今こそ、人事価値の「見える化」を 清瀬一善
ESG投資が活況
近年、株式市場において、「ESG」に着目した投資が注目されつつある。ESGとは、E=Environment:環境、S=Social:社会、G=Governance:企業統治の3つの言葉の頭文字を取ったものである。この概念は、2006年に国連が制定した責任投資原則(PRI: Principles for Responsible Investment)が基盤となっている。そして、これらの非財務情報を基に中長期的な企業の成長力を評価した上で行われる投資が「ESG投資」と呼ばれているのだ。女性活躍推進に向けた取り組みに注目した「なでしこ銘柄」 や従業員の健康維持・向上への取り組みに注目した「健康経営銘柄」 なども、広義でのESG投資の一環と考えられる。
日本企業にとって、非財務情報の中で最も重要な経営資源の一つは、言うまでもなく「人材」である。今年の入社式でも、多くの社長が「わが社にとって、人材は競争力の源泉である」「皆さんの成長を支援する」といった旨のメッセージを新入社員に伝えたはずだ。資源立国ではないわが国においては、「人材こそが競争力の源泉」と考えている企業も多く、弊所実施の人材マネジメント調査 においても、毎回「次世代リーダー育成」や「女性活躍推進」などが取り組むべき課題の上位に挙がっている。
しかし、競争力の源泉であるはずの人材価値について、企業は情報開示を進めているだろうか。この10数年で、取締役や執行役員に関する情報開示は、コーポレートガバナンスの観点から大きく進んだ。だが、従業員に関してはどうか。大手企業のアニュアルレポートやCSRレポートなどの機関投資家向け情報を調べてみたところ、「人材育成に積極的に取り組んでいます」「資格取得を支援しています」などといった人材育成に関する取組内容の紹介が主流で、その成果であるはずの人材価値に言及している企業はあまり多くなかった。
なぜ、人材価値に関する情報開示が進まないのだろうか。おそらく理由は二つある。一つ目の理由は、人事部門が人材情報を機密事項と考えていて、開示に消極的になっていること。もう一つの理由は、社外への情報開示は伝統的に広報部門やIR部門などの仕事となっていて、人事部門が直接参画していないケースが大半であったことである。
しかし、徐々に流れは変わりつつある。前述の「なでしこ銘柄」や「健康経営銘柄」の選定に端を発し、人材価値に関する情報を開示することが、企業価値の向上につながるという好循環ができつつあり、それに伴い、人事部門が情報開示に関する検討に参画するようになってきたからだ。
人材価値向上と企業価値向上との間をつなぐストーリーが重要
前述のような資本市場における変化に対応する形で、公的資格や社内検定の保有者数や人材育成投資の金額、年間の研修時間など、人材価値に関係する情報開示は徐々に増えてきた。しかしながら、「ESGのうち、Gに該当する役員の構成に関しては機関投資家のニーズは強いですが、Sの一部であるはずの従業員の価値については、残念ながらほとんど問い合わせがありません」(投資情報メディアのESGアナリスト談)という状況だ。
なぜ、現状の人材に関する情報は機関投資家から評価されないのか。アニュアルレポート表彰の審査を行っている有識者は、「現状の情報開示では、人材価値の向上と企業価値向上との関係性を示すストーリーが見えない」と問題点を指摘する。具体的なケースを挙げよう。全国にチェーン展開している小売業の会社から「当社では、社内弁護士の数を3倍に増強しました」という情報開示がなされても、なぜ社内弁護士を増やす必要があるのかがわからなければ、社内弁護士の数が増えた価値を評価することは難しい。このケースでいえば、たとえば「当社の経営戦略の一つであるM&Aによる事業拡大を推進する上で、法務リスクへの対応が急務となっていることから、内部育成と労働市場からの調達により、当該分野に知見のある弁護士を前年の3倍にまで増強し、対応に当たっている」などと記載されていれば、ストーリーが見える、ということになる。
人材価値に関する情報を開示すること=人事の役割を定義すること
「管理部門である人事部門が、なぜ機関投資家向けの情報開示にまで関与しなければならないのか?」と思われるかもしれない。確かに、機関投資家を顧客と考えるべきというのは少し突飛な話かもしれない。しかし、「ヒト」という経営資源を統括する人事部門は、自社の人材価値向上に対する責任を負うべきであるし、その結果について、少なくとも経営陣に報告する義務があるはずである。よって、間接的には、機関投資家に対しても説明責任を果たす立場にいる、と考えることもできる。そもそも、「わが社にとって人材価値向上とは何か?」「今期、人事部門としては、何の実現を経営陣と約束するか?」を考え、宣言することは、人事の役割を定義することそのものである。
当然、企業の競争戦略上、開示できない部分もあることから、「どこまでの情報を開示するのか」、「どのようなストーリーを見せると、機関投資家は評価してくれるのか」など、考えるべきことは多くある。
このような問題意識から、弊所では、今期「人材育成KPI」に関する研究を行う。この研究では、人事部門の重要ミッションの一つである「人材育成」に焦点を当て、企業価値向上のために人事部門が果たすべき役割(企業価値向上につながる「ストーリー」の体系化及び「評価指標」の概要)について考えていきたい。
このテーマについて、一緒に考えてみませんか。ご関心のある方は、 こちらまでご連絡ください。
清瀬一善
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