4つの対話型学習モデル―O.R.T.のすすめ――東京工業大学名誉教授 矢野眞和

2023年09月27日

学習社会を構築する

 「教育が生産性を上昇させる」という発想は、経済学の歴史と共に古いが、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツがグリーンウォルドと共に著した『CREATING A LEARNING SOCIETY(学習社会を構築する)』は、かなり新鮮である(※1)。私が受けた新鮮な知的刺激を2つだけ紹介しておきたい。
1つは、時間とともに変化する経済の動き(時間経路)を左右するのは、競争ではなく、学習だとしているところにある。主流派の経済学では、規制を緩和して企業間の競争を促せば、すべての企業が最も効率的な資源配分を達成する、つまり、企業が瞬時にベストプラクティスを採用すると想定している。しかし、現実の企業社会では、生産要素の質が同じでも、ベストプラクティス企業とそうでない企業との間に大きな生産性格差がある。この生産性格差をなくし、ベストプラクティスに近づく時間経路を解明するためには、競争ではなく、学習が不可欠だという。逆にもし、競争によってすべての企業がベストプラクティスを採用できるなら、経済は学習を考えなくてもよいことになる。学習もせずに、競争をすれば、効率的な資源配分が達成できると考える経済理論のほうが奇妙に感じられる。競争が学習を促すというかもしれないが、学習に必要な動機付けは競争だけではない。
第2に、学習とは「考え方を変える」ことだといえる。スティグリッツは、「学び方を学ぶ」ことが重要だとたびたび指摘しているが、学習の概念を整理するには、やや扱いにくい。他の文脈で「考え方を変える」必要性も語っている。こちらの方が学習の多様性を考えるのに役立つと思う。

「考え方を変える」4つの対話型学習モデル

学習によって近代の経済発展を説明しようとする著者の構想は非常に面白いが、近代化のプロセスでは、学習のスタイルも変わる。教育を研究する文脈からすれば、学習スタイルを分類し、学習の質的な変化を視野に入れる必要がある。
そこで、学習とは「考え方を変える」ことだと定義してみよう。「考え方」は、「知識の集合体」として構成されている。今までの考え方を変えずに、同じことを繰り返す仕事もあるが、仕事の環境が変われば、考え方を変えなければならなくなる。考え方を変えるというのは、やり方を変えると言い換えてもよい。いずれにしろ、変えるためには、「自己と他者との対話」が不可欠である。そこで、考え方を変える対話の状況を想定してみよう。自己が「ある考え方」を「知っている(〇)」場合もあれば、「知らない(×)」場合もある。他者も同様に、知っている(〇)/知らない(×)がある。この2つの区分を設定すれば、自己と他者との対話は、4つのモデルに類型化できる。
表にみるように、「知っている」自己が「知らない」他者との対話によって他者の「考え方を変える」のがモデル1の「教える」行為である。知識やスキルを教え授ける「教授」モデルであり、「啓蒙」といってもよい。その真逆に、「知らない」自己が「知っている」他者との対話によって、「自己」の「考え方を変える」のは、学校の生徒のようなもので、モデル2の「学修」である。いわゆる勉強型の学びで、他人の考え方を吸収するインプット型の学習だといえる。
一般的に学習といえば、考え方を教える者(先生)とその考え方を身に付ける者(生徒)との対話として理解されがちだが、「考え方を変える」方法として定義した対話型学習は、モデル1とモデル2の2つだけに限定されない。自己も他者も「知らない」状況で、対話しながら「考え方を変えなければならない」場面がしばしば生じる。従来の考え方では対処できないこうした場面では、知らないもの同士が対話しながら、変えなければならない問題を発見し、解決(考え方を変える)しなければならない。この問題解決行動が「考え方を変える」プロセスであり、これがモデル3の「研究」という行為である。未知の世界の「探検」は「研究」である。
もう1つ大事なモデルがある。自己と他者が共に「知っている」にも関わらず、対話をしているうちに「考え方が変わる」場合がある。両者が知っていれば「常識」の範疇だが、常識を懐疑しつつ、そして既成の概念に囚われずに対話するのが、新しい考え方に到達する有力な方法なのだ。天邪鬼だと揶揄される場合もあるが、常識を疑うことのない研究は存在しない。知らないもの同士が対話しつつ「考え方を変える」(研究する)ためには、お互いが「知っている」と思っている考え方(常識)を疑ってみるのがいい。モデル3とモデル4、つまり研究と常識は表裏一体になっている。この2つの対話は、知らない考え方をインプット(吸収)するのではなく、お互いが考え方をアウトプット(発信)しなければ成り立たないアウトプット型の学習である。

4つの対話型学習モデル
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求められている企業内教育の質的転換

