関わった生徒とともに、どうやっていじめを止めるかの話し合いを行う。その後、段階を追って、再発していないかどうかの確認、関係者と話し合った内容の文書化、保護者への通達、校長を含めた話し合いへとステップを踏んでいく。もし、まだいじめが止まない場合は、加害者の転校、施設への移送、警察への通報などの対応がなされるという。
例えば小学生の場合、毎週最低1時間はいじめ問題についての授業を持つことが義務づけられており、自信、好奇心、計画性、自制心、仲間意識、意思疎通能力、協調性――の7つの能力育成に主眼をおいたEQ学習とロールプレイを行う。ロールプレイとは、各生徒がいじめ加害者や被害者、その周りの人間などを、それぞれ代わる代わる演じる授業である。また、教室で先生が生徒に「今週、嫌な目にあったことがあるか」「誰かを嫌な目にあわせたか」「嫌な目にあったり、嫌な目にあわせたことを、言い忘れたことはないか」という質問をし、いじめ問題をリアルタイムに把握し、解決する手法を取り入れているという。
「共生」教育を各教科のなかで学びながら、それと並行して、生徒たちの実生活に潜む「いじめ」問題を把握し、向き合うことで、より「共生」について深く認識し、理解することに貢献している。「共生」教育がより具体性を持って機能していると言えるだろう。
社会に合わせて対応する「共生」カリキュラム
スウェーデンの学習指導要領を検証した研究者によると、「すべての学習指導要領において『社会的正義』『教育の平等』『国に活力を与える』という教育理念が貫かれており、変化する社会環境に合わせて、『共生』のカリキュラム内容もフレキシブルに対応させてきている」と評価されている。そのような「共生」教育は、福祉国家スウェーデンを体現した、特徴的なものであるようだ。
そもそもなぜ、移民をはじめとする多様な他者との「共生」が幼少期から必要なのであろうか。同国では、いまや移民は国民の10%を占めており、その大半が他国からの難民である。当然、さまざまな宗教や思考からなるアイデンティティを持っている。このような環境においては、お互いの違いを認識し始める時期から、彼らを「多様な他者」であると理解させ、尊重する「共生」教育を行うことが必要なのだ。子どもの発達段階に応じて、角度やアプローチ法を変え、繰り返し行われてきているのである。
「多文化共生社会」を目指し、「多様性」を念頭においたこのような教育が、スウェーデン人としての礎となっていることは言うまでもない。ただし近年では、力を持ちすぎた移民に対し、排外的な思考を持つスウェーデン人が見られるようになってきたという指摘もある。スウェーデン人の「多様性に対して寛容なアイデンティティ」が揺らぎ始めているという声も少なからず聞こえてきている。このような社会の動きを踏まえると、「共生」教育の今後のあり方が再度問われるべきであり、その重要性をどのようにして幼少期の子どもたちに教えていくかが、国家を挙げての課題となるのかもしれない。
「共生・多様性」教育から始まる人格形成
これまで見てきたように、スウェーデンの教育は、各人の「多様性」を尊重し、「共生していく」ことを重視している。幼少期からの発達段階にあわせた継続的かつ複合的な「共生・多様性」教育を通じて、徹底して個の尊重と多様性の受容意識を子どもたちに学ばせ、自らとは異なる他者との関わりを絶えず意識し続けることによって、自らが属する集団の枠を超えた「人々のために」という価値観(社会貢献意識)を醸成する。そして、これが社会リーダー創造の基盤の一部を構成していると考えられる。
【引用・参考文献】
「スウェーデンの義務教育における『共生』のための学び―現行学習指導要領における教育内容とその成立基盤―」戸野塚厚子(比較教育学研究, 第34号, 86―103,2007)
「スウェーデンの外国人政策と立法動向」井樋三枝子(外国の立法, 246, 139―151,2010)
『世界に学ぼう!子育て支援』汐見稔幸(編著), フレーベル館, 2003
『あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書』アーネ・リンドクウィスト/ヤン・ウェステル, 川上邦夫(訳), 新評論, 1997
「北欧に学べ なぜ彼らは世界一が取れるのか」週刊ダイヤモンド,2015年3月14日号,ダイヤモンド社
『北欧教育の秘密―スウェーデンの保育園から就職まで』遠山哲央, 柘植書房新社, 2008
2.初等・中等における起業家教育 フィンランド・ヴァーサ市
