第1回 若者はなぜ焦るか
点描:揺れ動く若者のキャリア
就職活動中の20代の女性から、こんな相談を受けたことがある。「就職活動で会社をまわればまわるほど、自分にフィットする会社がわからなくなりました。働き方、待遇、理念、仕事、自分なりに考えていることはありますが、自分にフィットするかと言われると不安で情報を集めてもわからず、万策尽き果ててご連絡した次第です」。
とある金融機関に勤める20代の男性は、「ずっといるつもりはないし独立したいと思っており、数年前から仲間と計画を練っているんです」と語っていた。しかし翌年会った際にはそんな素振りもなく、不思議に思い彼の独立計画について聞くと「いろいろ話を聞くと、コスパが悪いような気がしてやめました」。
2度の転職を経て現在は不動産の事務職をしている20代後半の女性。「転職先選びは見栄え重視だった」そうだ。「好きなことというよりは、『どこで働いてるの?』と友達とか先輩に聞かれたときに、言えば『あ~』と言われる会社を選びました」。「親も近所に自慢できてたし、親孝行」だと感じていた。しかし最近、「やりたいことを真剣にやるべきなのではないか」と悩んでいるという。
誰もが知っている超大手企業で「転職する若手がとても多い」という話を聞くことは珍しくない。「このままだと、いつまでも自分の名前で仕事できないモヤモヤ感を抱えながら働き続けることになる」、そんな気持ちで職を転ずる若手の声をたくさん聞くことができる。超大手企業で目の前の仕事に黙々と取り組む中で、SNSでかつての同級生が起業したり、副業で活躍をしていたり、メディアに出たりするのを見ることもある。そんなとき、モヤモヤ感は最高潮となる。
日々進むテクノロジーの社会実装、「BAT(※1)すら古い」と言われるような国際的な新興企業の台頭、70歳定年に代表される職業人生の長期化。
2020年代の日本の就業社会はこうした影響を受け、急速な変化を余儀なくされる。
その影響は当然全員に及ぶが、中でも影響を受けるのは職業生活がまだまだ長く残り、現在の企業に引退までしがみつくことが不可能である若手社会人である。
点描した若手社会人の4つの風景は、“逃げ切り”が不可能だとわかっている中で若手社会人がもがいている姿である。
若手のキャリアを象徴する2つのフレーズ
こうした中で、若手社会人のキャリアづくりはどのように変わっているのだろうか、また、変わっていくのだろうか。仕事に対する考え方や価値観について聴いた(※2)ところ、ほとんどの若手社会人から出てきたキーワードが2つあった。
ひとつは「自分が良いと思ったものを大事にしたい」「“ありのまま”でいたい」といった意味の言葉、もうひとつは「何者かに早くなりたい」という意味の言葉である。
1つ目の「自分が良いと思ったものを大事に」「“ありのまま”」働きたいは、「自分が好きな場所で働きたい」「休みを好きなときに取れる職場で働きたい」「自分が後悔なく仕事をしたい」「30歳までには結婚したいのでそれができる仕事を」「家族を優先するスタイルで仕事をすること」「身近な人を裏切らない仕事」など、自分が良いと思う仕事をありのまましたい、という傾向である。
個性重視の時代の中で、そのままの自分で、自分が良いと思うものを軸にして、自分自身のままに、といった価値観を大事にしながら就業しているスタイルが見えてくる。
2つ目の「何者かに早くなりたい」。こちらは、「専門家になりたい」「この職種で一人前になりたい」「とある分野の第一人者になりたい」「この道の人間です、と言えるレベルに」「30代前半までに大きな成功体験をしたい」「今は修行期間だと思っている」といった、早くひとりの社会人として社会で“良い”と認められ求められるようになりたい、というフレーズも多くの若手から聞くことができる。
今は何者でもない自分だが、社会の中でいつか個として尊重される、替えの効かないひとりの社会人になりたいという点にこだわりを持って仕事に臨むスタイルも見えてくる。
こうした2つの価値観は、ともに現代社会からの要請でありながら、他方で自己の心の奥底から湧き上がってくる感情でもある。一人ひとり、そのバランスは異なるものの双方の感情が共存していることが、現代の若手社会人のキャリア観の基底をなしている。
「ありのまま」と「何者かになりたい」のグラデーション
