成功の本質
第82回 YKK
本社機能の一部を黒部に移転し経営哲学「善の巡環」を強化
家電や半導体など、新興国勢の台頭のあおりで世界的シェアを落とす日本企業がある一方で、依然、高い技術力により圧倒的な強さを発揮するメーカーも数々ある。ファスナー事業で売上高世界シェア45 %を誇るYKKもその1つだ。ただ、顧客は高級ブランドなどのハイエンド層が中心で、従来手薄だった中価格以下の市場では中国企業の伸張が著しく、販売本数ベースとなるとシェアは20%程度。現状のままではさらなる低下が予想される。そこで、「価格志向のボリュームゾーン」にも参入し、グローバル競争力を強化する方針に転換。2013~2016年の中期経営計画で、年間販売本数目標を従来の75億本の水準から100億本に引き上げた。
その実現に向け、2015年3月の北陸新幹線開通とも絡んで注目を集めているのが、本社機能の地方への一部移転だ。2016年3月までに東京・秋葉原の本社から、経理、人事、知財などの管理部門に在籍する230人を、製造開発拠点のある富山県黒部市の黒部事業所に移す予定で、既に110人が異動した。最寄り駅は北陸新幹線・黒部宇奈月温泉駅。東京駅から最短2時間14分の距離だ。
黒部事業所は社内では「技術の総本山」と呼ばれる。YKKの強さの源泉の1つに、材料から製造設備、製品に至るまで、すべて自社内で手がける一貫生産方式がある。なかでも技術の中核として、製造機械の開発と製造を担うのが黒部事業所にある工機技術本部で、その高い技術力が顧客ニーズに即応した商品の供給を下支えしてきた。
また、海外売上高比率が8割を占めるYKKは「顧客の近くで商品開発を行う」方針のもと、自動車用は米国、ハイファッション用はイタリアと、海外の現地に開発拠点を設けている。黒部事業所の研究開発部門は、それらを統括する役割を負う。さらに、製品の9割は海外生産だが、黒部事業所には最新の生産システムを開発するマザー工場も存在する。今回の本社機能の一部移転は、いわば、本社の管理部門と現場の開発製造部門との一体化だ。創業者・吉田忠雄の長男で1993年から2代目となった吉田忠裕代表取締役会長は経緯をこう話す。
「直接のきっかけは東日本大震災でした。秋葉原の旧社屋が手狭なうえに老朽化し、建て替えを計画中のときに大地震が発生。東京でも近い将来、直下型地震の発生が予測されます。一方、富山は地震発生確率が低い。そして、黒部事業所は技術の総本山として海外拠点と直につながっています。我々がメーカーとしてグローバルに成長を目指すには、本社はどうあるべきか。きっかけは災害対策でしたが、建て替え計画を進めるなかで本社のあり方をもう一度掘り下げ、再検討した結論が本社機能の黒部への一部移転でした」
グローバル展開を進める日本のメーカーにとって本社はどうあるべきか。世界的な成功企業であるYKKの勝ち残りをかけた組織改革に1つの方向性を探ってみたい。
「善の巡環」の経営哲学とは
創業は1934年。初代は戦時中、東京大空襲ですべてを失いながら、戦後、郷里の魚津市の隣の黒部市に工場をつくり、カリスマ経営により会社を成長させた。1950年代に国内市場を一手に握ると、早くも1959年から欧米を中心に海外進出を開始。ニューヨークなどの大消費地にはファスナーメーカーが多く、当初は苦戦を強いられた。次第に顧客の信用を得て受注を伸ばすことができたのには、「善の巡環(Cycle of Goodness)」と題した独自の経営哲学が大きく寄与している。それは「他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という思想であり、「成果三分配」の原則から成り立つ。
「事業で得る利益は3等分して、お客さま、取引先、自分たちの3者で分ける。具体的には、よい製品を安く提供することでお客さまの利益になり、原材料を大量に購入することで取引先の利益になり、株主への配当や従業員への給与を増やすことで自分たちの利益になる。また、善の巡環においては、社員は労働者であると同時に経営者であり、株主でもなければならないと考え、従業員持株制度を設け、給与や賞与の一部で株を購入できるようにした。そして、その資金を投資に回して、利益を生み出し、それをまた3等分するサイクルを回し、すべてのステークホルダーにとってオールWinの仕組みをつくったのです」(吉田)。海外ではこのサイクルを現地で回し、利益を現地へ還元して"よき隣人"になった。この徹底した現地主義が受け入れられ、信用を得ていった。創業者は良質の製品をつくり、顧客により大きな利益を提供するには、外注に頼らず、すべてを自社で生産すべきだと考え、一貫生産方式を確立。これが顧客ごとのニーズに高品質で応えるワン・トゥ・ワン・マーケティングを可能にして、海外でシェアを拡大。1980年代初めには、世界のファスナー業界トップの座に就くに至った。