「就学前からの起業家教育」であるヴァーサモデルの確立
フィンランドは、1960年代、1970年代の順調な経済発展により、福祉国家としての基盤を固めていった。1960年代には被雇用者年金制度、1970年代には無料医療制度、自営業者・農業者の年金制度、労働時間の短縮化がつぎつぎに実現され、隣国スウェーデンとともに北欧型の福祉国家の一翼を担った。ところが、1990年代に入ると、ソ連の崩壊とバブル経済の崩壊という二重の打撃を受け、失業率は約20%という未曾有の不況を経験する。そのような状況を打破するために、伝統的な産業構造から脱却し、ITを中心とした知的財産による立国を目指す政策がとられた。そのなかのひとつのプロジェクトが「ヴァーサモデル」といわれる教育である。
フィンランド語とスウェーデン語の二重言語都市であるヴァーサ市は、フィンランドの主要都市である。ヴァーサ市は、国内で最もビジネス教育が盛んな大学のひとつであるヴァーサ大学と連携し、起業家教育(entrepreneurship and enterprise education programs)を推進した。1995年以降、大学は「起業家教育」を推進するための学校教師を育成する起業家教育コースを設置し、起業家教育カリキュラムの策定にあたっている。起業家教育の基本原理の1つ目は、教師から一方的に教えを受けるのではなく、子どもが何事に対しても自分で考え、独自の判断をすることができるようにする「教える教育から学ぶ教育」である。2つ目は結果よりも目的やプロセスを重視する「内容よりも方法を重視する」ことである。失敗を恐れることなくチャレンジし、失敗から学ぶ姿勢を養うものであり、失敗は非難されるのではなく推奨されるものとみなされている。3つ目は、「全科目における起業家教育的発想の導入」である。「起業家教育」という特定の科目を設けるのではなく、すべての科目にわたって総合的に起業家教育的考え方を導入している。
子どもの発達に応じて内容が変化していく「起業家教育」は、子どもの将来の選択肢を増やすことに影響を与えるだろう。起業するために必要とされる「ビジネスの独自性」や「先見の明」といった感覚を幼い頃から意識的に持ち続けることによって、「社会をより良くするための起業」を構想する個人が増えることも十分に考えられる。そういったチャレンジのなかから「社会リーダー」たる人物が生まれてくる可能性も見えてこないだろうか。より具体的な「起業家教育」について見てみよう。
就学前から中学校、高校まで、起業家教育を連鎖させていく
フィンランドではベルトネン(Peltonen, 1986:『世界の創造性教育』弓野憲一(編著)より引用)により起業家精神(Entrepreneurship)を外的起業家精神と内的起業家精神(internal entrepreneurship)に分けたという。外的起業家精神は「独自のビジネスを開始し経営すること」とし、内的起業家精神は「起業家的に仕事をする態度や資質に関する精神」とした。内的起業家精神は、将来的に起業する、しないにかかわらず全国民に必要な資質であると位置づけられ、就学前から始められており、学校カリキュラム上も発達段階に応じてフレキシブルに内容を変えている。高校3年生までを通して総合的に取り組まれ、教育の場は学校だけでなく、職場訪問やインターンシップなど、産学が連携したシステムが用意されている。
就学前から小学校低学年は内的起業家精神の開発期に充てられており、自己表現力を高める創作活動、清掃や植物の世話・職場訪問等の実体験から学ぶ実践、イベント企画への参加などにおいて、各人の内的起業家精神の開花を試みるのである。例えば、児童の実体験の話を大人が聞き取り、物語として聞かせる「ストーリーテリング」は就学前教育の段階で、広く行われているようである。これは自らの主張を論理構成させるスキルを大人と二人三脚で体得させるのが狙いだという。
小学校高学年にかけて、内的起業家精神の育成はより活発化する。すべての科目において体験学習や調査学習が取り入れられ、職場訪問やイベント企画などの体験・観察・思考判断を通して、コミュニケーション力、議論力を伸ばし、自尊心と創造性を育むことが目的とされる。特に小学6年生、12歳を対象に行われる「ビジネスゲーム」という授業では、学校で10時間ほどのビジネスゲームに関する準備授業を受けたあと、企業・商店などのブースが設置されたキャリアセンターで、実際に商店や企業、自治会の運営を疑似体験する機会が設けられている。ここには民間企業や公的機関が協賛した約20のブースが出店しているのだが、生徒たちが一日の運営を終えて、銀行にいくら戻すことができるのかを競うゲームになっている。「民間企業が学校教育に協力することで、自律的な人材を労働市場に輩出していくことにつながる」とフィンランドでは理解されており、首都ヘルシンキから始まった「ビジネスゲーム」は、いまやフィンランド全土に広がりを見せているという。
