極限のリーダーシップ
御嶽山 山荘支配人 小寺祐介氏
噴火の恐怖のなかで決意51人の避難者たちを助けるために僕はリーダーになる
2014年9月27日土曜日。その日はさわやかな秋晴れの行楽日和。御嶽山山頂は登山客でにぎわっていた。小寺祐介氏が支配人を務める二ノ池本館は、火口から1.1キロメートルほど北に位置する。青い水を湛える二ノ池越しに火口外輪の峰を臨む、雄大な風景が魅力の山荘だ。
間もなく正午というとき、突然穏やかな秋晴れを破るように御嶽山が噴火した。小寺氏は当時山荘で働き始めて10数年だったが、噴火は初めての経験だった。火口の方角には噴煙が上がっている様子が見えたものの、当初は距離があったので心配はないと思えた。だが山荘に近い場所に新たな噴火口が出現。噴煙があっという間に広がり、二ノ池本館周辺をのみ込んでいった。「青い空が消え、周囲が真っ暗になっていきました。噴煙のなかで雷が発生し、雷鳴が響き、噴石が転がる音が聞こえてきた。目の前の二ノ池にたくさんの噴石が飛んできて、バシャバシャと高い水柱が立つのは地獄のようで、本当に怖かったですよ」
51人を前に生まれた自覚
しかしおびえている時間はなかった。火山灰のなかを逃げてきた登山者が二ノ池本館に駆け込んできたのだ。小寺氏は外に飛び出し、山荘の前を通る人たちに次々と声をかけた。「靴を脱がずに、とにかく中に入ってください!」。そして噴石から身を守るため、全員を屋根が二重になっている部屋に集め、山荘に備えてあったヘルメットを配った。
「本当は噴火したときに真っ先に逃げようと思っていたんです」。しかし、気が付くと目の前に51人の避難者がいた。避難者たちに話しかけると自然に場が静まり、全員が小寺氏を見つめ、真剣に言葉に耳を傾ける。
「このとき初めて自覚が生まれた、というのでしょうか……。自分は火山の専門家でも救助のプロでもありませんが、御嶽山のことならこのなかでいちばん熟知している。みんなで避難するため自分が先導しなければいけないのだと腹をくくりました」
外の様子を見ては、灰の濃さなど周りの状況を避難者たちに伝えた。「情報はとても大事だと思ったんです。何もわからないことが最も恐ろしい。海外でバックパッカーを経験してきたなかでそのことを痛感していましたから。このときも怖かったですし、足が震えていました。でも人前で見せると不安にさせてしまうと思ったので、誰もいない小部屋で太ももをさすったりしていました」
自ら先頭に立ち、決死の避難
二ノ池本館は地形上、携帯電話の電波が圏外で通信手段は衛星電話だけ。しかしそれも火山灰の影響で閉ざされてしまった。51人の避難者たちと山荘に閉じ込められて20分。その間、外は生暖かい灰色の雨が降り、硫黄の臭いが強くなってきた。そしてついに噴石が建物のトイレを直撃した。「ここにいるのは限界。一刻も早く火口から離れたところに避難する以外にないと思いました」
避難先の候補は徒歩で20分ほど下ったところに立つ石室(いしむろ)山荘だ。衛星電話の最後の着信履歴が石室山荘だったこともあり、電話がくるということはここよりも余裕があると判断し、移動することを決めた。「自分の判断が間違っていたら人災になる。その恐怖はありました。でも、再び噴石が落下する可能性を考えると、このままこの場所に居続けるという選択はありませんでした」
小寺氏の決断に反対する避難者はいなかった。噴火が小康状態になったことを確認すると、自ら先頭に立って移動を開始した。最大の難所は二ノ池本館から尾根の陰に入るまでの最初の150メートル。「その間は噴石が直撃する可能性があり、できればダッシュで行ってもらいたいくらい。でもあえて『ゆっくりでもいいので安全に進んでください』と言いました。外に出るだけでも恐怖を感じる人もいたはずです。とにかく慌てずに進んでもらおうと」
51人全員に150メートルを無事に通過してほしい。祈るような気持ちで薄暗い灰のなかを進んでいった。無事に難所を抜けてからは、小寺氏は行列を何往復もして、励ましの声をかけ続けた。そして30分後、安全な石室山荘にたどり着いた。
「誰一人けがすることなく無事に到着できて本当にほっとしました。当時、僕はまだ34歳。顔つきにも幼さがあり、リーダーらしくなかったと思います。でも山に最も詳しいのは自分。しっかりしようという思いで対応したことが信頼につながって、全員で安全に避難できたのかもしれません。決して僕に資質があったわけではなく、あのとき、避難した51人のみなさんが僕をリーダーに選び、育ててくれたのだと思います」
Text=木原昌子(ハイキックス)
小寺祐介氏
Kodera Yusuke 木曽・御嶽山の山荘「二ノ池山荘」(噴火当時は二ノ池本館)支配人。石川県金沢市の高校卒業後、九州の大学に進学。大学2年生の夏から御嶽山の山荘で住み込みでアルバイトを始め、以後毎夏、御嶽山で働く。考古学・民俗学、宗教に造詣が深く、バックパッカーとして世界を周る。アフガニスタンなど、これまで訪れた国と地域は38におよぶ。御嶽山噴火後は二ノ池合同会社に所属し、御嶽山の復興に尽力する。