キャリアのリアルデータ集積「Personal Career Record」検討のススメ 古屋星斗
人生100年時代と言われる。寿命の延びは、職業人生も長期化する。80歳まで働くことが当たり前、そんな時代が来ようとしている。
だが、職業人生の長期化を支える仕組みは十分だろうか。今の仕組みで果たして、最適なキャリア選択が可能なのだろうか。
キャリアを考えるうえで有用な"リアルデータ"は、すでに学校、企業などにより個人単位で作成されたものが大量に保管されている。こうしたデータは個人情報として、それぞれの組織がそれぞれの組織の中のみで保有し、責任を持って保管・廃棄されているのだが、個人情報を適切に処理することは、活用せずに廃棄することと必ずしも同義にはならない。既に医療・健康の分野では、「Personal Health Record」として、生まれる前から死ぬまでの人間の医療・健康データを集積するべく、代理機関創設など政府主導で取り組みが進んでいる。
ひとつの提案として、職業人生に関するデータを各組織でしまいこむのをやめ、活用に向けて戦略的・政策的に集積すること。それが新時代のキャリア選択のインフラになりうるのではないだろうか。
本稿では、日本における職業人生についてのリアルデータ集積の重要性と可能性、称して「Personal Career Record」について考えてみたい。
日本にあるキャリアのリアルデータ
キャリアに関するリアルデータにはどんなものがあるのだろうか。主なものを整理して挙げてみたい。
学校と職業社会に存在する主なキャリアのデータを整理したのが以下の表である。ここでは学校が保有するデータを、①初中等教育におけるデータ(小学校、中学校、高等学校等に在籍する、概ね18歳までデータ)と②高等教育におけるデータ(大学、短期大学、専門学校等に在籍する時期のデータ)の二つに分けている。これに、③企業が持つ従業員についてのデータと、政府などが保有する④その他のデータを加え、4つの区分で整理している。
※このほかにも、「ジョブ・カード」(本人のキャリアプラン、職務履歴、免許・資格、職業訓練履歴・成果等を記載し、本人が保管)などが存在する。
(出所:リクルートワークス研究所)
文部科学省の「教員勤務実態調査」(平成28年度速報版)によれば、児童・生徒に関する記録である指導要録や通知表の作成に充てられる時間(成績処理に充てられる時間、試験作成・採点時間等含まれる)は10年前と比較すると、中学校では平日一日あたり25分から38分へと5割以上増加、休日では3分→13分へと4倍以上の増加となっている。教員が、寸暇を惜しみ作成した情報を、卒業とともに学校の金庫に鍵をかけてしまうのは"もったいない"と言える。ちなみに、指導要録における学籍に関する内容(卒業後の進路など)は20年保存、そのほかの内容は5年保存となっている。
大学では、履修履歴を学校側が作成しているものの、インターンシップ・留学・ゼミナールなど、取得単位の履歴では内実を把握しきれない個別の学習履歴について小中高校ほど詳細に作成しているわけではない。また、GPAを採用していない大学があるなど、整理が必要な部分も多い。企業では人事に関連して、個人個人の詳細なデータを作成・保有しているが、データに記載された本人がキャリアをデザインする際に参考としたり、転職する際にこのデータが引き継がれたり、といったことはない。データはあるが、個人が用いることはできない、という点で小中高校の状態と近い。
「Personal Career Record」活用の可能性
こうした職業人生のリアルデータは、個人の情報ではあるが、奇妙なことに個人が実質的に所有権を保有しておらず活用したくともできないものが多い。データに記載されている本人にデータのオーナーシップが存在し、自己のキャリアの経緯や実績の全体を記録する。学校選び、就職、転職などの職業人生のトランジションの際に参照できる。こんなシステムを「Personal Career Record」と呼びたい。
もしキャリア選択やその支援のために「Personal Career Record」が政策的に活用できたら、何ができるだろうか。
寿命と職業人生の長期化は、人生における「移行」発生の回数が飛躍的にあがることを意味する。就職、転職、ライフイベント後の再就業など、増加する個人のキャリア選択のタイミングにおいて、「Personal Career Record」は有用だ。現在は個別(高校、大学、企業など)の情報のみで行われているキャリア選択の支援が、「Personal Career Record」で個人を横串にしてデータがブリッジされる。本人をはじめ、進路指導の先生・キャリアカウンセラーなどの支援者にも提供されることにより、ひとりひとりが人生で経験・習得してきたことをベースにしたキャリア選択が可能となる。
また、個々人のデータ活用と同様、データ集積自体にも可能性がある。
とある人物が、どのような学習を行い、成績を収め、進路選択をし、こうした会社で働き、転職して活躍している、というデータが多数集積される。これは、学校における専攻の選択から転職時まで、キャリアを見定める際の"ビッグ・データ"となる。つまり、「こうした失敗を中学で経験した生徒は、将来はこういう道を目指すと活躍できるかも」、あるいは、「とある職種で活躍したければファーストキャリアでこういう体験をすると良いかも」という情報が手に入る。
女性、シニア、若者、あらゆる階層で「ロールモデルの不在」が言われている。「Personal Career Record」は、言わば、社会における新たなロールモデル提示の仕組み、いわば"ロールモデルバンク"となりうるのではないだろうか。
検討のポイントと課題
最後に、「Personal Career Record」構築に向けて検討すべきポイントや課題について触れたいと思う。
キャリアのリアルデータの活用については、情報を匿名情報の集積("ビッグデータ"としての活用)に留めるか、ひとりひとりに紐づけた個人データとするか、という大きなポイントがある。また、個人データの場合には、その閲覧利用範囲をどこまでとするのか、も論点となりうる。加えて、情報を誰が保有するか及びセキュリティの問題も存在するだろう。
個人情報保護の問題については、特に後天的だが不可逆的な情報(初中等教育での学歴・評価など)をどう扱うか、など社会階層の固定化を助長する仕組みとならないよう配慮する必要がある。例えば、個々人が特定されない匿名でのデータ集積("ビッグデータ"利用)とは別に、個人的に当該データの活用を行うかどうかの選択を中等教育修了時点(18歳等)などのタイミングで判断する仕組みが有用かもしれない。利用範囲を個人が主体的に選択できる仕組みも必要となるだろう。
なお、健康・医療分野の「Personal Health Record」と違い、関係分野を所掌する官庁が複数にまたがる(厚労省、文科省、内閣府など)点も実現を難しくする可能性が高い。扱う組織ごとにデータフォーマットから、データに対する考え方にも相違があり、政治的、政策的な仕組み作りが求められる。
活用に向け情報の質を上げるため、データ自体を後の活用を意識したものに整備することも望まれる。評価しデータを作成する側が、実績のスコアのような定量的な情報と、所見などの定性的な情報の役割を峻別して記載し、また、差別に繋がる要素の入った情報が含まれていないかなど配慮を行う必要もあるだろう。
組織が個人の職業人生を決めてくれていた時代が終わり、キャリアデザインの重要性が認識されて久しい。すでに存在するデータの活用が自律的なキャリア設計の最大のサポートになるという、「Personal Career Record」の検討は、次世代のキャリアの支援施策の中核となりうるのではないだろうか。
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