中学校になると、カリキュラムに外的起業家教育の要素も組み込まれる。ローカル経済や中小企業の重要性に着目し、経済そのものや起業家について学ぶ。各教科がビジネスに関連づけて学習され、企業でのインターンシップを体験しながら大人たちとの交流を図る。例えば、学校内の売店を生徒たちが運営し、どのようにして収益を上げるかなどを実際に体験するのである。
以上の就学前から中学までが、起業家精神を育むコア期と位置づけられている。その後、高校生になると、起業家教育は基礎科目として位置づけられ、生徒は経済や企業などの、より多角的で深い知識を得るようになり、より実践的なグループ作業や職業教育を受ける。就学前から蓄積されてきた内的起業家精神を基礎とし、徐々に外的起業家精神の体得に向けて教育の質と内容を発展させていくのである。
就学前からの起業家教育が、フィンランドの子どもたちの礎となる
フィンランドにおける就学前からの継続的かつ複合的な起業家教育では、ローカル経済や企業といった実社会との関わりを重視し、発達段階に応じてカリキュラム化されている。そのような教育システムにおいて構築された起業家精神とスキルを通じて、子どもは常に独創的で、既成の枠を超え、他の人にとって役に立つ価値を創造するための基礎的知識と知恵を体得するのである。
子どもたちは発達段階の初期から、社会に対して自発的に関わりを持つことを求められる。そして、常に問題の芽を見つけ出し、解決する方法を考える訓練を、繰り返し継続的に行っている。そのようにして築かれた基礎的能力が、我々が日々新たに直面する社会的問題を解決する「価値創造」能力として開花する可能性を大きく示している。
【引用・参考文献】
「企業家能力と教育」柳沼寿(地域イノベーション3号, 法政大学 地域研究センター, 2010)
「1990年代におけるフィンランド型福祉国家の変容―福祉提供主体の多様化に焦点を当てて」藪長千乃(文京学院大学人間学部研究紀要, Vol.10, No.1, 199〜219, 2008)
「フィンランドの教育におけるコミュニケーションのあり方―PISA調査結果と1970年代までの教育改革を中心として」石井三恵(広島女学院大学論集, 第56集, 2006)
『世界の創造性教育』弓野憲一(編著), ナカニシヤ出版, 2005
『フィンランドを世界一に導いた100の社会改革』イルッカ・タイパレ(編著),山田眞知子(翻訳),公人の友社, 2008
「フィンランド 民間企業が義務教育に協力 学校現場で普及するビジネスゲーム」リクルートワークス研究所ウェブサイト
3.パブリックスクール/ボーディングスクール イギリス
紳士淑女の子どもたちが通うパブリックスクール
イギリスの教育制度のなかでも「社会リーダー」創造の観点から着目すべきは、主に13〜18歳の中等教育にあたるパブリックスクールだろう。ここでは、基本的に集団生活(イギリス以外の寄宿制学校は一般的にボーディングスクールと呼ばれる)をしながら、エリートとしての自覚、リーダーとして他者を統率し、思いやる精神が徹底的に鍛えられる。「社会リーダー」が携えておきたい人格的な部分を、生活までを含めた半ば強制的とも言える環境のなかで培うことになる。
イギリスのパブリックスクールと聞けば、イートン、ハロウ、ラグビー、そして最古のパブリックスクールであるウィンチェスターといった名前が頭に浮かぶ人も多いだろう。これらは選抜制を設けている私立学校で、イギリスの大規模研究型大学24校を構成するラッセルグループ、特にその頂点にあたるケンブリッジ大学やオックスフォード大学などへの進学者を多く輩出している。高額な授業料や寄宿料がかかり、入学基準が厳格に設けられているため、入学できるのは奨学金で入学を許された少数の生徒と、圧倒的裕福な階層の子どもたちのみで、寮での集団生活を送っている。もっとも近年では全寮制の学校は少数派になっており、ロンドンなど大都市にある通学校の競争が激しくなっている。また、以前は男子校だけであったのが、女子校や男女共学の学校も登場しており、生徒は国内に限らず、他国のエリート層の子息、令嬢が入学を希望するという。
