成功の本質

第105回 チェキ/富士フイルム

10万台から1000万台へ
インスタントカメラはなぜ共感を呼んだのか

2019年12月10日

w157_seikou_001.jpgチェキは製品の愛称で、英語の「CHECK IT( 要チェック)」を短縮した造語だ。正式名称はinstax。左から、最も売れている普及機、1998 年発売の初代機、録音もできる最新機、フィルムサイズが大きいワイド機。
Photo=勝尾 仁

ファインダーをのぞき、シャッターを押すとカメラの横からカードサイズ(86×54ミリ)のフィルムが出てくる。最初は真っ白だが5分ほどたつとくっきりした画像が浮かび上がる。富士フイルムのインスタントカメラ「instax」、愛称チェキ。発売開始から21年。一時は年間販売台数が最初のピーク時の10分の1にまで落ち込んだ。しかし、デジタル化の波により写真フィルム市場が急激に縮小するなかで、アナログのチェキは2007年から逆に再び拡大基調に転じる。2018年には年間1002万台に到達し、海外比率が9割を占めるグローバルヒット商品へと成長した。
その間、富士フイルムも一時は本業喪失の危機に瀕しながら、構造改革により再び成長軌道に乗った。その構造改革を断行したのが古森重隆・富士フイルムおよび富士フイルムホールディングス会長兼CEOだ。古森は独自の経営学の実践者として知られる。たとえば、仕事の成果はその人の人間力の総和であるとする「ビジネス五体論」。頭、五感、足腰の強さ、腹の据え方……など、五体すべてを動員する。なかでも胸(ハート)、すなわち、人に対する共感や相手を受け入れる心を最も重視する。
また、マネジメントではPlan-Do-Check-ActionのPDCAサイクルが多用されるが、古森はPlanの前段階にSee(見る)とThink(考える)のステップを置く。すなわち、現実を的確にとらえ、What(何が)、Why(なぜに)を問い、本質を見抜くことを求め、「See-Think-PD」のサイクルを提起する。
チェキの再ブレイクはいかにして実現したのか、そのプロセスをなぞると、古森流の経営学が底流に流れていることに気づくのだ。

w157_seikou_002.jpgチェキのフィルムは多様だ。左が名刺大のミニサイズ、上がその2倍の大きさのワイドサイズ、下が正方形のスクエアサイズ。右は絵柄フレーム。
Photo=勝尾 仁

写真文化を守り育てる

w157_seikou_003.jpg宮﨑 剛 氏
富士フイルム 執行役員
イメージング事業部長
Photo=勝尾 仁

チェキが発売されたのは1998年。レンズ付きフィルムの「写ルンです」やプリクラのブームが背景にあった。女子高生を中心に人気を博し、2002年には年間販売台数100万台を記録する。ところが、カメラ付き携帯電話の普及とともに販売台数は急落。2004〜2006年には10万〜12万台と低迷した。同じ時期、かつては営業利益の3分の2をたたき出していた富士フイルムのフィルム関連事業も規模の縮小を余儀なくされた。2006年には同業他社がフィルム事業から撤退。そんな逆風のなかでも、富士フイルムは同じ年、フィルム事業の継続を宣言する声明文を発表するのだ。
 そこにはこう記されていた。「人間の喜びも悲しみも愛も感動も全てを表現する写真は、人間にとって無くてはならないもの」であり、「写真文化を守り育てることが弊社の使命である」と。写真事業を統括する執行役員イメージング事業部長の宮﨑剛が話す。
「当時、古森は日本の写真文化を切り開いてきた企業としての使命感を強く抱いていたのでしょう」
古森は富士フイルム・ヨーロッパの社長時代、首位の米コダック社の牙城を崩すべく自ら最前線に立ち、決して退くことをしなかった。その姿は「サムライ」と呼ばれた。
富士フイルムとしての踏ん張りが追い風を呼び込む。2007年、韓国のテレビ恋愛ドラマにチェキが登場。中国では有名モデルがブログでチェキを紹介。それぞれ現地で人気が急上昇し、息を吹き返したのだ。宮﨑が言う。
「韓国ではドラマは輸出商材なので輸出先の東南アジアでも人気が出る。香港からはカナダに移住する人が多いので、そのつながりで次はカナダ。続いて隣の米国で火がつくと英国に伝わり、さらにヨーロッパへとチェキ人気がほぼ1年ごとに伝播していきました」
販売台数は2007年が20万台、2008年25万台、2009年49万台、2010年87万台、2011年には127万台と右上がりで伸びた。再ブレイクの動きが明確化したことから、チェキの新たな展開を目指し、若手中心のマーケティングチームが発足する。ただ、チームはすぐにはマーケティング・プランの立案には走らなかった。宮﨑が続ける。
「富士フイルムは技術の高さを売り込むのは得意です。感光、現像、プリントが一体となったチェキは、世界で唯一、フィルムとカメラの両方をつくれる富士フイルムだけのオンリーワン技術の結晶です。でも、チェキは技術の高さで売れたのではない。10〜20代の女性に圧倒的な支持を得たことが何よりそれを示していました」
まずはユーザーの動向を徹底してとらえる。チームは現場で五感を働かせ、SeeとThinkに注力していった。

