株式会社ローソン 理事執行役員ヒューマンリソースステーションディレクター補佐 大隅聖子氏(前編)

2014年11月19日

キャリア採用だからできた会社を変える大改革 そして自身の殻を破ったとき、役員への道が開いた

大隅聖子氏は、2006年にキャリア採用で株式会社ローソンに入社した。それまでのキャリアは、新卒で株式会社リクルート(※1)に新卒で入社し17年勤務、2005年12月に退社し、まったく分野の違うコンビニエンスストア業界での挑戦であった。

17年間のキャリアをリセットし
"フランチャイズ"というシステムでのゼロからのスタート

前職のリクルートでは一貫して採用支援事業において営業の最前線にいた。そこでの営業は、商談の相手が経営者であり、直接彼らの話を聞くことができた。大隅氏は、そのような現場でのやり取りに魅力を感じ17年間を過ごしてきた。二つ目の職場としてローソンを選んだ理由は、「フランチャイズ」というビジネスシステムに魅かれたからだという。フランチャイジーである店舗のオーナーは、すなわち経営者であり、多くの経営者に支えられて成り立っているローソンという企業の仕組みに魅力を感じたのである。

大隅氏に、最初に任された仕事は、店舗数の拡大であった。配属されたのは開発本部で、文字通り店舗の開発を行っている部署だ。その中で大隅氏はオーナーの募集を担うことになった。

当時、コンビニエンスストア業界は、各社が店舗数の拡大を模索し、オーナーの募集が加熱していた。フランチャイザー側の店舗数の拡大需要に対して、オーナー希望者の母集団が不足していた。

「入社に際しては、当時社長だった新浪さんとの面接がありました。新浪さんは私の持つソリューションまでご存じだった訳ではないのでしょうけど、人の採用にかかわる領域での能力を期待して貰えていたのでしょうか。その結果としての開発本部の配属だったと思います」

型破りの戦略は、
現実の成功の中から生まれた

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当時、ローソンでは一人のオーナーが経営できるのは、1~2店舗程度と考えられていた。しかし、大隅氏は、優秀でやる気に満ちあふれていて、実際に成功をおさめているオーナーによって支えられているのがローソンというビジネスであると分析していた。
既存の思考に縛られることなく、既に成功している人たちに、培ったノウハウを応用して2店舗目以降の経営にチャレンジしてもらう方が、成功の確率はあがるはずだ。大隅氏はそう考えた。

「当時、オーナーさんは6300人ほど。皆さん、生き生きとしていて、もっとやりたいという声が少なくなかったのです。そこで、新しいオーナーさんに加わっていただくという開発に加えて、『もっとやりたい』という方にもっとやっていただこう、2店といわず、3店でも、5店でも、チャレンジしていただくことを決めたのです」

もちろんこの決定は大隅氏の一存で決められるものではない。すでに一人のオーナーが複数の店舗を経営する方針に舵を切るべきではないかという考えが、社長の中にはあったのではないかと、大隅氏は振り返り、こう語った。

「一人一人のオーナーの成功の現実を見るにつけ、その思いは確信に変わっていきました」

社内の反対を押し切るために、
プロフェッショナルによる素人力を発揮

しかし、どんなに美しい計画でも、実行の場面で産みの苦しみは避けられない。ましてや社内では、タブーとさえ思われていた方針の変更である。実際に形にしていくのは決して容易な道ではなかった。ろ社内の大半の人々は、当時はそれを「いい方法」だとは思っていなかったのである。大隅氏はこう振り返る。

「ある方に、そこには手を出すなとまで言われました。オーナーさんは一番大事なステークホルダーですから、無理もありません。『外様の君がそこに関与することはやめてくれ』とあからさまに言われました。でも、この計画は絶対正しいと信じていました。そして、同時にこのプロジェクトは外様でない人間にはできないことなのだとも、その時に思いました」

社内では、「オーナー一人につき1店舗」というやり方が"常識"であった。それは至極自然な流れの思考である。この戦略で会社の成長を支えたという成功体験の枠を出ることは難しく、抵抗がないはずがなかった。一人のオーナーが複数の店舗をマネージすることで、いかなる支障が出るのかは誰にもわからない。経験したことがない領域への危機感は小さくはなかったはずだ。

しかし、転職により外の世界からやってきた大隅氏には、社内の"常識"が、幸いなことにまだ自分の常識にはなっていなかった。大いなる素人は、むしろ店舗開発というミッションに対し、誰よりも先入観なく真摯に向き合うことができたのだ。新しい道を開くためには、既存の常識を守るのではなく、新しい常識を、新しい機会を創らねばならない。

大隅氏には密かな勝算もあった。現場である店舗では、オーナーである6000人以上もの経営者のやる気が満たされ、結果として会社(ローソン)も利益を上げることができている。何よりも、経営者と同じゴールを目指し、協働していくためのソリューションは前職で培ってきた自信があった。そしてなによりも、彼らと仕事をする喜びこそ困難を乗り越える原動力であることを大隅氏は知っていた。「このやり方でうまくいく」と信じて進んでいくに足るものがあったのだ。

経営陣の後押しに加え、着実な成果を獲得すると、
当然、評価もついてきた

もちろん、周囲の反対を跳ね返しつつ進むには、後ろ盾も必要だった。

「それだけの変化を会社に起こすためには、やはり後見人がいないとやっていけませんでした。私の場合、第一に経営陣の後見を得ていました。社長と副社長クラスの経営陣からの支持があったからこそ、多数の反対の声の中、とにかくその改革を進めていくことに集中することができたと思っています。そして第二に、"オーナー"の皆さま方が賛成してくれました」

2006年の入社後間もなく始めたこの仕事に、大隅氏はその時間の大半をかけて取り組んだ。2007年3月には現場改革ステーションシニアリーダーとして、2008年には営業推進統括補佐として、そして2009年には開発本部本部長補佐として、部署名、役職名は次々と変わっていった。最初はたった一人のメンバーと二人で始めたが、次第に一緒に働く仲間が増えていった。それでも、携わるミッションはただ一つ、「オーナーの複数店舗化」。それは、会社にとって極めて重要な戦略だった。

さまざまなハードルをクリアして、改革が軌道に乗り始めたのは2009年頃だ。2010年に、支社サポート本部本部長補佐、2011年にFC・総務ステーション ディレクター補佐と、継続的にオーナーのマネジメントに関する仕事に携わった。入社以来携わった大きな仕事を振り返って大隅氏はこう語った。

「今ならもうあと2年早くやれた気がします。なぜ4年もかかったのかと、後悔することもあります」

とはいえ、順調な昇進は、一歩一歩着実に成果を上げてきた大隅氏に対する、的確な評価の現れだったといえる。

(後編に続く)

(注釈)
※1 現在は株式会社リクルートホールディングス。配属された事業は、現在の株式会社リクルートキャリアにあたる。

TEXT=森裕子・白石久喜 PHOTO=刑部友康

プロフィール

大隅聖子

株式会社ローソン/理事執行役員ヒューマンリソースステーションディレクター補佐

略歴:
2005年12月 株式会社リクルート退社
2006年 株式会社ローソン入社 開発統括本部 オーナー開発部長
2007年3月 現場改革ステーション シニアリーダー
2008年3月 営業推進統括補佐
2009年3月 開発本部 本部長補佐
2010年 3月 支社サポート本部 本部長補佐
2011年 3月 FC・総務ステーション ディレクター補佐
2011年 7月 MO推進本部 本部長補佐
2012年 3月 理事執行役員 法人戦略本部 副本部長
2012年 4月 理事執行役員 ヒューマンリソースステーション ディレクター補佐(現任)