入学に関しては、父親や一族が希望するパブリックスクールの卒業生であることや、どこのプレップスクール(小学校にあたる)で過ごしたかも、大きく影響しており、特にプレップスクールの校長がパブリックスクールの世界において、どれほど顔が広いか、力量があるかといった点が重要なポイントとなっているようだ。力を持った校長の強い推薦により、希望するパブリックスクールに入りやすくなるというのである。パブリックスクールへの入学準備は、すでにプレップスクールから始まっているとも言えるのだ。なかには「生まれた段階で入学希望のリストに入れておく必要がある」なんていう話も聞くくらいである。
もともとは王侯貴族や僧侶といった特権階級の人々のための教育機関だったが、中世以降は学校としての組織に変革され、スクールを選ばず、授業料さえ払えば階級に関係なく入学できるようになっていった。これが公共性という意味を含んだパブリックスクールの名前の所以ともされている。現在では、パブリックスクールという呼称よりもインディペンデントスクール、つまり国の補助を受けない独立した私立学校という呼び方が一般的になっているようだ。
学校はいくつものランクに分けられており、最も高い評価を得ているのが「校長会議」に参加している学校で、1999年時点で242校、生徒数は16万7000人、その75%が男子である。通常、名門パブリックスクールという場合には、これらの学校を指す。さらにこれらのなかから超名門校とされる29の学校が2つのグループに分かれて存在しており、生徒数は2万人ほど。これはイギリスの同年齢の生徒数の約1%弱にあたる。
規律正しい生活のなかで培われる、エリートとしての自覚
伝統的なパブリックスクールでは、校長をはじめ、教師や学校内チャペルの聖職者がキャンパス内に住み、また寮を監督するハウスマスター、寮での親代わりとなるハウスミストレスが実際に寮で生徒たちと寝食を共にする。規律正しい生活のなかで、教師や目上の人、先輩を敬う姿勢を学ぶのである。生徒はいくつものハウス(寄宿舎)に分けられ、共に学び合うのであるが、教師が主体となるのではなく、生徒のなかから監督代表者を選出し、ハウス内の秩序維持に努めている。
彼ら監督代表者はある程度勉強ができることが求められるが、それよりも生徒からも先生からも信頼される責任感の強い、誰からも好かれる性格であることが重要視されている。彼らにはハウスの門限や消灯時間、素行の細かな点までの管理を一任されている場合が多く、必要があれば他の生徒に軽い罰を課す権利が与えられている。また、先生とコミュニケーションをとるのが苦手な生徒のために、生徒と先生の間に立って世話をするといった立場にもあり、学校運営における「中間管理職」的な立場にあると言えるようだ。さまざまな特権が与えられるが、それだけに義務も大きいことを学ぶ。また他の生徒たちも、ハウスの組織を通じて、実社会に一歩近づいたさまざまな人間関係に接することができるのだ。こういった制度こそ、近代パブリックスクールの父と呼ばれる、ラグビー校のトーマス・アーノルド校長(在任1828~1842年)が編み出した教育メソッドのなかで、特に名高いもののひとつといわれており、寄宿制に限らず通学制のスクールでも設けている場合があるという。
また、ここでは大学進学に備える学力を育むだけでなく、教育の多くは、イギリス伝統の特権階級にふさわしい知的教養と、上流階層の者はその立場にふさわしい義務を負ってしかるべきであるという精神である「ノブレス・オブリージュ」の体得、強い精神力の育成といった人格形成に割かれる。ラグビー、クリケット、サッカー、テニスといった英国伝統のスポーツを通じてフェアプレイの精神を育てること、厳粛なハウス生活で健全な心と体を鍛えること、生活行動に使命感を持たせること、たくましいリーダーを育てることなどが経営理念として掲げられている。また、小さなイートンの町を世界的に有名にしたイートンカレッジでは、上級生になるとボランティアで観光客や学校訪問者のガイド役を務めることが頻繁にあるという。常に社会とのつながりを意識させ、社会貢献意識を培うプログラムが行われている。
ハウスでは生活を楽しくするために、ハウス別の音楽や芸術、スポーツ、討論会などのプログラムを組んで、自主的な活動も活発に行われる。ハウス対抗の試合などでは特に熱が入るそうで、こういった経験がハウスへの忠誠心を育て、生徒たちはハウス独特のカラーを体得していくのである。
