労働需給シミュレーション鼎談 -シミュレーション実務から見える未来の論点
日本社会が直面する「労働供給制約」の将来像を見据え、リクルートワークス研究所が2023年3月に公表した「未来予測2040」。同報告書で用いられる労働需給シミュレーションモデルの構築を担当したリクルートワークス研究所の中村星斗研究員/アナリスト、久米功一・東洋大学経済学部教授、高田悠矢・Re Data Science代表取締役社長が、シミュレーションの考え方や留意点を語り合った。
久米氏は過去に経済産業省において「産業構造ビジョン」のシミュレーション構築実務を担った経験を持つ。また、高田氏は日本銀行においてマクロ経済動向の分析実務に携わった経験を持つ。いわば労働市場に閉じないマクロシミュレーションに従事してきた観点から、リクルートワークス研究所の労働需給シミュレーション構築を実施するなかで見えてきたものを議論する。
(聞き手:リクルートワークス研究所 古屋星斗)
予測をどう活かすか
― 今般のリクルートワークス研究所の労働需給シミュレーションは、労働政策研究・研修機構(JILPT)の「労働力需給の推計-労働力需給モデル(2018年度版)による将来推計―」の推計手法を参考に構築しましたが、モデル構築を担った3人に、あらためて取り組みの意義やポイントについておうかがいします。
久米:このシミュレーションの貢献は3つあると考えています。1つは、2040年時点で約 1100万人の労働力の供給不足が生じるという具体的な数字を提示できたこと。2点目は「生活にかかわるサービスを維持できるか」という点に着目して需給予測したことです。あえて経済成長を目標として設定しないことで、地に足の着いた議論をするための素地を提供しました。特に職種別、都道府県別のデータは議論の活性化に寄与できると考えています。3点目は、私たちが想定する解決策の柱である「自動化」や「ワーキッシュアクト」(本業の仕事以外の様々な活動)についても加味している点です。アンケートやヒアリングを通じて得られたデータを基に、将来の自動化率やワーキッシュアクト参加率をシナリオに盛り込んでいます。
中村:やはり、「2040年に約1100万人の供給不足」という具体的な数字を打ち出せた意義は大きかったと思います。単に人手が足りない、と将来を漠然と悲観するのではなく、この数字を共通認識とすることで具体的なイメージを描きながら打ち手の議論を深められる、そんな土台づくりができたと感じています。
高田:まず、労働市場に特化していないマクロモデルは複数の公的機関や民間シンクタンクが発表している一方、労働市場にフォーカスしたシミュレーションは殆どみられず、今回のような取組みは貴重なものであると考えています。 また、当シミュレーションの目的ですが、現実を忠実に再現することではなく、将来予測を正確に的中させることでもありません。“All models are wrong, but some are useful”というGeorge E. P. Box氏の格言がありますが、本質的なメカニズムを明らかにすることで、課題を明らかにすることが狙いです。今回は、労働供給制約社会の到来に警鐘を鳴らすという明確な問題意識のもと、具体的な課題を明示できた点に意義があると考えています。
― 労働需給シミュレーションモデルにおける最大の論点は「均衡モデルか、潜在需要モデルか」だと思います。これまでは生産性の向上などによって労働需要を圧縮して労働需給を均衡させるシナリオを描く「均衡モデル」が採用されてきました。しかし、均衡モデルでつじつまを合わせようとすると、人手不足で稼働率を下げざるを得ず利益率が悪化して経営が立ちゆかなくなる企業や、その労働供給量では生活維持が困難になる地域の暮らしを不可視化しかねない、という危惧もあります。
久米:一般的なマクロモデルの長期とは、生産要素である資本や労働が可変な時間軸であり、短期は、人々の嗜好や利用可能な資本が不変な状況で、消費や投資などの経済活動が変動する時間軸をいいます。需要の長期的な予想は難しいため、潜在需要モデルでは、今回私たちが行った15年先ぐらいの予測が限界だと考えます。供給をベースにする均衡モデルではその弱点は薄らぎますが、需要と供給が一致するようにモデルを閉じるためには、賃金や物価、GDPギャップなどが現実以上に柔軟に調整しなければならない状況が生じてしまうおそれもあります。
