頂点からの視座

毛利衛氏(日本科学未来館館長)

科学を通じて人類に
貢献するのが私の天命

2017年06月10日

日本人初の宇宙飛行士に選抜され、スペースシャトルに2度搭乗した毛利衛氏は、日本における宇宙事業のパイオニアである。
現在の毛利氏は、日本科学未来館(以下未来館)館長として活躍中。今、氏が果たすべき使命とは何か。なぜ、それに気づいたのか。宇宙飛行という希有な経験を通じて培われた人生観や仕事観について伺った。

MohriMamoru_1948年生まれ。北海道大学工学部助教授だった1985年に「科学者宇宙飛行士」に選ばれた。1992年9月、スペースシャトルエンデバーに搭乗。1998年には「NASA宇宙飛行士」の資格を取得し、2000年2月、エンデバーに再び搭乗。同年10月に日本科学未来館館長に就任した。

― これまで毛利さんは、研究者、宇宙飛行士、未来館館長として働いてこられました。何を大切にしてキャリアを築いてこられたのですか?

私は「キャリア」というものにあまり興味がありません。
キャリアは個人だけのもの。ここにこだわると、「自分さえよければいい」という考え方に陥って、周囲に負の影響をまき散らします。自分という個人を超えた、大きな視点で見ることのほうが重要でしょう。私は「キャリア」よりも、子どものときからの「宇宙へ行く夢」をかなえてくれた大きな何かが、自分に与えた「使命」を大切にします。未来館の館長になったのも、「キャリア構築」といった狭い考え方にとらわれるのではなく、「私の夢を実現してくれた社会に恩返ししたい」と、自らの使命について考え続けた結果でした。
その対象が、社会からさらに人類に貢献する意義に広がっていきました。自分が最も能力を発揮できるのは科学の分野なので、この道で人類の役に立てればと思ったのです。

― 昔から「科学を通じて人類に貢献したい」と考えていたのですか?

子どもの頃から「鉄腕アトムのお茶の水博士になりたい」という夢は持っていましたが、最大の転機は宇宙飛行でした。スペースシャトルの窓から、真っ暗な宇宙空間にぽっかりと浮かぶ地球を見たとき、「人間は地球の表面で生かされている存在だ」と実感したのです。宇宙や地球の長い歴史と比べれば、人類の歴史などほんの一瞬。宇宙から地球を見たことで、そのことに納得できました。

自らのミッションは何か何度も自問自答した

― 「地球」という広い視野でものごとを考えるきっかけが、宇宙飛行だったのですね。

最初の宇宙飛行から戻った後、私は深刻な悩みに襲われました。「さまざまなことを犠牲にしてまで、なぜ宇宙に行きたかったのか」「今、私は何のために存在しているのか」「残された人生で何ができるだろうか」。長期にわたってかなり苦しい思いもしながら、私は自問自答を繰り返しました。
そのとき思い出したのが、最初に月に降り立ったアームストロング船長の「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」という言葉と、宇宙から見た地球の姿でした。現在、地球には5000万種ともいわれる多くの生命がいて、それぞれが必死に過去から未来に向けて生き延びようとしています。そうしたなかで、私の使命は「人類という生命種を少しでも継続させることに貢献する」ことではないか。私はそういう結論に達しました。
そうした気づきを得た最大の理由は、宇宙という極限の環境を経験したことでしょう。
宇宙は安全な場所ではありません。乗組員はいつも、生命の危機にさらされます。そうしたギリギリの場に身を置いたことで、「私は生きている」という強烈な実感が得られました。それとともに、本質的な意味で「自分を大切にして仕事をやり遂げる」こと、つまり、自分の使命に気づき、まっとうすることの重要性に気づいたのです。
一般の人が生命の危機を感じず、平凡な日常を送れる社会ほど、幸せなのだと思います。ただ、生命の危機とまではいいませんが、自社が立ち行かなくなり、生活の保障が得られなくなるかもしれないという危機感を持ちながら働くのはごく当たり前です。その危機感を通じて自分の使命に気づき、実現に向けて挑戦を続けることが、特に若いうちには必要だと思います。

後進を育てることで人類に貢献する

― 毛利さんの現在のミッションとは、どんなものでしょうか?

科学者・技術者と市民とをつなげる役割を担う「科学コミュニケーター」の育成と、社会への輩出です。これは、最先端の科学技術研究が私たちの未来社会に果たす役割を、多くの方々と共に描き創る仕事。当館では現在、さまざまな国籍の約50人の科学コミュニケーターが活動をしています。
科学技術は、人類生存のために生まれた道具の1つ。科学コミュニケーターが幅広い分野で活躍し、一般の方が科学技術への理解を深めれば、人類が生き延びる確率も高まるはずです。

― 若手の実力を伸ばすために心がけていることはありますか?

能力ギリギリの課題を与えることですね。未来館の場合、若手が少々失敗したって社会がひっくり返るようなことはありません(笑)。ですから、100の力を持っている人には120の実力が必要とされる仕事に挑戦させています。
人はロボットではありません。上から知識を教えるだけでは、人は育たないのです。個人とチームの能力を全開にして仕事に挑み、ときには失敗し痛みを感じることで、初めて気づきが得られ、人は成長できます。私自身も、宇宙という危険な環境に挑戦し、仕事をやり遂げる大きな喜びを得ました。若い人たちにも、挑戦することを楽しんでもらい、自ら伸びていく環境作りをしたいと心がけています。

― 人類に貢献しようとする姿勢は、今後も変わらないのでしょうね。

次世代を育て、次世代へとつなげるという思いは同じですね。しかし、若い人と接し、彼らを鼓舞するためには、自らに莫大なエネルギーを蓄えておくことが必要です。10年後の私が、今と同じように若手とやり合えるように、人生経験を新しいエネルギー源として一生挑戦したいと思います。
すべては、己が人類にどう貢献できるかというところが出発点。そのうえで、そのときの自分の能力を最大限役立てられる方法を模索するのが、私のやり方なのです。

Text=白谷輝英 Photo=橋本裕貴

After Interview

毛利氏はもともと北大で教鞭を執る科学者であったが、自身の夢であった宇宙飛行士に転じ、2度の宇宙飛行を体験した。そして、実は1度目と2度目の宇宙飛行では異なる役割を果たした。1度目は科学者宇宙飛行士として、日米が用意した材料分野・ライフサイエンス分野に関する実験を34種類もこなした。そして、2度目は搭乗運用技術者として、地球観測のみならず、スペースシャトルの運航そのものにもかかわった。これらの重要なミッションを2度も任され、完璧に遂行してきたからこそ、最初の宇宙飛行の後で「自分の生きる目的とは何か」という根源的な問いにぶつかったのだろう。そして、自身の「ミッション」に対しても自覚的になられたのではないだろうか。
現在の役割である未来館館長としては、人材育成というミッションに注力されている。インタビュー終了後、同席した3人の科学コミュニケーターに対し、「今日のインタビューで、何を感じたか」と尋ねる姿に、そして、彼らからの回答を受けて、自身の思い・考えを伝える姿に、氏の現在のミッションへの真摯な姿勢を垣間見た。その厳しくも温かい指導のもとで、多くの弟子たちが自らのミッションを明確にし、社会に巣立っていくことは間違いなさそうだ。

聞き手=清瀬一善(本誌編集長)