人類が積み上げてきた歴史と英知、最先端の科学を、なぜ人事は学ぶべきか 高橋俊介(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授)

2017年05月15日

組織人事マネジメントに関する基盤的自論、つまり組織人事の世界観は、多くの場合限定された組織環境における限定された経験から形成される、科学的根拠に乏しいものになりがちである。立場が上がり年齢を経ると、哲学や思想の古典にヒントを得ようとするケースも散見される。

自らの「組織人事の世界観」を構築するために何を学ぶべきか

本来、組織人材マネジメントは基本的に経営視点から考えるものであり、それ単独であるべき姿が決められるものではない。逆に企業が特徴的な組織人事モデルを持つことが優位性の源泉となる一方、事業ドメインの選択肢が現実的に限定される場合もある。つまり、どんな人たちがどんな組織で、どんな気持ちで働くことが、どの事業ドメインでどのように特徴的価値を生み出し、どう企業と社会の利益に貢献するのか、その全体像の定義こそ、会社のあり方の根源を規定する。そのとき経営者や組織人事のプロたちが、わが社らしい人と組織のマネジメントを構築していくわけだが、その場合重要になるのはその人たちの組織人事全体への見識の深さであり、基盤的自論である組織人事の世界観であろう。

本ゼミナールを主宰する私自身が理科系出身であること、鉄道という大組織の現場や経営コンサルティングなどの仕事経験があって組織人事の世界に入ったこともあり、私は最初から組織人事を、哲学や思想などいわゆる人文科学や法学の発想で捉えようとすることに抵抗があった。

経営人事という私が最初に掲げた旗印は、いわば経営視点から組織人事を再構築するものだった。さらに現在では、組織経済学や行動科学、心理学などとの連携が重要になってきている。また心理学や哲学と脳神経科学や分子人類学、生命科学などとの学際的研究が大きく進歩している。

もう一点、組織人事のプロにとって、何事に当たっても科学的根拠と歴史的背景の理解は重要である。人事制度の歴史とその当時の社会的背景の統合的理解はもちろん、それ以前に、例えば人が働く上での価値観の形成、働き方の文化などは長い歴史の上にそれぞれの国や地域に形成されてきたものであるため、古今東西の人類の歴史の理解を深めることも、また欠くことのできないものである。

限られた個人的体験における歪んだ認知をベースにした世界観、抽象性の高い哲学や思想の都合のよい解釈による枠にはまった世界観の強化、これをベースにした組織人事マネジメントのコンセプトでは、これからの変化の時代に価値ある新しい組織人事のパラダイムを構築することは期待できない。

このような問題意識をベースにして、2015年度、2016年度のほぼ2年間にわたって、十数人のメンバーでそのような多様な分野の社会科学や自然科学の古典と最新の名著を読んで議論を交わす研究会を行ってきた。メンバーは主に、大手企業や新興企業、外資系企業などの人事プロフェッショナルに参加していただいた。
そして、この研究会の一つのアウトプットをする本サイトでは、今日本で大いに議論されているテーマである、「日本の働き方」を取り上げた。

「日本の働き方」を再考するうえで持つべき4つの視点

ゼミ参加者の皆さんに、「日本の働き方」というテーマについて相互に議論し、アウトプットを作り上げていく過程で、下記の視点を意識していただいた。

■歴史の視点

日本企業における日本人の働き方、特に時間・場所・仕事内容の無限定性の強い正社員と呼ばれる人たちの、諸外国との比較における良くも悪くも特異な働き方の背景を、歴史的背景から理解する必要がある。日本人形成の歴史、世界の歴史、日本の歴史、それと連携して形成された社会心理学的特徴などの知見がまず基礎として重要である。
例えば、地理的環境と民族の移動・興亡の歴史や農業と技術革新の歴史、さらには宗教権力や世俗権力のあり方は、それぞれの国や地域の今現在の働き方に大いに影響している。
一方で経営環境やビジネスモデルは、かつてないほどのスピードで急激に変化している。経済的に発展した国や地域は、それぞれその働き方を形成する歴史が存在する。しかし、特定の働き方と特定の産業発展形式の蜜月はそう長くは続かない時代になった。そういう意味で、今日本で進みつつある働き方改革、雇用改革の本質とは何なのか。

■経営の視点

働き方改革の本質を、社会の視点からの労働参加率の上昇という以上に、企業経営における創造性・生産性向上と捉えた場合どうなるのか。第一線の仕事を単純化して若者のやる気で乗り越え、昇進という形でキャリアを形成する日本独自のやり方は経営環境と労働人口構成の両面から維持不可能だ。70歳まででも第一線で価値を創造する働き方に変化させていくことの根本問題をどう捉えるのか。
フリーランスや個人事業者、副業兼業といった多様な働き方の拡大は、日本においてどのような意味や効果をもたらし得るのか、そのときの課題は何か。さらには異なる歴史的背景や働き方を有する国々、特に新興国が主戦場となる今後、グローバル経営環境への適合という点から、働き方改革はどう考えるべきなのか。

■社会の視点

日本型長時間労働は、なぜうつや過労死につながりやすいのか。系列取引や社内人材育成まで企業が内部化する方法が、社会的に限界にきているのではないか。一方で内部化されない非正規労働者の低い生産性と処遇が、例えばシングルマザーの相対的貧困率53%という、先進国中トップの数字を生み出しているのではないか。
歴史的、社会心理学的、心理学的視点などをベースにして、長時間労働の是正と裁量労働の拡大、雇用によらない働き方の拡大などで、どうすればこの日本の働き方における根本問題の解決に寄与できるのか。世界的には産業構造の変化がもたらす格差が、政治的不安定を生じさせている。過去の日本的な働き方で豊かになってきたシニア層と、これからの社会視点で考えた場合の若者との格差問題を企業はどう捉えるべきか。それをどう組織人材施策に反映させるべきか。

■技術の視点

今後のテクノロジーの進展は、働き方や人材マネジメントにどのような影響を与えるのか。画期的新技術以前に、可視化やインターネットなどの既存技術の活用は、日本の働く現場での活用はいまだ道半ばだ。さらにはAIやビッグデータの活用、個人のゲノム情報解析の一般化などが働き方や人材マネジメントにどう影響を与えるのか。特定職種の消滅と誕生、職務内容や働き方の激変を前提にした時、組織人事のあり方はどう変化すべきか。技術そのものの視点にとどまることなく、歴史や経営、社会などの視点からの意味合いと組み合わせて、その前提でテクノロジー活用のあり方について組織人事のプロはどう基盤的持論を作るべきだろうか。

まずは人事プロフェッショナル14人がこれらの視点をもとに、どのような「働き方改革」のありようと、そこにおける人事の役割を提案しているのか、ご一読いただきたい。そのうえで、ぜひ、読者諸氏にもこれらの問題に取り組んでいただきたい。

高橋俊介

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授

東京大学工学部航空工学科卒業、日本国有鉄道勤務後、プリンストン大学院工学部修士課程修了。マッキンゼーアンドカンパニーを経て、ワイアット社(現在Towers Watson)に入社、1993年代表取締役社長に就任。その後独立し、ピープルファクターコンサルティング設立。2000年5月より2010年3月まで、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授、同大学SFC研究所キャリア・リソース・ラボラトリー(CRL)研究員。2011年9月より現職。