中村:潜在的な労働需要を表に出すとどうしても供給との乖離が大きくなる状況にあり、それは避けたいという意識はあるのかもしれませんね。
多様な働き方が進む中で「マンアワー」をどう数値化するか
― 私たちが採用している「需給調整ブロック」は、労働需給を均衡させる意図ではなく、需要にも供給にも影響を与えるファクターとして投入しました。それでも例えば、将来の最低賃金が3千円台まで上がる、と仮定すれば需給が均衡するシナリオを描くこともできるかもしれません。しかし、現実には生活維持サービス関連の現業職の賃金はなかなか上がりません。この理由を皆さん、どう考えますか。
高田:労働者全体の平均賃金が伸び悩んできたと言われる理由の一つとしては、女性の労働参加が進む過程で、非正規労働者の割合が上昇したことが挙げられます。正規・非正規それぞれの賃金は横ばい、あるいは一定程度上昇していても、相対的に賃金が低い非正規労働者の構成比が高まれば、全体の平均値(賃金)は下がります。生活維持サービス領域における賃金が一様に上がっていない、というわけではなく、時期によっては、主に非正規において上昇している局面も散見される点は、注意する必要があります。
中村:働き手が同じ場所に集まり、それらの労働力が同時に消費される「生産と消費の共時性」という、生活維持サービス関連職種に顕著な特性が背景要因にあると思います。建設や介護の現場がまさにそうです。働き手が集まりやすく消費力も旺盛な都市部では賃金を高く設定してもカバーできますが、地方ではそうはいきません。
久米:セクターによっては、競争的市場の想定とは異なる準市場となっていて、賃金が伸縮的でない場合もあります。生産性の伸びに見合った賃金か否かを見極めるためにも、私たちのモデルもいわゆるマンアワー(1人が1時間に作業する仕事量)の観点からアプローチすれば、予測精度を向上できると思います。
― マンアワーのような個別の労働時間の「質」の問題は、各種統計データでも的確に捉えきれていないと感じます。近年増えている副業や兼業、非正規の人の働き方も多様です。
中村:リスキリングによって生じる労働移動がこの先どう実現していくのか、といった点も考慮し、「個人の働き方のマイクロシミュレーション」をマクロモデルと組み合わせてシミュレーションすれば、より実態に迫れそうですね。
高田:今後、多様な働き方が進んでいくにつれ、個々の労働投入量を厳密に把握するのは更に難しくなっていくと考えられます。いわゆる政府統計のみでなく、民間企業が保有するデータなどをフル活用していく必要があると思います。
「もっと働きたい」と思える労働環境へ
― シニア層や女性の労働参加率も注視する必要があります。高齢者が労働供給シミュレーションに与えるファクターについては、どのようにお考えですか。
久米:高齢者の労働に関しては年金制度の影響が大きいと考えています。現在、年金受給開始年齢は原則65歳で、70歳までの雇用確保が努力義務とされており、この先、健康な人にはできるだけ長く働いてもらう流れにあります。そう考えると、最大のファクターは健康寿命です。働きたくないのに経済的困窮のため働かざるを得なくなる高齢者のQOL(Quality of life、生活の質)の問題も含め、労働環境をしっかりフォローする必要があります。また、高齢者は地域社会でワーキッシュアクトのような市場化されない財やサービスを担っている面もあり、「“労働”に参加していないが“社会で活動している”率」の推計も必要でしょう。
高田:将来の高齢者の労働参加率を適切に推計するためには、年金や退職金などの個人資産、終身雇用制度からジョブ型への移行といった要素を加味した上で、ワーキッシュアクトなどにみられる従来の「労働」 とは異なる潜在的な労働供給も念頭に置く必要があるかと思います。
― 女性についてはいかがでしょう。