「現地法人を立ち上げる社員には中小企業経営者のような意識を求め、権限を委譲。日本の本社には各拠点から毎月の売り上げ報告を受けるテレックスが2台あればすむほど、本社の役割は相対的に小さくても事足りました」(吉田)
ファストファッション市場に参入
1990年代以降、グローバリゼーションの波が到来する。ナイキやアディダス、ギャップなど、製品を世界中で生産して販売するグローバル企業が登場。そのニーズに応えるには海外拠点の連携が必要となり、従来のような各拠点に権限を委譲する体制では対応できない問題が、黒部事業所に持ち込まれるようになった。
また、吉田が2代目となって以降、高い技術力を活かして、製品の用途は潜水服から宇宙服、ロケットの部品の接続部分まで、あらゆる分野に拡大。黒部事業所には、より高度な技術革新が求められるようになった。
2000年代に入ると、さらなる変化が起きる。世界中のアパレル企業がコスト低減のため、生産を中国に集中する動きを加速させた。
「ファッションの最先端を行く欧州勢がとったのは、最新の流行を取り入れた商品を短いサイクルで次々と開発し、リピートオーダーをとらず、一度に大量ロットで生産して低価格で販売する戦略でした。いわゆるファストファッションが世界市場で急拡大していきました」(吉田)
この動きがYKKの海外戦略に大きな転換をもたらす。「善の巡環」からすれば、ファストファッションが牽引するボリュームゾーンのより多くのエンドユーザーへ良質で安価な製品を供給すべきではないか。吉田は経営陣に新たな方向性を示した。
「品質・納期・価格のうち、ファストファッションにおいて特に求められたのは納期の短さです。シンプルな商品をシンプルな価格でシンプルにつくることが、新たな課題となったのです」(吉田)
「下町ロケット」を目指す
市場の劇的変化に対応した新しい商品や生産システムを開発するため、技術の総本山の役割は一層増大。東京本社ビルの建て替えも絡み、問われたのが本社機能はどうあるべきかという問題だった。
「我々が求めたのは『下町ロケット』の世界でした」と吉田は話す。『下町ロケット』は作家・池井戸潤の直木賞受賞作で、町工場が独自の技術力を武器に全社一丸となって数々の難題を克服していく物語だ。2015年秋、地上波でT Vドラマ化され、平均視聴率が20%近いヒット作となった。
「本社にはいろいろな意味がありますが、我々メーカーの場合、本社機能、なかでも管理系の役割は何かといえば、利益を生み出す源泉である技術の総本山の第一線で働く開発系、製造系の後方支援です。ものづくりに必要な人材をどう配置するか、特許など知的財産の問題にどう対処するか等々、一緒にいて顔を突き合わせることで連携した仕事ができるのではないか。同じ法務でも係争担当部門は裁判所や弁護士事務所に近い東京に置く。黒部と東京の両方で本社機能を果たせばよく、場所の分離は問題にならないと考えたのです」(吉田)
実際、黒部に移った社員からは、「数字の奥にある現実がわかる」(経理)、「製造系と営業系をバランスよく見ることができる」(人事)といった、ものづくり部門の近くで仕事をする意義を実感する声が聞かれた。
法務の知財部門では移転の効果が早くも表れた。グローバルな知財競争が激化するなか、黒部への移転によって、他社の特許出願状況を精査し、次に押さえるべき案件や分野を技術者に直に提案するといった、より機動的な役割が可能になったのだ。「移転の全体的な成果が表れるまでには、2年はかかるでしょう。ただ、相互関係のなかで必ず、人は育っていくはずです」(吉田)
まちづくりで地方創生にも貢献
YKKの本社機能の一部地方移転が注目されたのには、もう1つ理由があった。地方創生のためのまちづくりも同時に進められたからだ。黒部に異動する社員にとって必要なのは住宅だ。富山県は持ち家率や1住宅あたりの延べ面積は全国1位だが、黒部には良質の賃貸住宅が少なかった。
そこでYKKは事業所から約4kmの距離の黒部市内の旧社宅跡地3万6100m2に賃貸集合住宅や商業施設、保育施設などからなる「パッシブタウン黒部モデル」を計画。全8街区が2025年までに完成予定で、全250戸800人の入居を見込む。
