答えのないものを学ぶ。―ケネス・ガーゲン氏インタビュー【後編】
前編では、ガーゲン氏との対話を通じて、テクノロジーの進化によってコミュニケーションの在り方が大きく変わり、それによって組織の学習の仕方や「人から学ぶ」という行為が変化してきたことをお聞きした。学ぶという行為は、モノロジック(1つの正解を吸収する)な行為でなく、ダイアロジックな行為(対話)へと変化している。
後編では、どのように新たなスタイルの学びを始めたらよいのか、方法について取り上げる。
どのように対話をはじめるか
辰巳)ダイアロジックに各自の持つ文脈をいかに交換していくか、という話になると、必ず出てくるのが「子どもたちはまったく知識がないところから対話なんてはじめられない」とか、「知識のないもの同士が意見交換をしてそんなことに価値があるのか」という意見です。このことについて、どのようにお考えですか?
ガーゲン氏)多くの子どもたちは、幼児期に学校に来ると、すでに遊びの中でうまく関係を築いています。なのに、3年経って小学校に入るとみんな別々の机と椅子に座っていて、まるで自然な人間関係のプロセスを止めてしまったかのように見えます。
私は去年、とても面白いプリスクールを訪れました。そこでは、子どもたちは輪になって座り、先生がまず、「このことについてどう思う?」「あの人が言ったことについてどう思う?」と答えさせるのです。そうすると、子どもたち同士で話が始まるんです。対話形式で教えているのです。個人ではなく、関係の中でどのように学ぶか、そのことこそが大事なことなのです。
なぜその問題に関心を持つのか、なぜそれを大事だと思うのか、環境・健康・家族なんでもよいのです。「それらに関心を持つ」ということは、それに対して思いやりがあったり、そこに注ぐエネルギーがあったりするからなのですが、そうした熱意(enthusiasm)はすべて関係性のプロセスから生まれます。人々に本当に学んでもらいたいのであれば、この熱意を生み出すグループの能力を利用すること、このことがやりたくて仕方がないという気持ちをグループの中に喚起させることこそが重要だと思います。
辰巳)学習意欲が引き出されるということですね。
ガーゲン氏)学校が嫌いになってしまう大きな要因の一つは、「学校がつまらない」ということです。今子どもたちは、「何かをすることは価値あることだ」ということを本当の意味で知らないのだと思います。これは重要だから学んでおきなさいといくら先生に言われても、それが何のために重要かといった時に、「テストのため」「友達から頭が悪いと思われないため」「将来いい職につくため」といってもそれはあまりいいモチベーションだとは言えません。
でもそれに対して例えば素晴らしいガーデンをつくろうと提案して、それに子供たちが一緒にやろうとなったとします。そうなると、そこにはさっき言った熱意(enthusiasm)が存在し、「やろう、やろう」という活気が満ちます。そうなるといろいろなことを研究したり、思ったり、そこに時間を費やして子どもたちは必死になってそれをやろうとします。そして、できた庭を誇りに思い、お互いに見せ合い、喜び合うのです。このように他の人たちと一緒にプロジェクトに熱中する能力が必要なのです。
教科書、そして教師は、どのような役割を持つのか
辰巳)教科書はどういったものになるのか。教科書の持つ役割も変わってくるように思います。日本では対話の話になると、先ほどお話したように、「とはいえ最低限知っておくべきことを知った上でないと議論が深まらないだろう」という話になります。世の中の知識もどんどん進化するから教科書のように紙である必要はないし、新たな発見を前提にすると正解を国の検定を受けた教科書として固定的に考える必要もないのかもしれません。
ガーゲン氏)教科書は、一昔前のものになりつつありますよね。例えば、今の教科書は標準化されていて、標準だから全員がこれを学ばなければならない。となっていますが、本当に全員がそれを知らなくてはならないのでしょうか。私はそうは思いません。標準の知識、といった時に「何をもって標準というのか」ということについて議論しはじめると難しくなるので、そこはいったん置いておきます。
では、どうやって人々に「標準的な知識」を学ばせるのがよいのでしょうか。
トップダウンで「これを学びなさい」と決めてしまうのか。それとも、対話や学習プロジェクト、問題解決などのプロセスの中に組み込んでいくのでしょうか。現在、アメリカのハイテックハイという高校では、試験も教室もなく、すべて問題解決型の学習を行う学校があります。試験がないので、生徒はこの学校を気に入っており、最後にテストを行うと、とても良い成績を収めます。
この学校で教えている先生たちは、先ほどあなたが提起した「基礎知識の問題」を非常に意識していますが、彼らがやろうとしているのは、それを「教え込む」ことではなく、問題の中に「組み込む」ことです。例えば、先ほどの事例のように、子どもたちが庭の作り方を学ぶとすると、どこからどこまで何を植えるかを考える、すると、数字について学ばなければいけないとか、掛け算も学ばなければいけないとか、平方フィートってどういう意味なのかということになります。そうすると子供たちは、それが分かっているほうがやっぱりやりやすいということで、やる気になってそれを学ぼうという姿勢がそこに生まれるわけです。
辰巳)先生の役割は大きく変わりますね。ハイテックハイと既存の学校とでは教員に求められる専門性は異なっているように思います。
