会社は「遊びに来る場」でいい? 入倉由理子
なぜ、オフィスに集まることが必要なのか
Works131号の特集テーマは、「バーチャルリアリティが人と組織を変える日」であった。VR(バーチャルリアリティ、仮想現実)とAR(オーグメンテッドリアリティ、拡張現実)とは、簡略化していえば、仮想と現実をミックスすることによって、リアルを超える経験、機能を追求する技術である。
この特集で私たちが立てた問いは、「直接会った方がいい、は本当か」。VR/AR技術の進化で、オフィスや家、サードプレイスをつなぎ、どこででも、いつでも、誰とでもつながって仕事ができるようになる。それでも、企業は大きなオフィスを構えて、人が集まる場を作り続けるべきなのか、という問いかけである。
もし、直接会わなくても高い生産性や創造性が発揮できるのであれば、ワーキングマザーや介護中の社員、配偶者の転勤で海外に行かざるを得ない社員、障害を持つ人などにとっては朗報である。また、能力やスキルは高いのに1つの場所に集まれない人を手放さなくていい、もっと言えば、世界中から空間的距離を気にせず、適材適所にタレントを配置できるという意味で、企業にとってもメリットは大きい。それでも結論から言えば、現在の企業社会のなかでは、「直接会う」ということから離れるハードルは高いようだ。「ビジョンを共有するため」「会ってコミュニケーションを取らなければ、人の評価はできない」「人と人が偶然顔を合わせることで、仕事が進んだり、アイデアが生まれることがある」ということが、主な理由である(詳しくは本編をご覧いただきたい)。
直接会わないことがデフォルトの記事制作で、直接会う意味
この問題を、私が携わる雑誌記事の編集の仕事にこと寄せて考えてみた。記事制作は「インターネット以前」の電話とファクスしかない時代から、直接会わずに進めることが多い。つまり、「直接会わないこと」がデフォルトなのだ。その仕事において、「わざわざ会う」のは何のためか。
記事制作に携わる人々はフリーランスが多く、編集者、ライター、グラフィックデザイナーなど、協働する人々はたいてい異なる場所にいる。編集者は企画を立てたあと、その企画に適したライター、デザイナー、カメラマン、イラストレーターなどをアサインする。そして、目的を伝え、共有し、インタビュー・撮影を行い、誌面レイアウト・執筆をお願いして完成である。
そうしたプロセスのなかで、必ず会うのはたいてい2回だ。
1つは、記事制作のスタート時に行う打ち合わせである。この場には、記事の目的と内容を伝え、読者よりも前に、まずは協働するメンバーたちに「面白いと思ってもらうこと」、つまり、仕事に向き合うモチベーションを高めるというキックオフミーティングとしての役割がある。周囲を見ると、優秀な編集者はこの「ビジョン共有」がことのほかうまい。論理的に書かれた企画書の上に、強い意思と情熱を乗せて語る。メールや電話、スカイプでは伝わりにくい温度やニュアンスが確かに存在する。
もう1つはフィードバックだ。それは単なる「評価」の場ではなく、記事制作の途中、つまり、たとえば原稿を執筆するライターに対してであれば、「ここがよくわからない」「よりよくするにはこうしたい」と、記事を(そしてそれを通じてその記事をつくるメンバーを)「成長させる場」である。
両者に共通するのは、細かいニュアンスを伝える場であるのと同時に、双方向である点だと言えよう。スタート時の打ち合わせでは、編集者の頭のなかで組み立てられたリアリティの低い企画に対してライターなどから意見をもらい、企画をブラッシュアップする。また、フィードバックの場面では、相手にもそこをそのように書いた、デザインした言い分がある。会わないと、相手が何かを言おうとしたその瞬間を見逃し、記事をよりよくするチャンスを逸する可能性があるのだ。
ここまで書いて、特集内で「ビジョン共有や評価ではやはり直接会うことが重要」と言った人事の方々の気持ちが理解できるような気がした。
相手の言い分を聞きたいならば、直接会わないほうがいい?
しかしながら、この2つの場面も、VR/AR技術の進化によって、会わずに済ます可能性も否めない。大きなプロジェクタでオフィスや家が常時接続され、4K、8Kの高解像度でコミュニケーションができるようになれば、細かいニュアンスを伝えることは十分できるだろう。さらに、双方向によって相手の意見、言い分を引き出したいのならば、直接会わないほうがいいこともあるようだ。そう気付いたきっかけは、本誌にもご登場いただいた東京大学大学院・廣瀬通孝教授の研究室で生まれた技術、『扇情的な鏡』(写真)である。
この技術を使うと、モニターに映った人の表情を笑ったようにする(具体的には口角を上げる)ことができる。これを使ってモニター越しに会議をしたとき、出るアイデアの数が有意に増えるのだという。会議の内容が切迫してくると、皆、厳しい顔になる。突破口がなく、時間がじりじりと過ぎていくと、だんだん不機嫌な表情にもなる。そうした場合、「直接会う」ということは、マイナス効果になり得ることをこの技術が証明しつつある。
それらを踏まえ、あらためて「1度も直接会わずに仕事を進められるか」と問われたら、「ある前提を満たしていればOK」と私は答えるだろう。その前提とは、「メンバーがプロであること」「信頼に値する人物であること」である。
「プロ」というだけでは信頼関係は築けない
雑誌の記事づくりの仕事は、目的、ゴール、メンバーが担う役割が明確であり、「読者に××を伝えるために、◯ページの企画を作る」というシンプルなものだ。プロであれば、その記事制作において、自分は何を大切にして、何を達成しなければいいかわかるし、どこまでを自分が判断していいかも理解し、たとえ現場に編集者がいXXなくても自律的に動いてくれる。
そして、信頼。「プロだから信頼できる」という側面もあるが、それを超えた「人となり」や「その人が持っている背景」も重要だ。この人であれば、タイトなスケジュールでも乗り切ってくれる。現場でトラブルが起こってもなんとかしてくれる。この手のテーマは楽しんでやってくれる……。
逆接的ではあるが、その人がどんな専門性を持ち、仕事に対してどんな考え方を持っているかは、会わないとつぶさにはわからない。その媒体の思想や記事の領域との相性は、その人の仕事の履歴だけではどうにも判断しがたいし、仕事や生活において大切にしていることも知り得ない。それらを知るには、仕事の合間の雑談、ランチ、そして飲み会といったコミュニケーションを何度か重ねる必要がある。編集者の飲み食い、遊び、雑談は、仕事に内包されるべくもの、と言っても過言ではない。
リモートワークを実施している米国のベンチャー企業を訪問したとき、「金曜日の夕方17時からは、毎週オフィスで飲み会をやっています」と言われた。飲み会と言っても、自由参加、出入りも自由、フリードリンク、フリーフード。社外の人も歓迎である。日本企業の「飲み会」とはかなり雰囲気が違う。確かに、こうした遊びの場があることによって、特集で語られた「直接会う意味」の最後の1つ、「偶発性」も担保できる。
仕事は、直接会わなくてもできる。でも、そのためには直接会って、相手を知っておく必要がある。だとすれば。今回の特集における乱暴な私の結論は、会社は究極的には「遊びに来る場」でいい、である。