チャーチル首相らを輩出した、全寮制男子校「ハロウスクール」
1572年にエリザベス1世の勅許を受けて創立されたのがハロウスクールだ。ここでは13~18歳の男子生徒約800人が寄宿生活を送っている。「人生への訓練」を基本とし、独立心、協調性、責任感、義務感、リーダーシップの育成、マナー、努力、正しい職業倫理観を身につけさせることを教育方針にしている。24時間、すべての責任を学校が担っており、トータルな人間育成が行われている。
特にリーダーとなるための人格形成では、生徒にさまざまな機会を与え、チームとして協力できるように育成することに努めている。学校のなかで本物のリーダーシップを学ぶため、小さなグループでもリーダーとして責任と誇りを持てるように工夫しながら育成している。
(画像元 HARROW SCHOOLホームページ )
個性を持つ11のハウスに分かれての生活
ハロウスクールには11のハウスがあり、生徒たちは課外活動を行う際もハウス単位となる。それぞれが独自の雰囲気と伝統を持ちながらも、学校運営と調和しながら機能している。ハウスにはさまざまな学年の生徒が入り混じっており、他の生徒との交流や、規律のもとでの集団生活を通じて、個々が持つべき価値観や判断の尺度を身につけていく。「1年生は小さな義務が課され、2年生は1年生のケアをする。4年生はあらゆる人への責任を、5年生は学校全体を」と段階を追って、義務と責任が課され学んでゆくという。そのなかで一番大切なのは、自分の学年のなかで責任ある行動がとれるか、友人に好まれない選択であっても決断できるかということであり、教師はこうした行動のサポートを行う。
パブリックスクール・ボーディングスクールにおけるリーダーシップ
規律ある集団生活で、同年代の仲間との切磋琢磨や、学年の異なる先輩・後輩との役割を意識した人間関係の構築、厳格で密度の濃い指導教師との交流が日常的に行われているのがパブリックスクール・ボーディングスクールの特徴である。ここでは、厳しい日常生活のなかで他者との関わりを意識しつつ、「リーダーとして人々に貢献する」という真のエリートに必要とされる使命感・義務感を醸成している。「リーダーシップとはスタイルではなく質であり、時代を超えた普遍性を持ち、異なる文化や業界においても通用するリーダーの行動の本質」であるとリーダーシップ論の権威であるジョン・P・コッターは述べている。長年、変わらず受け継がれてきたパブリックスクール・ボーディングスクールにおけるエリートやリーダーの育成は、時代に左右されないリーダーシップの本質を子どもたちに脈々と受け継がれている。「社会リーダー」としての基盤にも通じる教育的組織と言えるだろう。
【引用・参考文献】
「第4章 イギリスの教育行政について」東京都議会, 2010, 東京都議会ウェブサイト
『リーダーシップの本質―真のリーダーシップとは何か』堀 紘一, ダイヤモンド社, 2003
『リーダーシップ論―いま何をすべきか』ジョン・P・コッター(原著), 黒田由貴子(翻訳),ダイヤモンド社, 1999
『アメリカのスーパーエリート教育―「独創」力とリーダーシップを育てる全寮制学校』石角完爾, ジャパンタイムズ,2000
『エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学』柏倉康夫, ちくま新書, 1996
『パブリック・スクールからイギリスが見える』秋島百合子, 朝日新聞社, 1995
4.ソーシャル・アントレプレナー/エンタープライズMBA(アメリカ)
社会課題を解決する事業人材を育成する社会ニーズ
社会課題を組織立てて解決していくことを目的とした非営利組織であるNPO。現在、アメリカのNPOは実に160万以上ともいわれる。ヘルスケア・教育分野を除いたNPOセクターは国内総生産の7%、労働力の11.7%を占めており、確固たる分野を形成している。しかし、米国のNPOは、1980年代に危機に瀕したことがある。それまでは公的な助成金・補助金に大きく依存して運営されてきたのだが、レーガン政権下で社会保障費が大幅に削減され、深刻な資金不足に陥ったのだ。そうした状況のなかで、社会問題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体=ソーシャル・エンタープライズ、事業・企業を創始したソーシャル・アントレプレナーに関心が集まることとなった。
