成功の本質
第86回 工房信州の家/フォレストコーポレーション
きっかけは住宅販売の差別化戦略
顧客も参加する「共創の家づくり」
ブーンブンブンブーン。目の前でチェーンソーで木を伐る音が響き渡る。長野県南部、伊那市の山中。同市に本社を置く住宅会社フォレストコーポレーションの木造住宅「工房信州の家」の家づくりは、顧客自身が山に入り、柱用の木を選び伐採する「選木ツアー」から始まる。実際に体験するため、同社の小澤仁社長と、山林の育成・間伐などを請け負う山仕事師の川島潤一・山造り舎代表と一緒に山に入った。切り込みが半分ほどに達すると、太さ30センチ、高さ25メートルほどの木が傾き、ズシンと音を立てて倒れた。振動が腹に響き、感動を覚える。
「お客さまのなかには涙を流す方もいます」(小澤)
「木を自分で選んで伐ることで、心理的に遠かった山との距離がぐんと近づくようです」(川島)
山の木が伐採された瞬間、家の木に変わる。実際に家を建てた顧客を訪ねた。諏訪郡下諏訪町の成田(仮名)邸は30代の夫婦2人暮らし。訪問日は7月で気温は30度を超えたが、エアコンなしでも家のなかは心地よい。エアパス工法といって、外壁と断熱材の間に空気の層をつくり、夏は熱気を天井裏の換気口から放出する。冬は換気口を閉め、太陽熱で暖められた空気を循環させる。選木ツアーで伐った木は居間の柱になり家を支えていた。成田が話す。
「私は旅行もバックパッカー派。パッケージツアーのような家より、自分も参加しながら過程を楽しみたかった」
成田の妻は選木の日のことを鮮明に覚えていた。
「伐ったばかりの木の水分の多さに驚いて、木も生きているんだなと命を感じました。その日は切り株にひと枝挿して感謝の気持ちを捧げました」
今も柱を見ると「木のありがたみ」を感じるという。
家づくりを物語にする
隣町の諏訪市に立つ守矢邸は二世帯住宅。夫婦、中学生と小学生の長女長男、両親の6人家族だ。居間から見渡すと、キッチン、ダイニング、和室、階段と1階の空間が間仕切りなくつながっている。「広がり間取り」と呼ばれる。居間には「薪ストーブ」。冬も1台で暖房をまかなえるという。居間の横には土間をアレンジした「土間サロン」。ここでよく宴会を開くそうだ。
工房信州の家には「自分の山の木で家づくり」と題した企画もあり、守矢雅樹は父親の持ち山に家族総出で入り、木を選んで伐採し、家の梁と居間の丸柱、玄関ポーチに使った。施工中、家族の思い出となったのが家づくりに参加する「ひとてま工房」という企画だ。守矢一家は壁塗り、ステンドグラス製作、木工などを行った。塗った壁には家族の手形を残した。
「ただ完成を待つのではなく、娘や息子もかかわることができて本当に楽しかった」(守矢)
壁塗りは職人の指導を受ける。妻の千鶴は職人たちとの出会いが「心に残った」と話す。
「木を選ぶところから山とつながり、山守さん(山仕事師)とつながり、職人さんたちとつながって、家ができた。家づくりはこんなにいろんな人がかかわっているんだと実感しました」
フォレストコーポレーションでは着工式で関係者全員が顔を合わせ、職人たちも顧客の家づくりへの思いに耳を傾け、共有する。その理由を社長の小澤はこう話す。
「多くのお宅を建てさせていただくなかで気づいたのは、われわれが目指すのは家づくりを物語にすることではないか、ということでした。着工式を重視するのも、物語を一緒に紡ぎ、共創していくチームの結成式と考えるからです」
家づくりに顧客も参加する。それは職人の側にも意識変化をもたらした。山仕事師の川島が言う。
「私たちにとっては当たり前の伐採の仕方や木の管理方法でもお客さまに話すと、新鮮に受け止めてくれる。芽生えたのはサービス業としての意識でした」
2016 年、日本のサービス産業に対する初の表彰制度「日本サービス大賞」(主催・サービス産業生産性協議会/後援・経済産業省など5省)が発足。工房信州の家は地方創生大臣賞に輝いた。「顧客が家づくりに関与する体験が木や家への愛着を増幅させ、家族の物語と感動を創出している」ことが受賞理由だ。実はその試みはリーマンショック後の事業転換を軌道に乗せるための努力の成果だった。
トップダウンからボトムアップへ