中村:今回のシミュレーションでは先行研究を踏襲し、女性のみ有配偶と無配偶に分けて労働力率を推計しています。あくまで現時点ではこの方法が妥当なのだと感じますが、将来も同様とは限りません。例えば、男性でも有配偶と無配偶を分ける、あるいは女性も配偶状況を考慮しない方が実態に合うようになるといった考えもあるかと思います。
久米:これも高齢者における年金と同じで、「年収の壁」といわれる有配偶者の税・社会保障負担を軽減する制度の見直しが、今後どれほど進むのかによると思います。政策の対象が世帯から個人に変わり、労働供給に歪みを与えている制度が解消されれば、有配偶・無配偶で分ける必然性がなくなる可能性はあります。
高田:女性は有配偶・無配偶で分けているのにも関わらず、男性は分けなくてよい、というのは幾分違和感があります。男性の育休取得なども一般化するなかで、既婚・未婚を男女ともに分けるのが本来の形でしょう。 また、ルイスの転換点と呼ばれることもありますが、注目すべきは、女性の労働参加率が限界水準に迫りつつある点です。限界水準を見積もる上では、北欧諸国が参考になるかもしれません。
中村:北欧ではケアワーカーが公的機関で雇用されており、家庭内労働が市場化されていますよね。
久米:北欧の現状として、ケアワークが女性に偏りがちな面もあると聞きます。性別職域分離の是非も含め、男女が応分に労働負担する仕組みをどう整えていくかも課題になりそうです。
― 女性の労働力率の到達点についてはどのようにお考えですか。私たちは今回、例えば30~34歳の有配偶女性の場合、2021年の71・5%から2040年には83・5%に引き上がるという推計結果が出ています。
久米:これをさらに引き上げていく上で必要なのは、労働者の数で見るか、1人当たりの労働時間で見るか、という視点だと思います。10人のうち8人が働いている、といったデータはとても分かりやすい。一方で、もっと働きたいと考えている「アンダーエンプロイメント」はどれくらいいるのか。これは男性よりも女性に多く潜在すると考えられます。いま働いている女性のうち、「もう一杯一杯」という人と、環境さえ整えば「本当はもっと働きたい」と考えている人の割合はどうなのか。先の「年収の壁」の議論にも通じますが、もっと働きたい女性のニーズを満たすことで、女性の労働参加率の内実は変わってくると思います。
― 「もっと働きたい」という点で想起するのが、外国人労働者の問題です。人手不足の解消策の一つに挙げられていますが、世界全体の高齢化率上昇や日本の経済的地位の相対的低下を考えれば、移民受け入れを長期的に有効な施策として組み入れるのは難しい、と私は考えています。高齢化が進む中国、韓国、オーストラリア、シンガポールとの移民労働者の奪い合いも予想される中、日本で働くことに相対的な魅力を感じてもらえるのか疑問だからです。日本で働いている私たち自身がもっと働きたい、と感じられる賃金水準や労働環境が整備されていて初めて、外国の方にも労働参入してもらえるのではないかと考えています。
さて、シミュレーションを経た今後の展開についてご意見があればお願いします。
高田:生成AIの進化により、ホワイトカラーの仕事がどの程度奪われていくのか、といった点をシミュレーションできれば面白いですね。
久米:「未来予測2040」では、2032年までの「10年の猶予」の間の取り組み強化によって「労働供給制約の発生を10年遅らせることができる」と唱えています。これは大事な指摘で、私も同感です。私たちはコロナ禍を経て、社会の変化の速さを実感しました。出生者数の減少率ひとつとっても加速度的で、従来のマクロシミュレーションだけでは十分フォローできません。労働需給に関しても個別の課題ごとに数年に一度、マイクロシミュレートする形で補うアプローチが有効だと考えています。
中村:今回、マクロなデータを用いて量的な観点から2040年までの労働需給について検討しました。とはいえ日本の労働力率が他の先進国と比較して低くないことを考えると、量的な観点だけで進められる議論には限界があると言えます。次の段階としては、例えば久米先生がおっしゃるように、ミクロなデータを用いたマイクロシミュレーションを用いてより質的な観点に議論を進めていくことにも大きな意義があると考えます。
― 皆さま、ありがとうございました。