こうした「ありのまま」と「何者」、この2つの言葉自体は、映画などのタイトルにもなり、盛んに訴求されている言葉であり目新しさはない。
「ありのままで生きていく」ストーリーは何度も発信され、また、若くして「何者かになった」無数の同年代の話も繰り返しシェアされているのである。
しかし、この2つのキーワードは、実は相互に矛盾する要素をたくさん持っている。
自分が良いと思うがままに働こうとすれば、「何者」かになるためには遠回りになるかもしれない。「何者」かになろうと思い最前線で必死に働きながら、自分が良いと感じたものを大事にし続けるのは難しいだろう。
おそらく、この「ありのまま」と「何者かになりたい」は、二項対立ではなく、すべての若手社会人の中でグラデーションのように存在する要素である(図表)。
図表:若手社会人のキャリア観グラデーション
「30歳までに部長になりたい」という女子学生は、しかし一方でプライベートでもキラキラしたいと思っているかもしれない。地方へ移住してライフスタイルを追求した20代の男性が語っていたのは、「自分でないとできない仕事をしたい」であった。
情報化社会におけるキャリア形成の難しさ
こうしたグラデーションのうえに形成される、キャリア形成の実際はどうだろうか。
インタビューから見えてきたのは、多くの若手社会人が、1つの決まった解答が存在しないこのグラデーションの中で、自分の最適解を見つけるために“情報過多”に陥っているのではないか、という仮説であった。
情報が大量に獲得できる世の中で、獲得可能なキャリアや仕事、働くことに関する情報が肥大化している。このことが、キャリア上のアクションを起こすことの足枷になっている、ということはないだろうか。
例えばこういった状況を想像してみよう。大手企業に入った20代後半の若手社会人がいる。優秀な大学を卒業しており、同期の繋がりや優良なコミュニティも保有し情報のアンテナは高い。ある日ふとチェックしたSNSで、大学時代の友人が起業し、数億円の資金調達をした話をシェアしていた。この若手はこのニュースを見てどう思うだろう。おそらくこの“情報”を見て、「自分も起業に一歩踏み出そう」と思うケースは稀ではないだろうか。
また、こうしたケースはないだろうか。必要性を感じて社会人大学院に通おうとする。しかし、ネットで情報を収集していたところ、意味がないという意見の文章やネガティブな評判を複数見ることとなり、思い直して探すことを止めてしまった……。行動を起こした個人を揶揄するような、「〇〇した人の末路」といった記事を毎日のように目にするからだ(例えば「就職せずに起業した若者の末路」などの論調が多数存在している。現代社会は、何かをすることに対してネガティブな情報を取得することも容易である)。
情報の海から抜け出るために
確かに情報化社会の中で、情報自体の価格は極めて安くなっている。検索すれば出てくる情報はゼロ円で獲得できる。しかし、それだけに、情報単体では現代のキャリア形成にとっては、あまり意味は大きくはないのではないか。
失敗した人の話をメディアで見ることで、何か現状を維持することにお墨付きを得たような気分になっていないだろうか。はたまた、冒頭の女子学生のように、甲論乙駁の情報の波涛の中で、何が正しいかわからない状況に陥っていないだろうか。
さらに点描した大企業の若手の転職。SNSやメディアの情報で流れる転職の成功、違う職場の良い情報が、現状への安易な否定に繋がってはいないだろうか。転職したい、起業したい、と闇雲に大きな目標を掲げることは無用の大きなジャンプを生んでしまっていないだろうか。
正解なき、いや情報が氾濫し無数の正解がある時代に、キャリア形成はこうした難しい状況を抱えている。
しかし、こうした状況の中でも、素敵なキャリアづくりをしている若手社会人が存在している。
そして、そうした若手にはある共通する「特徴」があることが明らかになってきた。
本コラムで、この「特徴」を解き明かしていこう。
(※1)中国における大手IT企業3社の略称。Baidu、Alibaba、Tencentの頭文字だが、既にこうした企業に迫る中国の新興企業も現れている(Meituan等)。
(※2)50人以上の20代の社会人にインタビュー調査を実施している。