フォレストコーポレーションの前身は小澤の父親が創業した建設会社。公共事業が主力だった。小澤は東京の大学を卒業後、不動産会社に就職。バブル絶頂期で好成績をあげた。帰郷し、32歳で後を継ぎ社長に就任。子会社の住宅会社の社長も兼務することになり、県土の8割を森林が占める長野で用材の大半に輸入材が使われている現実を知り、愕然とした。1998年、伊那に展示場を開設。輸入材を使わず、「信州の無垢の木でつくる家」をコンセプトに発売を開始したが、受注は奮わず赤字が続いた。「施工力が十分ではなかった」(小澤)という。
やがて2000年代半ばから、並行して始めた賃貸 マンション事業が急伸。これに注力したが、リーマンショックで受注激減。住宅事業に重心を移さざるを得なくなった。意を決し、長野市の総合住宅展示場に出展。大手ハウスメーカーと同じ土俵で戦うのは不安だったが、都市部の客層には好評で進出は成功を収める。以降、松本、上田、諏訪と県内全域に展開し始めたところで、小澤は1つの組織課題に直面した。
「公共事業や賃貸マンション事業では経営はトップダウン。社員も伊那地域の目の届く範囲にいたのでそれで成り立ちました。しかし、住宅事業は拠点が分散します。社員一人ひとりが社長の目から離れたところでいかに自立できるか。トップダウンからボトムアップへの転換が求められたのです」(小澤)
小澤は、以前より、不動産会社で行われていた目標管理制度を自社に導入していたが、これに重点的に取り組んだ。拠点ごとに営業・設計・施工の各部門で3〜4人のチームをつくり、四半期ごとにサイクルを廻す。1カ月目の目標設定、2カ月目の進捗点検、3カ月目の結果報告には必ず、小澤自身が参加し、毎月トップと社員が面談する場が設けられている。達成度が高いとポイントがもらえ旅行に行けるが、個人の評価にはリンクさせない。小澤が話す。
「最初は『目標管理なんてやってられない』と言っていた社員も、目標を達成すると仕事もうまく回せるようになって、『これは仕事の成果につながる』と気づいていった。面談を楽しみに待っていてくれるようになりました」
Photo=勝尾 仁 フォレストコーポレーション提供
全国各地からの新卒採用に注力
この間、独特の家づくりに興味を持った、地元信州大学をはじめ、全国各地の大学生が新卒募集に応募してくるようになり、毎年10名近くを採用。最初から目標管理制度を通じてボトムアップの文化を身につけた彼らは定着もよく、次第に社員の大半を新卒採用者が占めるようになった。社員全員で考え、新しい付加価値を生み出していこうという小澤の思いが社内に浸透するにつれ、現場から自主的な取り組みやさまざまなアイデアが生まれるようになった。
「自分の山の木で家づくり」の企画も、顧客から「持ち山の木を使いたい」と相談された営業担当が、「そんなの大変だ」と社内から難色を示されながらも、意志を貫き実現させたのが始まりだった。引き渡し式は家族総出で柱自慢や伐採の苦労話に花が咲いた。小澤も顧客がこれほど喜ぶ光景を見るのは初めてで、このとき「家づくりには物語がある」と気づかされたという。
山を持たない顧客にも同じ喜びを味わってもらおうと、「あなたが選ぶ山の木で家づくり」の企画が生まれた。当初は顧客の都合に合わせて選木・伐採を行ったため、関係者の日程調整が難航し、小澤も継続を断念しかけた。すると、社員から「続けましょう。定期開催にしてお客さまに選んでもらう形なら、あらかじめ日程調整ができます」と提案があり、「選木ツアー」が誕生した。
ひとてま工房のアイデアも、たまたま顧客の家族が職人と一緒に壁塗りを行って喜ぶ姿を見た営業担当の提案だった。また、引き渡し式には当初、大工は参加しなかったが、「大工さんも必ず出席したほうがいい」と、別の営業担当が発案した。顧客が喜ぶ姿を目の当たりにすると、涙を流す大工もいた。
「提案に対し、私は『手間もかかるから』と踏み切れませんでした。すると、営業担当は『社長はいつも、お客さまの喜ぶことが私たちの喜びなんだと言っているじゃないですか。だからやりたいんです』と目を輝かせて話す。みんなが同じことをやり始め、その動きは止めようもありませんでした」(小澤)
売上高は8年間で3倍近くに
