極限のリーダーシップ

元サッカー日本女子代表キャプテン 澤 穂希氏

苦手なことがあるのは決して恥ずかしいことじゃない
得意な人にカバーしてもらう

2019年08月09日

w155_kyokugen_001.jpgPhoto=刑部友康

2011年、FIFA女子ワールドカップドイツ大会。快進撃を続けるなでしこジャパンは決勝で世界ランク1位の米国と対戦する。試合は1対1で延長戦に突入。米国が1点先取し、残り3分。追い詰められた日本にコーナーキックのチャンスがめぐってきた。蹴られたボールに澤氏が走り込む。足を合わせると、ボールが競り合う米国選手の隙間をすりぬけてゴールに吸い込まれていった。奇跡のような同点ゴールに会場が一気に沸いた。「あのときはまさに“ゾーンに入っている”状態でした」と澤氏は当時を振り返る。
同点ゴールを決めた澤氏の気迫のプレーは、ほかの選手に力を与え、チームは一気に勢いづいた。PK戦ではゴールキーパー海堀あゆみ氏のスーパーセーブが光り、米国の2本のシュートを止めた。焦る米国に対して、落ち着いてゴールを決めていく日本はPK戦を3対1で制し、ワールドカップ初優勝の快挙を成し遂げた。
世界の頂点に立ったなでしこを率いた澤氏は、ワールドカップ6回、五輪4回に出場し、日本代表では男女合わせて歴代最多の205試合出場と83得点の記録を持つ(2019 年7 月現在)。
また、キャプテンとしても多くの選手に影響を与え続けてきた。試合終了まであきらめずに走り続ける姿。いざというときにゴールを生み出す決定力。誰よりも粘り強く戦い、自らが行動することで、日本代表を牽引してきたサッカー界のレジェンドである。

自らの行動で示すのが澤流

 澤氏のリーダーシップは、20歳のとき、米国のクラブチームに移籍したことで大きく磨かれた。当時はまだ日本女子サッカーの黎明期。エージェントが付くこともなく、クラブチームとの交渉、渡米の手配など、すべて自分でやらなければならず苦労の連続だった。だがそのおかげで、何をどうしていくかを自ら考え、自ら動くという力が身についた。また、米国ではチームメイトの誰もがはっきりと意思表示をする。4年におよぶ米国生活で、澤氏自身も自分の考えを積極的に伝えるようになった。
 だが日本に帰ってくると、「言うだけ言って自分は行動しない人を見て、それは違うな、かっこ悪いな、と思いました」。以来、考えを実際の行動で見せることを心掛けるようになった。苦しいときに点を取り、危ないときは体を張って足を伸ばしてセーブする。これが、澤氏の「自ら考えて行動で示すことで周囲を動かす」スタイルの原点だ。
 このような澤氏が、自らのスタイルをあえて言葉にしたことがある。
「苦しいときは、私の背中を見て」
 2008年北京オリンピック、ドイツとの3位決定戦で、チームメイトにかけた言葉だ。
「初めてのメダルが見えていたので、サッカー人生をかけて絶対に勝ちたかった。そのために自分に何ができるか考えたとき、最後の笛が鳴るまで走り続けることだと思いました。この試合は苦しい試合になる。でもどんなに苦しいときでも、『私を見てくれたら、私は最後まで走り続けている。だから、みんなも最後まであきらめないで』と伝えたかったんです」

自分の苦手を素直に認める

 30歳を過ぎたころ、澤氏は新しい変化を経験する。20代のときは周りにすごい人がいると、「負けたくない」という気持ちがまず先にあった。だが30歳を過ぎたころから、悔しい気持ちよりも、素直に「この人はすごい」と認められるようになった。そして「じゃあ、私は何が得意だろう」と考えるようになったという。
「自分にできないことは、それを得意とする仲間に任せればいいと思えるようになったんです。するとそれまで見えなかった視野が開けて、サッカーが今まで以上に楽しくなりました。『ここにもボールが出せる、あ、ここにも人がいる』と」 
 実はワールドカップ優勝時のPK戦で、澤氏は冷静な判断をしていた。監督から4番目のキッカーとして指名されていたが、自ら10番目へと変更を申し出たのだ。
「2006年のアジア大会の決勝戦でPKの1番を蹴って外し、アジアの頂点を逃した経験がトラウマになっていました。今回はワールドカップの優勝がかかった、本当の究極の場面。ならばPKが得意な選手に任せるべきだと」
 なでしこジャパンはPK戦をみごとに制し、優勝を勝ち取った。澤氏は当時のチームに誇りを持っている。
「同じ目標に向かって、あの究極の決勝戦でもみんな笑顔で楽しんでいました。あのチームの一員で本当に幸せでした」

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2011年のFIFA女子ワールドカップで、なでしこジャパン初優勝。米国とのPK戦を制しての死闘だった
Photo=日本サッカー協会提供

Text=木原昌子(ハイキックス)

澤 穂希氏

Sawa Homare 小学2年生からサッカーを始める。1991年、中学1年で読売SCベレーザに入団。以後24年間にわたって日本と米国のサッカーチームの第一線で活躍する。15歳で日本代表に初招集され、ワールドカップに6大会連続出場。2011 年のドイツ大会ではなでしこジャパンを優勝に導くとともに得点王とMVPを獲得。2011年度 FIFA 女子年間最優秀選手に輝く。2015年12月、現役を引退し、現在は一児の母。