国の公的資金や個人、民間企業などからの寄付に頼るのではなく、社会的課題の解決のために市場メカニズムを活用できるビジネススキルを持った人材による社会課題の解決の必要性が謳われるようになった。
このような社会変化を受けて、ソーシャル・エンタープライズのマネジメントについての学びや人材育成が立ち上がっている。なかでも有名なのが、ハーバードビジネススクール、コロンビア大学ビジネススクール、スタンフォード大学の公共政策プログラム、カリフォルニア大学HaasビジネススクールのCSR教育である。ここでは、ハーバードビジネススクールの取り組みを紹介したい。
ハーバードビジネススクール SEI(Social Enterprise Initiative)
社会的企業を意味するソーシャル・エンタープライズを実際に運営するのが、社会起業家を意味するソーシャル・アントレプレナーである。その役割に一定の評価があるアメリカでは、ビジネススクールにおいてソーシャル・アントレプレナー研究が盛んに行われている。ハーバードビジネススクールにSEIが誕生するきっかけとなったのは、1990年初頭、営利、非営利、行政の各セクターで優れた業績を持つMBA卒業生のジョン・ホワイトヘッドの言動であった。彼はハーバードビジネススクールの当時の学長にNPOマネジメントの研究・教育に対する1000万ドルの寄付を持ちかけた。「プロフェッショナルなキャリアのための大学院は多いが、非営利組織の管理職のためのものはない。非営利のキャリアに興味を持つ人々を育成したい」。そんなホワイトヘッドの思いはすぐに実を結んだ。
1993年、ハーバードビジネススクールではMBAとエグゼクティブ教育において、ソーシャル・エンタープライズに関連する科目(SEI)が設置された。目指したのは、非営利組織だけではなく、営利企業の社会価値を、幅広い知識とビジネススキルにより創造する人材の育成である。これは、「社会の福利に貢献する際立ったリーダーたちを育成する」というハーバードビジネススクール本来のミッションに沿ったかたちとなっている。開校当初からの10年は「社会価値の創造に関する新しい見識とマネジメント知識の開発」に取り組み、現在は「非営利、営利、公的セクターにおける現在・未来のリーダーたちの知的拠点をベースとした学習体験の提供」を加えた2点にフォーカスしている。ソーシャル・エンタープライズという言葉はここから生み出され、その概念が現在なお、強い影響力を持って世界へ発信されている。
ソーシャル・アントレプレナー/エンタープライズMBA機関が担う役割
ハーバードビジネススクールをはじめとする、ソーシャル・アントレプレナー/エンタープライズMBA機関は、社会課題の解決を仕事としたいと考える成人に対して以下のものを提供している。ひとつは、新たな社会価値の創造に対する見識であり、もうひとつは、組織を効率的に運営するための実践としての知識・スキルである。ハーバードビジネススクールのSEIは本来、ハーバードビジネススクール卒業生の多くが、「単にビジネス上の成功を追求するのみではなく、習得したマネジメントスキルをリーダーとしての"Change The World"という目的に生かしたい」と考えていたことから始まった教育プログラムであった。こういったエピソードからも、ソーシャル・アントレプレナー/エンタープライズMBAプログラムは、「世界を変えたい」と考える人材を「社会リーダー」たらしめるメカニズムのひとつであると言えるだろう。
【引用・参考文献】
「ソーシャル・アントレプレナー教育の現状と可能性―米国ビジネススクールHBSとHaasの事例から」柴孝夫・大木裕子(京都マネジメント・レビュー,第14号,2008)
「事業型NPOの存在意義:ソーシャル・イノベーションの主体として」大室悦賀(社会・経済システム, 24, 131-143, 2003)
「ソーシャル・アントレプレナーの役割と必要性 報告(上):京都産業大学経営学部創設40周年記念シンポジウム」大塚洋一郎・能勢加奈子・村田早耶香・吉松時義(パネラー)・大室悦賀(コーディネーター),京都マネジメント・レビュー,第13号,2008
「社会イノベーション研究/社会起業家WG報告書―社会的企業・社会起業家に関する調査研究−」渡辺孝・露木真也子・大川新人(平成20年度内閣府経済社会総合研究所委託事業「イノベーション政策及び政策分析手法に関する国際共同研究」成果報告書シリーズNo.5)