未来工業株式会社 代表取締役社長 山田雅裕氏
「常に考える」風土が日本一幸せな社員をつくる
1日8時間は自分のために
開発部のある男性社員は、朝8時に出社して16時に退社する。17時からは毎日、テコンドーの師範として地元の道場で教えているからだ。本人も世界大会に出場するほどの有力選手で、稽古に、後進の育成にと忙しい。「それでも彼は開発部で一番図面を描く社員です。『仕事が8時間、睡眠その他で8時間、残りの8時間は自分のために使う』という、当社が理想とする働き方を実践しています」。そう語るのは、未来工業の山田雅裕社長。「過去には長い休みを利用して、趣味の風景写真を撮りに全国を旅する社員もいました。北海道で撮影した丹頂鶴の写真は、そりゃあ見事なものでした」と付け加える。年間休日140日、正月休暇は約20連休。GWも毎年約10日の休みがある。そして平日は大半の社員が残業なしで帰る。労働時間の少なさと休暇の多さは、未来工業が「日本一社員が幸せな会社」と呼ばれる理由の1つだ。まずはその制度の成り立ちから振り返ってみたい。
残業ゼロは創業時からの夢
未来工業は岐阜県に本社を構える電気設備メーカー。工事用の電材、管材製品を製造・販売している。社員800人の中堅企業だが、トップシェア製品は数知れず、特許庁の意匠登録件数では大手メーカーと肩を並べて毎年上位20社に入るなど、開発力も群を抜いている。
そんな同社が休日の増加に踏み切ったのは、バブル期の採用難がきっかけだった。「当時は超売手市場で、特に実際には違うのですが『大晦日ギリギリまで仕事をしている』という印象が強い製造現場には全く人が集まりませんでした。若い人が最も重視しているのは休みの多さだと考えて、当時の大手企業を越える休日数を設定しました」。インパクトは大きく、たちまち応募が増えた。取引先からは非難囂々だったが、やがて「人手を確保するにはこの方法しかない」と同社の成功を見て実感した同業・関連他社も追随するようになった。「少しですが地域の建設業界の意識を変えられたと思います」と山田社長は振り返る。
次に取り組んだのは残業をなくすこと。もともとこれは創業時からの夢だった。未来工業は1965年に初代社長の山田昭夫氏が趣味の劇団『未来座』の仲間2人と旗上げした会社で、残業でなかなか稽古に集まれなかった共通の経験から、「僕らの会社はいつか残業をなくそう」と誓い合ったという。実現のチャンスが訪れたのはバブル崩壊後、創業時から続く忙しさが落ち着いたタイミングで実施した。
「ホワイト企業が目的ではない」
未来工業が「日本一社員が幸せな会社」と呼ばれ、メディアでたびたび取り上げられるのは、休日の多さや残業ゼロだけが理由ではない。社員は全員正社員、定年は70歳、育児休暇は最長3年といった制度に加え、上司への報連相(報告・連絡・相談)禁止、部下への命令禁止、営業ノルマも成果給もなしという独特の決まりが注目を浴びた。平均年収も647万円と高水準で、年功序列だから下がることもない。さらに言えば、大型機械の購入など重要事項も含めて決定権は現場の社員にあり、失敗しても決して叱責せず、責任も問わないというルールが根付いている。
当然頭に浮かぶのは「何のために」「なぜそんなことが可能か」という疑問だ。これに対し山田社長は、「最初に申し上げたいのは、当社は別に『日本一社員が幸せな会社』や『ホワイト企業』を目指したのではないということ。企業として持続的に収益を確保するという、当たり前のことを実践してきただけです」と答える。その根幹にあるのが、「常に考える」社員を育てることだという。「わずか3人で起業した資本力のない当社は、創業時から価格競争に巻き込まれないよう、付加価値の高いアイデア製品づくりに注力してきました。この方針が成功の原動力となったことから、新たな価値を生む土壌である『常に考える』姿勢を何よりも重視しています」。
全員正社員、年功序列主義、ノルマなし
常に考える――その余裕を生むのは、「働く者の立場と安定を保証すること」というのが同社の考えだ。「だから工場のライン担当も含めて当社は全員が正社員。派遣社員やパートなら、この地域では800円程度の時給で済みますが、それではモチベーションを維持するのが難しい」と山田社長。昇給・昇格は年功序列。「『未来工業に神はいない』というのが創業社長の口癖でした。どんなに公平を期しても人が人を査定すると必ず不満が出るし、働く側にとっても結果を求め続けられるのは辛い。特に営業では、ずっと上向きなんて今の時代ありえません。だから営業ノルマや成果給もなし。その代わり、調子が悪い時も毎年きちんと昇給する安心感があります」。
社員として立場や将来を約束されてこそ、仕事に情熱を注げるしプライドも生まれる。残業ゼロがスムーズに達成できたのも、「『仕事が減っても残業はあるんだね』という上の言葉に、現場がプライドを刺激され、目の色を変えて削減に取り組んだ」からだという。「本当に禁止したいのはダラダラと仕事をする姿勢です」と山田社長は明言する。
部下への命令禁止、上司への報連相禁止も、その意図は「常に考えさせる」ことにある。「正確には報連相のキャンペーンが禁止。義務づけると、会社に"やらされている感"が強くなるし、報告すればそれで義務を果たした気になる。上司も命令や指示が仕事と勘違いする。そうではなく上司も現場に足を運び、日頃から部下と交流するのが当たり前です」。
"成功の方程式"で創業以来黒字を継続
このように「常に考える」ことができる仕掛けを、あらゆる面から施すのが、同社の成長の方程式だ。その成果は業績に表れ、創業から10年は倍々成長、以降も前年比2割アップの売上を続け、一度も赤字になったことがない。利益率も常に1割を超える。恵まれた待遇の"原資"となる利益の確保が、考える社員を育て、新たな価値の創出や品質向上、コスト削減などを達成することにより、また収益につながるという好循環を生んでいる。
労働時間や休日も、常に考える仕掛けの1つだ。「自分の時間がたっぷり取れるから、趣味に遊びに思う存分リフレッシュできる。そうすれば仕事で最大限のパフォーマンスを発揮できる」と山田社長。なお同社の通常勤務(日勤)は8:30~16:45だが、「実働7時間15分」であれば、出退社時刻を調整することもできる。社員が自分に合った働き方を希望すれば大抵は叶えられる、柔軟なフレックス制といえる。
意欲を持って働ける仕組みが、結果的に「日本一幸せな社員」をつくった。トップシェア製品の多い同社は、今では「追われる立場」にあり、人件費も年々圧迫するなど懸念材料もあるが、「現行体制で走り続けるのみです。当社の最大のリソースである、常に考える姿勢を身につけた社員が、きっと新たなブレイクスルーを起こしてくれると信じています」と山田社長はきっぱりと語った。
プロフィール
山田 雅裕氏
代表取締役社長
略歴:
1987年3月 日本大学 経済学部 卒業
1987年5月 未来工業株式会社 入社 営業部配属
松本営業所長、企画課長、山形工場長などを歴任
2003年3月 未来株式会社(2006年未来工業に吸収合併)入社
2005年6月 同社 監査室長に就任
2006年9月 未来工業 監査室長に就任
2008年6月 未来工業 取締役に就任
神保電器株式会社(子会社)代表取締役に就任
2013年6月 未来工業株式会社 代表取締役社長に就任(現職)