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市場トレンドに逆行

「チェキ人気の面白さは、すべての要素が市場トレンドと逆行していることにありました」
こう話すのは、商品企画を担当する同事業部インスタント事業グループマネージャーの高井隆一郎だ。
「今は、誰もがオンラインでつながるデジタル時代です。時間と空間の制約がなく、いつでも、どこでも、バーチャルな無限のコンテンツを授受でき、そのコンテンツは編集・コピーが可能です。一方、チェキは撮ったそのとき、その場で、独特の質感を持ったリアルのプリントをダイレクトに授受する。そこには編集もコピーもできない唯一無二のライブの瞬間が写っている。ユーザーの中心は1990年代半ば以降に生まれ、デジタルやインターネットの存在を前提に生活を送ってきたジェネレーションZと呼ばれる世代です。彼らにはチェキの世界が、まさに新鮮な価値のあるものとして感じられたのです」
写真の余白にメッセージを書き込むこともでき、相手に贈ると喜ばれ、感謝される。SNSに写真をアップするときも、スマホの画像ではなく、チェキで撮った写真をスマホで撮って載せると多くの「いいね」が集まる。専用フィルムは10枚入りで実勢価格700〜800円と、10代が小遣いで買うには安くないが、価格を上回る価値をZ世代は感じとっている。高井の上司でインスタント事業グループをまとめる的場隆一が話す。
「Z世代の使い方を見てわかったのは、チェキをコミュニケーションツールとして楽しんでいることでした」
こんな場面もあった。ユーザー調査のため、利用者に集まってもらうと、初対面同士、自己紹介だけでは会話は生まれない。そこへチェキを「2人1組で使ってみて下さい」と置くと、互いに撮ったり、2人で自撮りをしたりして10分後にはみんな友だちになっていた。
「その光景を見て、チェキには共感を醸し出す力があることを感じたものです」(高井)

インフルエンサーの発信力

w157_seikou_005.jpg高井隆一郎 氏
富士フイルム
イメージング事業部
インスタント事業グループ
マネージャー
Photo=勝尾 仁

共感を醸し出し、コミュニケーションを生むツール。チェキの本質的な価値をとらえたチームは、Z世代に向け、プロモーションを「コト提案」に絞った。カメラというモノを売るのではなく、どんな使い方をすれば楽しめるのか、コトを提案する。チームのメンバーたちは、ユーザーが書き込むSNSを片っ端から読み、ユーザーに会っては、その声に耳を傾けた。高井が言う。
「40代の私が若い世代から話を聞くときに心がけたのは、自分の価値観をベースにしないことでした。『(画像が)きれいすぎるのは嫌い』と言われて理解できなくても、『なんで、なんで』と突っ込んで聞いて、相手の価値観を受けとめていきました」
ユーザーはさまざまな使い方をしていた。プレゼントのメッセージカード、旅行日誌、子供の成長日記。靴の写真を靴箱に張りつけていたユーザーもいた。
販売チャネルも、ネット通販よりも、ユーザーの生の声を吸い上げられるリアル店舗に重点を置いた。雑貨店やアパレルショップに置いてもらい、原宿に直営店も設置した。
特に力を入れたのは、人気の高い女優やモデル、ブロガーといった、インフルエンサーと呼ばれる人々からの発信だった。「本物のファン」を見つけ、「本音の言葉」で発信してもらった。
「Z世代はわざとらしい広告色のあるものは飛ばして見ません。情報過多のなかで、自分が信じられるものだけに目を向ける。本当にチェキが好きなインフルエンサーにコメントしてもらうことが重要でした」(高井)
2018年には、10〜20代の女性を中心に世界的に絶大な人気を誇り、SNSのフォロワー数が3億人に達する歌手、テイラー・スウィフトと組んでプロモーションを展開。ビデオ広告の制作では台本を用意しないで本人に自由に語ってもらった。大のチェキファンであるスウィフトはカメラの前でチェキを使いながら、「二度とない魔法みたいな瞬間をいつまでも大切にしたいの」と語り、販売台数1000万台超えを後押しした。
ねらいが外れたこともあった。男性客にも広まれば、市場は2倍になる。そこで、形は丸みを取ってシャープにし、色も淡いパステルカラーではなく、鮮やかな黄色など、モダンなデザインの新製品を発売したところ、男性客は思ったほどには伸びなかった。頭で考えた机上のプランに過ぎず、現実はその通りにはならなかった。