第1期街区36戸の完成予定は2016年2月。保育所も開設され子育てを支援する。社員だけではなく、一般市民も入居が可能だ。黒部市の人口は約4万人。高齢化と人口減少が進むなか、子育て世代を含む800人の増加は少なくない数だ。
最大の特徴はエネルギー消費量を同地域の一般的住宅の4割程度に抑制する点だ。具体的には黒部川扇状地の伏流水をくみ上げ、パイプで循環させる。これで屋内が夏は涼しく、冬は暖かくなる。さらに、夏は富山湾の季節風をうまく取り入れることで冷房の使用を抑える。
なぜYKKが省エネ住宅を手がけるのか。「善の巡環においては、地域も大切なステークホルダーです。黒部でまちづくりを行うなら、未来に向け、地域の自然資源を活用し、エネルギー消費量の少ない住宅環境を実現しなければならない。それを黒部モデルと名づけました」(吉田)
このほか、社員向けには合計100人が住める2階建て単身寮25棟も在来線の黒部駅前に新設(2017年3月完成予定)。同駅は北陸新幹線開業により利用者が減り、駅前の活気がなくなった。そこで、店舗や集会場が入る「センターパビリオン」を併設し、地域に開放。新たな寮には食堂を設けず、商店街の利用を促す。駅前の居住者を増やすことで新店舗の進出や在来線の利用促進につなげる計画だ。
本社機能の一部地方移転と表裏一体となった地域でのまちづくりの推進。パッシブタウンから黒部事業所に通う社員は、職場では海外拠点と直につながって、自社のグローバル競争力を支え、同時に職住近接で仕事と子育てを両立させ、環境負荷の少ない生活を送りながら、地域を支える一員となる。
そして、YKKも企業として、グローバル市場での勝者と地方創生の担い手を両立させる。これを「黒部モデル」と呼ぶならば、ここに、日本が抱える多くの課題を克服するための企業経営の1つのイノベーションのあり方を見ることができる。(本文敬称略)
Text=勝見明
理念と実践の両面で「脱カリスマ経営」を推進
「よい資本主義」を体現する無二の経営モデル
一橋大学名誉教授
ヘンリー・ミンツバーグ氏、フィリップ・コトラー氏といった世界的に著名な経営学者が資本主義のあり方に警鐘を鳴らす書籍を相次いで刊行している。先日、マーケティングの権威で、近著『資本主義に希望はある』を上梓して来日したコトラー氏と面談する機会があった。話題は資本主義の現状への問題提起が中心になり、短期的利益への過度の傾斜、個人主義重視の弊害、所得不均衡の拡大等々、資本主義の欠点を克服する「よい資本主義」のあり方を議論し合った。YKKを率いる2代目の吉田氏は米国留学時代、コトラー氏のもとで学んだ経験を持つ。そのコトラー氏がステークホルダーの「オール Win の仕組み」として強い関心を持ったのが、「善の巡環」の経営だ。
最近、日本企業でも自社株買いの動きが目立つ。背景には、ROE(株主資本利益率)などの指標にとらわれる経営のあり方がある。自社株買いは同じ利益額でも ROE を押し上げ、株価を上昇させる。しかし、現実の付加価値は何も生み出していない。
一方、「善の巡環」の経営は、社員が自らの給与・賞与を投資して株主となり、自己資金を豊かにして、新しい商品・技術を開発して社会に価値を提供し、利益を出して配当を得る。大企業ながら非上場を続けるのも、短期志向の株主の圧力を受けずに経営の自由度を高めるためだろう。それが結果的に、共同体としての YKK を強化した。
2代目の吉田氏は「善の巡環」の理念を継承し、「閉じる・開ける」の追求というシンプルなビジネスモデルのもと、理念をグローバルに浸透させた。同時に、先代からの「脱カリスマ経営」を標榜し、海外の重要顧客の近くに商品開発拠点を置き、顧客の利益の最大化を図るなど、理念を実現するシステムやプロセスを発案し、定着させた。変化の激しい市場で事業を展開するには、現場重視の機動戦によって、価値の源泉となる知識を高速回転で創造していく「知的機動力」が重要だ。
その力を高めるには、状況に応じて、第一線においていつでも部門横断のプロジェクトが組める人材がプールされている必要がある。それを実現させたのが今回の本社機能の一部移転なのである。しかも、移転をきっかけに、技術の総本山を擁する黒部のまちづくりにも積極的に乗り出した。「よい資本主義」を志向する理念と実践が好循環した無二の経営モデルといえる。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。