住宅事業部は6割以上が女性社員で、全体の平均年齢も若く、入社1〜3年目が半数以上だ。工房信州の家は坪単価75万〜80万円、1棟あたり平均3166万円と大手の最上位級住宅とほぼ同価格帯。高級住宅の販売に若手主体で取り組みながら、業績は大きく伸びている。リーマンショック前の2007年度の住宅の売上高約8億6000万円、完工棟数30棟が、2015年度には約23億5000万円、74棟へと拡大し、2016年度は100棟を超える。
それには、耐震耐久性・省エネ性などで性能表示制度に基づく最高等級を獲得したことや、県産材や自然素材の使用、エアパス工法、広がり間取りなどの性能・品質面で高い評価を得ていることも大きい。冒頭の成田、守矢もほかの住宅との「空気感の違い」を選択理由の第一にあげた。そのうえで共通して賞賛したのが「スタッフとの打ち合わせの楽しさ」だった。成田家は夫婦ともに本好きで蔵書も多く、「壁一面の本棚が憧れ」だった。それを伝えると、スタッフは吹き抜けの壁面を利用し、2階へ続く階段を昇降しながら出し入れできる高さ約4メートルの本棚を実現した。
「引っ越しのときも本棚に本を入れるときが2人ともいちばん楽しかった。思いを汲み取って必ず形にしてくれる。それがうれしかった」(成田の妻)
都市部に進出して以降、最大の課題は大手との差別化だった。性能・品質面の強化に加え、大切なのは家づくりを物語にすることだと小澤も感じていた。それを実際に具現化していったのは、現場で顧客と向き合い、ボトムアップを形にした社員たちだった。差別性のある戦略的な商品を生み出すには、それを実現するための組織改革も同時に行わなければならないことを再認識させられる。(文中敬称略)
Text=勝見明
評価とリンクさせない目標管理により自律分散リーダーシップを育成する
一橋大学名誉教授
企業は常に環境変化への「適応」が求められる。フォレストコーポレーションもリーマンショックによる賃貸マンション事業の低迷という環境変化に適応するため、個人住宅へと軸足を移した。その際、トップダウンからボトムアップへ、自律分散型の組織改革が進められた。印象的なのは、目標管理制度を活用しながら、その目的を人材育成と位置づけ、個人の評価とリンクさせなかったことだ。
トップ自ら対話の場を通して目標の動機づけを行い、遂行を支援し、納得性を高める。そして、結果そのものより、次の仕事へのフィードバックを重視したことで、一人ひとりの主体的コミットメントが引き出され、自律分散リーダーシップが育成された。同時に個人の成績も伸びていった。
その社員たちは日々顧客と接するなかで「驚きの発見」、つまり新たなニーズを見逃さず、そこから仮説を生成していった。自分の山の木で家づくり、選木ツアー、ひとてま工房といった「家づくりの物語」を紡ぐアイデアはそうやって生まれた。それは主体性が組織に根づいたことを示している。既存の住宅に対し、顧客参加型という非連続性があり、まさにイノベーションといえる。
ただ、それは適応の過程において、最初から戦略的に意図したものではなかった。社員の自律分散リーダーシップの発露の結果として、その都度、山と家がつながり、人と人がつながってイノベーションが生まれ、差別化が実現した。
この展開自体が物語り的だが、原点には小澤氏自身の「驚きの発見」があった。県土の8割を森林が占める長野で住宅用材に輸入材を使うのが当たり前となっていた現実への驚きは、一度、外に出て戻ってきた人間ならではのものだ。引き渡し式で顧客が喜ぶ姿を見た際の「家族の物語がある」との気づきも同様だ。こうした視点から、「信州の家を信州の木でつくる」という発想が生まれ、大手とは異なる家づくりが始まり、共感する若手が全国から集まった。フォレストコーポレーションが短期間で成長を実現できた革新の原点に、外から見た「驚きの発見」があったことに注目したい。
環境変化への適応には終わりはなく、物語はオープンエンドで続く。その行方も現場でいかに「驚きの発見」ができるかにかかっている。一人ひとりの社員の顧客への共感力がより一層、問われる。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。