日本IBM株式会社 執行役員 インダストリー営業統括 公共営業本部長 志済聡子氏(後編)

2015年04月24日

米国本社勤務で、IBM流の仕事の本質を理解した
そして、エグゼクティブの働き方を徹底的に学んだ

軌道に乗るまでには2年ほどかかった。会社に貢献できない時期があっても、その後も大きな仕事を任せてもらえたのは、かつての営業の成果を元に、期待をかけてもらえたからだと志済氏は考えている。実際、最終的には大きな成果を上げていることもまぎれもない事実なのだ。

「その場その場で自分を引き上げて下さる経営層や上司に、私は恵まれたと思います。自分一人がちゃんとやっていればいいということではありません。上司の支援がなければ実現できません」

上司の支援を、彼女はどう受け止めているのだろうか。

「私は、ラッキーだったと思います」

2007年にインダストリーソフトウェア事業部担当の理事に就任、経営陣の仲間入りをした。
2009年には古巣の公共事業担当に戻り、執行役員に。2012年にはさらにインダストリー営業統括公共営業本部長となった。その間の2008年は1年間、米国アーモンクの本社にも赴任した。

一度は米国本社で働いてみたいと思っていた。ソフトウェアグループではグローバルな任用が比較的多く、ソフトウェアに異動した時に、トップから「せっかくソフトウェアグループに来たからには、志済さんも2年間ぐらいはグローバルに行くような機会を与えられるように頑張る」と言われていた。だからといってただ待っていれば米国本社勤務ができるほど、組織は甘くない。

「自分でもずっと希望は出していましたし、それができると信じて待っていました」

米国本社では、IBM流の仕事の本質を学んだ。そこでは何をするにも、何のためにそれをやるのかという目的をはっきりさせなければならず、それに対する評価の仕方も明示されていた。さらに、部下にどうアイディアや意図を伝えるのかといったコミュニケーションの取り方も考え抜かれたものだった。エグゼクティブが世界中の部下に呼びかける短いビデオメッセージなども頻繁に作られているのだが、その中では、言葉の選び方や表現はもちろん、話し方に至るまで、徹底的にこだわり、緻密にデザインされていた。

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「エグゼクティブとして、とても勉強になりました」

さらには、人脈も広がった。その人の顔や人となりを思い浮かべながら仕事が進められるということは、そうでないのとでは大きな違いがある。帰国後の米国本社とのやり取りでも、米国側の意図を以前より深く理解しながら仕事が進められるようになった。

ただ、心残りなのは2年のつもりで渡った米国暮らしが、充実していたにもかかわらず1年で終わったことだ。できればあと1年残りたかった。しかし、新しいポジションのオファーは執行役員というポスト。またとないチャンスだった。

成果を上げるだけで、チャンスが手に入るのではない
どのようなキャリアを創りたいか、自分の意志を言葉にすることが重要

志済氏はキャリアを振り返って、タイミングよくチャレンジするチャンスを与えられてきたと感じている。

「私は、40歳でマネージャーになれました。昇格がもっと遅かったら、ソフトウェア部門への異動や、米国本社への赴任の時も、気持ちを切り替えるのが難しかったと思います。ソフトウェア部門のトップの方には本当に感謝しています。『ソフトウェアに行け』と言って下さった社長にも、当時は納得していませんでしたが、いまは感謝しています」

ただ、一方で不安を覚えることもあった。

「もうこのままここで終わるのではないか、いつになったら昇進できるのかと焦った時期もあります。ただ、2003年以降は自分の希望というよりは、会社がいろんなことをアサインしてくれたのだと思います」

だが、ただ何かが起こることを待っているだけではだめだ。意志のないところに機会は現れない。

「大事なのは本人がそういうことを受け入れられると、周囲に宣言しておくことです。海外に行きたいとか、あるいは昇進したいということ。私は上司との面談のときに、ラインマネージャーになりたいとはっきり言いましたし、ソフトウェア部門の中でも米国本社で勤務したいと、常日ごろから意思表示をしていました」

「例えばIBMでは、いろいろなグローバル研修があります。そういう情報をキャッチしたら上司に『ぜひ私を』と意思表示をしておく。それによってアクションしてもらえる会社だと思います」

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今は下の世代に対して、自身が体験から学んだことを話す機会も少なくない。そうした際に、若い世代ではこれまでとは違う空気が流れていることを実感することもある。

「私たちの世代にとって、管理職になるかならないかは、大きなモチベーションの要素でしたし、同期の誰がラインマネージャーになったという話題がすぐに聞こえて来たものです。しかし、今は性別関係なく『マネジメントをやりたいです』と、はっきり口に出して言う人がいなくて困っています」

最近の志済氏は、研修などで折に触れて「ビジネスマンとしてワンサイクルを経験すべきである。つまりマネージャーまで経験しなければ、一人前とは言えない」という話をよくしているという。志済氏の意見には筆者も強く共感している。そしてそれは、日本IBMに限った話ではない。より高い業績を上げたいのであれば、一定以上のポジションを得ることは、いかなるビジネスパースンにも必要である。

実績を積んだ人間に、次第に大きな仕事をアサインし、積極的に会社の戦力に育てていく。IBMではそうしたシステムが、既に確立している。意志さえあれば、そのシステムに合わせてキャリアステージを見据えて働くことができる。志済氏のキャリアがそれを証明している。

コンスタントに業績をあげることに加え、常にワンランク上のポジションの仕事をしたいと意思表示をすること。意思表示の有無は大きな分水嶺ではなかろうか。月並みな表現であるが、チャンスは自ら作る。そう感じずにはいられないインタビューであった。

TEXT=森裕子・白石久喜 PHOTO=刑部友康

プロフィール

志済聡子氏

日本IBM株式会社 執行役員 インダストリー営業統括 公共営業本部長

略歴:
1986 北海道大学卒業
日本IBM入社 北海道にてSEとして勤務
1988 北日本営業本部 札幌営業所 営業二課 営業部員
1990 結婚を機に通信業界担当営業に異動(箱崎)
1991 第一子出産~育休一年
1992 官公庁システム事業部
1997 官公庁システム事業部 第二営業部主任
2001 公共・公益サービス 公共サービス事業開発担当(課長職)
2003 公共サービス事業部 第二営業部長
2005 ソフトウェア事業 公共ソフトウェア営業担当(部長職)
2007 理事 ソフトウェア事業 インダストリーソフトウェア事業部担当
2007 理事 オペレーションズ ソフトウェア担当
2008 IBM Corp 出向(Director, WebSphere Worldwide Sales, Software Group)
2009 理事 公共事業担当
2009 執行役員 公共事業担当
2012 執行役員 インダストリー営業統括 公共営業本部長
2014 執行役員 インダストリー事業本部 公共・通信事業部長