4つのモデルの大切なポイントは、「学修」と「研究」を「考え方を変える」対話型学習という共通の土俵に位置づけたところにある。一般に「研究」といえば、大学の学術研究、最先端の科学技術、あるいは研究所の研究開発などに限定されがちである。いずれも、知らないもの同士の対話による新しい考え方の発見だが、そうした行為は、一部の特別な機関や組織の成員だけに必要とされるわけではない。知っていることよりも知らないことの方が多い日常生活や仕事の現場では、「研究」しなければならない問題にしばしば遭遇する。ささやかな現場の問題解決行動も学術研究も、地続きの同じ土俵の行為である。
単純なモデルだが、学習スタイルを分類し、学習の質的な変化を視野に入れるのに役立つと思う。大学改革を考えるためにも有効だが、ここでは、この対話型学習モデルを日本的経営の要である企業内教育の変化にあてはめてみよう。
戦後の日本の経営は、西洋に追いつくことが目標であり、追いつくための企業内教育は、「西洋を教師」にした「研修」という名のモデル2だった。1980年代には、日本的経営礼賛の時代が到来し、もはや海外に教師なし、という雰囲気に変わった。その経営を支えたのは、長期雇用を前提にした内部人材の育成だった。企業の人事課が元気だった時代で、余計な専門知識(色)がついていない白無垢の花嫁のような学生ほど教えやすいと豪語していた。この頃の企業内教育は、O.J.T.(On the Job Training)と階層別教育の二本立てだった。この2つが有効に機能したのは、社内に信頼できる正統な考え方が存在していたからである。正統な考え方を社員に教えるのが企業内教育の役割であり、「上司は教師である」というモデル2が日本的経営を支えてきた。
ところが、この長い経済不況で、今までの正統な考え方では会社が生き残れないような出来事が増えてきた。OJTと階層別教育で生産性が上昇するという実感が希薄になっている。しかも、新しい考え方を教授してくれる教師を見つけるのは難しく、信頼できるリーダーも出てこない。機械学習の言葉を借りれば、正解を教えてくれる「教師あり学習」から正解なしに自己学習する「教師なし学習」に変化したかのようである。表でいえば、教授と学修のモデルだけでなく、企業の現場でも、未知の世界を探検する研究モデル3、および常識を懐疑するモデル4が必要になっている。研究者だけが研究するのではなく、誰もが研究者になることが求められている時代である。

生産性格差の是正と学習

スティグリッツによれば、企業の生産性を向上させる1つの要件は、ベストプラクティスに近づける努力である。生産性は「考え方を変える」「やり方を変える」ことによって上昇する。べストプラクティス企業が具体的な目標になる時には、その企業を教師にするのが経営の常道だが、他人の考え方を「学修」するモデル2だけで生産性が上昇するわけではない。生産要素の質が同じでも生産性格差が生じるのはなぜか、という問いの答えはかなり複雑だ。スティグリッツは「学習だ」と答えたが、個別の状況によって「そこで必要な学習」は異なってくる。重要なことは、個別の状況に応じて、常識に囚われず、「なぜ」を問い続けることだ。問い続けながら、分からないもの同士が一緒に探検し、新しい考え方を発見するのがモデル3の研究である。スティグリッツのラーニングには、研究が含まれている。

O.R.T.のすすめ

よく分からないけれども、知らないもの同士が知恵を出し合って、現場を調べて情報を収集し、常識化した既成概念に囚われずに、情報を組み立て、そこから問題を発見し、解決策を提案し、検証する。この一連の問題解決プロセスが「研究という名の仕事だ」と喝破したのは、KJ法の創始者、川喜田二郎先生である(※2)。今から50年も前のことだ。幸いにも私は、その頃の川喜田学校で、既成概念に囚われない研究の作法を学ぶことができた。そこでの対話型学習によるスキルの学修と研究が、その後の長い研究生活の糧になっている。
スティグリッツは、「学び方を学ぶ」ことが重要だとたびたび指摘しているが「学び方を学ぶ」には、どうすればよいか。「研究」モデルの経験を繰り返すしかないと私は思う。O.J.T.が有効なのは、現場の「学修」経験が何度も繰り返されるからだろう。研究する力をつけるには、何をすればよいか。海外の文献(=教師)を探す前に、現場の情報を収集し、探検することだ。研究の面白さは研究の実践によってはじめて分かる。O.J.T.は今でも有効だが、未知の世界を研究する力をつけるためは、上司・同僚・部下と共に探検しながら、新しい「考え方」「やり方」を発見する経験を積み上げるしかない。研究をしながらの訓練、つまりOn the Research Training(O.R.T.)が、研究力を高める優れた方法だと思う。

 

(※1)『スティグリッツのラーニング・ソサイエティ―生産性を上昇させる社会』(薮下史郎監訳,東洋経済新報社2017)。
(※2)川喜田二郎著作集8『移動大学の実験』中央公論社1997年。

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