w157_seikou_006.jpgPhoto=富士フイルム提供

ライフスタイルとして定着 

w157_seikou_007.jpg富士フイルム
イメージング事業部
インスタント事業グループ
エリアグループ 
統括マネージャー
Photo=勝尾 仁

2019年10月には、スマホで撮影した画像を無線で送ってチェキのフィルムに印刷できるスマホ用プリンター「instaxmini Link」を発売。携帯が可能な小型サイズで、キャッチコピーは「とるだけじゃない。伝えたいから。(don't just take, give.)」。スマホで撮る画像は、そのままではファイルのなかに埋もれてしまう。しかし、1枚1枚はかけがえのない瞬間だ。それをそのとき、その場で手軽にプリントし、「相手に気持ちを伝えるコミュニケーションツールにできる」ことをコンセプトにした。アナログとデジタルを融合させても、チェキの本質は変えなかった。
チェキは現在、価格が8000円台から2万2000円台まで主要10機種。米、ヨーロッパ、中国、日本などで広く普及しているが、インドや中南米など、これから需要が期待される地域も多く、さらなる拡大が予想される。
「ただ、われわれは、天才的なマーケティングを実行したのでもなければ、すべてを意図して理詰めで進めたらこんなに売れるようになったといったカッコいい話でもありません。1ついえるのは、唯一無二の瞬間をそのとき、その場でチェキを介して共有できるという商品コンセプトは間違いなくよかったということです。それにより、ユーザーが自分たちで楽しみ方を次々考え、ライフスタイルに取り込んでいき、需要が立ち上がった。われわれはユーザーがやっているコトを、相手の視点に立って、よく見て、よく聞いて、共通するヒントはないかと考えることを地道に行っただけです。商品そのもののコンセプトが、これまで以上に重要になっている。チェキの再ブレイクはそれを物語るのではないでしょうか」(宮﨑)
コンセプトが本質的な価値を持てば、その商品は20年以上も売れ続ける。商品ライフサイクルがどんどん短くなっている時代に、モノづくりの原点を、チェキは思い返させてくれる。 (文中敬称略)

Text=勝見 明

物語り戦略において成否を左右するのは社員の「行動規範」である

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授

チェキで写真を撮ると、「いま、ここ」での人と人との出会いが意味づけられ、価値づけられる。そのため、ダイレクト・コミュニケーションにおける出会いの経験や対話の質量が格段に高まる。保存性もあり、歴史としても刻まれる。写真の原点ともいえる商品だ。
一時はピーク時の10分の1にまで販売が落ち込んだが、それでもチェキの事業が存続したのは、未曾有の危機に瀕した富士フイルムが、「自分たちはどうあるべきか」と自らの存在意義を物語りながら、新たな道を切り開いていくという物語り戦略をとったことが背景にある。
物語り戦略は、全体のプロット(筋書き)とメンバーにとってのスクリプト(行動規範)という2つの要素により展開されていく。2000年に社長に就任した古森氏は、自社の強みである技術や研究成果を組み合わせ、蓄積された知識や知恵を再活用し、社員の衆知を結集して新しい製品・サービスを生み出せば、新たな成長戦略を描けるとして構造改革を断行。自社の目標を「人々のクオリティ・オブ・ライフのさらなる向上への寄与」へと広げて再定義し、「第2の創業」を宣言した。それは、主人公たちが苦難を乗り越えて成長し、問題を解決して目標を達成するというロマンス劇のプロットそのものだった。
チェキの事業で、低迷時にあっても、顧客とともに「写真文化を守り育てる」という姿勢を貫いたのもロマンス劇を想起させる。結果、韓国ドラマに登場するなどの偶然性も手伝い、再浮上し始める。
この物語り戦略において、社員にとってスクリプトとなったのが古森氏の提唱するビジネス五体論であり、See-Think-PDのマネジメント・サイクルだった。マーケティングチームは、まず、現場で五感を駆使し、SeeとThinkを大切にするというスクリプトにもとづく行動をとり、顧客の視点に立って再ブレイクの意味を探ろうとした。
そして、若い世代が、チェキをコミュニケーションツールとしてライフスタイルに組み込んでいることを突き止めると、楽しみ方の「コト提案」に注力した。それは、第2の創業に向け、再定義した自社のあり方と符合するものであり、これにより、チェキの事業は富士フイルム全体の物語り戦略に明確に位置づけられた。
チェキの場合、立ち上がった需要に対し最適最善の対応ができたのは、メンバーたちのスクリプトが明確だったことによる。企業にとってのスクリプトの重要性を再認識させられる。

野中郁次郎氏

一橋大学名誉教授

Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。