人事、仏に学ぶ

外国人と日本人が共に活躍できる組織をつくるには?

2020年02月10日

w158_hotoke_001.jpg私が住職を務める安泰寺では、日本人と外国人が入り交じって修行しています。彼らは考え方も行動の仕方もさまざまですが、大別すると3タイプに分かれます。
まず1つ目は、ビニールハウスのなかで支柱に縛られながら育てられた「トマト型」。他者に配慮するのは得意な半面、主体的に行動するのが苦手です。日本人に多いタイプですが、実はドイツでもこうした育て方をする親が増えて社会問題になっています。2つ目は、そこら中につるを伸ばして時には別の作物を枯らす「カボチャ型」。たくましいのですが、他者への思いやりに欠けます。そして3タイプ目は「キュウリ型」。垂らされた1本のひもをつかんで伸び、夏にはおいしい実を実らせます。
私は安泰寺の修行者に、己を頼りにしながら、他者にも配慮できるキュウリ型を目指すよう説いています。トマトがカボチャになるのは不可能ですし、その逆もしかり。でも、キュウリからヒントを得ることはできると思います。仏陀の教えという「1本のひも」をつかみ、自らぐんぐん成長する。そんな道を目指してほしいのです。
さて、多様な人が共に修行する寺では衝突が生じることもあります。でも、時にはけんかをするのもいい。「切磋琢磨」という言葉がありますが、互いにぶつかり合って角が砕けなければ、融和はできませんから。それは、企業でも同じことでしょう。日本人と外国人が互いの気持ちをさらけ出して向き合うことで、はじめて組織の一体化は実現できます。
そのとき重要なのが、聖徳太子の十七条憲法にある「我必ず聖ひじりに非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡ぼん夫ぷ ならくのみ」という考え方です。私がいつも正しいわけではないし、相手がいつも間違っているわけでもない。相手も私も凡夫、つまり、時に誤った判断をする平凡な人間だと認めることが大切です。
外国人と共に働くとき、相手の文化がおかしい、あるいは日本の文化が劣っているなどの偏った考え方をするのではなく、互いが凡夫であると認めたうえで、中道を探る姿勢こそが求められるのです。

Text=白谷輝英 Photo=宮田昌彦

ネルケ無方氏

曹洞宗安泰寺住職

Nölke Muho 旧西ドイツ・ベルリン生まれ。高校在学時に坐禅と出合い、1990年、京都大学に留学。帰国後、ベルリン自由大学日本語学科修士課程を修了し、1993年に兵庫県美方郡の安泰寺にて出家得度した。その後、大阪城公園での「ホームレス雲水生活」などを経て、2002年より安泰寺住職に。『曲げないドイツ人 決めない日本人:ドイツ人禅僧が語る日本人の才能』(サンガ)、『仏教の冷たさ キリスト教の危うさ』(ベストセラーズ)など著書多数。