ガーゲン氏)これまでに先生が持っていた「知識」というものが役に立たないと言っているわけではないのです。知識は、人の役に立ち、人をサポートするものです。時には生徒のニーズに応じたレクチャーとしての学びが必要なときもある。それも提供できる。ただ、教師の役割はあくまでも学習プロセスを支援する。ということになると思うのです。プロセス全体を支援するのだから、先生の視界の中で指示的に何かをやらせるのではなく、あくまでも生徒の学びのプロセスに寄り添うことになります。その結果として、熱意ある学習が可能になるのです。
そして、もう一つ大事なのは、その過程で教師も学習者になるということです。「何かを知っている」ということだけでサポートするのではなく、プロセスを支援することで、自分自身も継続的に学んでいくのです。なぜなら、近年、ほとんどの教師は、生徒が自分の持っていない膨大な知識を持った状態で入学してくることに気づき始めています。今は世界中の若者がお互いに話したり、コミュニケーションを取ったりしているからです。アメリカのほとんどのティーンエイジャーはTikTokを見ています。彼らはTikTokで世界中の人々と交流しています。彼らは、他の国の言語を含む様々なことを知っています。興味のあるトピックについては、他の生徒や教師が知らないことをたくさん知っているでしょう。「私が知っていることをあなたが学ぶ」ということではなく、学びをシェアする場として教室を見なければなりません。
「インプット型学習」に慣れた大人は、どのように対話型学びをはじめたらよいのか
辰巳)学びは、モノロジカルからダイアロジカルにダイナミックに変化するというお話でした。その中では、これまでの教科書や教師の役割も大きく変わること、教室は学びを詰め込む場ではなく、学びをシェアする場になるということでした。ここでまた次の疑問が出てきます。働く大人が学ぶ時のことです。イノベーションやクリエーションが必要な時代において、私たちは常に新たなものを創っていこうとしているわけですが、その一方で、これまでのモノロジカルな学びに慣れた大人たちが、過去に学校で覚えた正解に固執してしまい、対話型のコミュニケーションがうまくとれない、という問題に直面しています。どのようにして、個人はモノロジカルからダイアロジカルに移行すればよいのでしょうか。
ガーゲン氏)これまでの議論は、システム全体を変える必要があるというものでしたが、次に個人に焦点を当ててみましょう。最近、多くの人がダイアロジカルな方向に目を向け始めているといる状況は1つ追い風になるでしょう。人々は、単に人を集めて話をさせようということではなく、価値のある方法で話をするにはどうしたらよいかということについて議論をはじめています。
例えば、まず、2人のペアをつくり、自分が仕事の中で本当に大切にしていることについて話をします。なぜそれがそれほど大切なのかという話をするのもいいでしょう。ペアになった人たちは、自分のグループの中での会話について少し人数を増やして共有します。そしてそこから組織の将来についての大きな議論へと発展すればよいと思います。
辰巳)なるほど。「自分が仕事の中で本当に大切にしていること」は自分にしか語れないし、正解もない。それを語り合うことから対話をはじめようというご提案ですね。2人で話すということでは、先日ある企業の方と対話について話していたのですが、マネージャーがメンバーにうまくフィードバックできていないという話が出てきました。メンバーの持ち味を引き出すようなフィードバックが必要なのにそれができていない、と。その人事の方は、これは日本人のコミュニケーションスタイルの問題ではないか、とおっしゃっていたのですが、私はこれは日本人だけの問題ではないと思っています。フィードバックが下手だということと、対話がうまく進まないということには何か共通した理由があるように思います。
ガーゲン氏)私もこれは日本だけの問題ではないと思っています。標準化された教育やテストが行われているところでは、どこでもそうです。「“あなたは正しい”、あるいは“間違っている”。ここにあなたの間違いがあります。」というマイナスのフィードバックになります。これからは、そうではなくて、その人が持っているものに目を向ける、真価評価(appreciative evaluation)に変えていく必要がある。と私は思っています。それは何かというと強みをベースとした評価(strength-based evaluation)なんです。得意なことにフォーカスして、それをより強くしていくことから始めないと、他者との関係性を重視したダイアロジカルな学びという新たなパラダイムの中で学ぶことは難しくなってしまいますから。
【編集後記】
ガーゲン氏には、これまでの正解習得型の学びと比較しながら、対話型学びを進めていくための方法について、その違いを中心に話を聞いた。
ガーゲン氏は、今後も情報量が右肩上がりに増えていく中では、ただ単にインプットするだけではなく、複数のインプットを統合し、使っていくことについての学習が必要になること、そのためには複数のソースから多様な情報が入ってくる環境を作らなければならないことを指摘している。そのためにはダイアロジカル(対話型)の学びが必要だ。
モノロジカルな学びは、答えは一つなので一人で習得を目指す学びで話し合いの余地はない。いかに足りないか、がフィードバックされる。一方のダイアロジカルな学び(対話型の学び)は、異なる文脈の中で互いの良さを引き出すことが求められる。対話の場は、互いの気づきや学びをシェアする場になる。その場の入口としては、個人が仕事の中で大事にしているもの、主観を交換できる場づくりが必要だ。
対話型の学びは実際にどのような効果を持つのだろうか。次回は学びのポートフォリオから見る対話型学びの効果について取り上げる。