Calling ‐神様から与えられたお仕事- 長島一由
仕事観、キャリア観を考えるうえで、忘れられない言葉がある。
「無意味に生まれてくる人間などいない。どんな人でも神様から与えられた仕事をするために生まれてきた」。こう語ったのは、95年当時、番組ディレクターをしていたときに取材でお世話になった浅井三和子さんだ。浅井さんの長男・力也君は生まれたときから重度の脳性まひを負っていた。
力也君は歩けないし、話すこともできない。まして、手を自由に使うこともできない。幼少の頃は一時「ママ」と言葉を発することがあったが、高熱が原因で再び言葉を失った。三和子さんは坂道でベビーカーを押しているときに「このままぱっと手を放して、私も一緒に死のう」と考えたこともあったという。
しかし、冒頭に引用した言葉に思い至り、力也君に可能な限り様々な体験をさせ、5歳のときに絵具を与えて絵を描くことに挑戦させた。力也君は筆をしっかり握ることができなかったが、三和子さんがキャンバスの上に絵具をひねり出し、力也君はローラーやスプーンを駆使して抽象画を描いた。6歳のとき、ハワイ美術院展に「二羽のピジョン」が入選。その後、世界中で個展を開催し、その絵は日本の小学校の国語の教科書の表紙にも採用されるなど、30歳になった今も精力的に活動している。
多くの人が適職にたどりつける社会デザイン
おそらく、神様から与えられたと思えるほど自分にフィットした仕事を、「天職(Calling)」というのだろう。もちろん、天職の領域に達する名人にみんながなれるわけではない。それでも1人でも多くの人が適職にたどりつける以下の社会デザインを持つのが北欧だ。そこでは、自律的な個人を後押しする労働市場が形成されている。
北欧では個人と仕事をマッチングするチャンスは大きく2回ある。1度目の機会はキャリアの入り口である教育と就業のマッチング。2度目の機会は就業したあとに、主にミドルまで続く転身・転職によるマッチングだ。特に、2度目のマッチングの機会は何度もトライする人が多く、実際、デンマークでは平均して5~6回に及ぶという。
人生において何度も適職を探し続けることができるという北欧と日本とでは、職場環境の大きな違いがある。北欧では、大学を卒業し企業に勤めた後、休職・復職、兼職が可能だ。キャリアチェンジするために、勤務先の会社を休職し、40代、50代になって大学や大学院に行き新たなスキルを積むことも一般的である。また、大手電機メーカーのエリクソンのように社員の起業のための休職・復職を認める企業もある。私が取材したエリクソンのカティー・ゾルガファーリさんは休職中に起業し、復職した際には給与まで上がった。新たなマネジメント経験を積んだと会社に評価されたからだ。彼女はエリクソンの社員のまま、会社の社長を兼務している。
他方、日本企業ではこの20年で管理職ポストに就ける人が半分までに減り、役職定年、継続雇用による賃金の半減化など、意欲減退メカニズムともいうべき流れが働く人々のモチベーションを二極化させている。しかも、日本では留学など自己啓発休職の制度や慣行を持つ企業は12.5%しかない(※1)。また、兼職を認める会社も非常に限られている。お試しがなかなかできない環境のため、日本でキャリアチェンジをするのは、清水の舞台から飛び降りる冒険に映る。一人ひとりが主体的に人生を切り拓き、願わくばCallingにたどりつける社会デザインを実現したい。
※1 労働政策研究・研修機構(2005)「労働条件の設定・変更と人事処遇に関する実態調査」p.95
長島一由
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