頂点からの視座
三浦雄一郎氏(プロスキーヤー・冒険家)
比類なきユニークさの追究
若い頃からプロスキーヤーとして活動し、イタリアのキロメーターランセ(*)でスピード世界新記録を樹立、富士山直滑降や、エベレストの標高8000メートルを含む世界7大陸最高峰からのスキー滑降など、数々の挑戦を成功させてきた三浦雄一郎氏。70歳、75歳、80歳でエベレストにも登頂した。山、そして仕事において頂点を極めた三浦氏に、仕事人としての哲学と慟く喜びについて伺った。
(*)スキー競技の1つで急勾配の斜面を滑り降り時速を競う
― 数々の実績を挙げてこられた三浦さんですが、燃え尽きてしまったことがあるそうですね。
僕の目標は「オンリーワン」。世界で誰もしなかったことをやることです。それが、54歳で世界7大陸最高峰からのスキー滑降という目標を達成してしまったとき、「もうやることがないじゃないか」という虚脱感に襲われました。生来の怠け癖も顔を出し、運動は散歩ぐらい、好きなように飲み食いする生活をしているうちにひどいメタボになってしまいました。全身にガタがきて、先輩の医師からは「このままでは余命3年」と宜告されたほどです。
ー方、僕の父(敬三氏)は元気いっぱいで、目標を持って日々トレーニングを続け、世界中の山々をスキーとカメラを担いで飛び回っている。羨ましくなり、70歳でエベレストに登るという目標を立てたのです。
トレーニングとして、足首におもりをつけザックを背負う生活を始めました。1年目は両足におもり1キログラムずつ、2年目は3キログラム、3年目は5キログラム。最終的には10キログラム、背中に30キログラムの負荷をかけて足腰の基本を作ったのです。その結果、70歳、当時の世界最高齢での工ベレスト登頂を果たしました。その後、2008年に75歳で2度目の登頂を果たしましたが、山頂で思ったのは「次は80歳で登りたいということでした。
― それで、80歳で3度目の工ペレスト登頂に挑戦されたのですね。
ところが、1年間はゆっくり体を休め、そろそろトレーニングを再開しようとする頃、スキーのジャンプで転倒し、大腿骨付根と右の骨盤を5カ所折るという大怪我を負ったのです。そのとき、トレーニングの蓄積が生きました。僕の骨密度は20代並み、骨のくっつく速さは中高生並みで、約2カ月半で仕事に復帰し、エベレスト登頂も実現できたのです。振り返ってみると、僕はエベレスト登頂のたびに、病気や怪我という高齢者に起きがちな問題に直面しています。だからといって諦めたりはしません。まわりは諦めていましたが、僕自身はできるはずだと思っていました。そのかわり、決して無理をしない。普通の登山なら朝から登って昼食を食べると、また上をめざします。ヒマラヤでそれをすると若い登山家でもフラフラするものです。しかし僕は昼食をとったらそこで泊まることにしました。ご飯を食べて昼寝し、あたりを散歩する。それを16日間続けたら、ベースキャンプに着いたときには75歳のときより元気だったのです。それで頂上まで登ることができました。
熱意があれば人は協力してくれる
― 登山はチームワークが重要だそうですね。三浦さんのチームメンバーは、何をインセンティブに一緒に仕事をされているのでしょうか。
僕のチームには、15年も一緒にやってきた優秀なスタッフが揃っています。基本的には彼らにとってもビジネスですので、ギャランティや成功報酬を決めています。ただ、それだけではないと思います。ェベレストは何人もの命を奪っている危険な山です。日本でも名だたる登山家が挑戦し、命を落としています。でも、僕の場合は運よく生き延びている。チームに参加するスタッフも成功する確率が高いほうがいいし、また、どうして成功するのか見ておきたいのではないでしょうか。
― 「こういうことは三浦さんだから可能なのだ」と思ってしまう人もいるはずです。
基本的には子どもの頃から失敗があっても「なんとかなるさ」でやってきた僕ですが、オリンピックの日本代表になる道を閉ざされ、大学に残ることも諦めるなど、青春時代は挫折続きでした。しかし新しい目標を立てたのちは、実現のために自分からいろいろなところへお願いに行きました。最高峰のスポーツには、最終的には科学の力が必要です。それまで日本人が誰も挑戦してこなかったイタリアのキロメーターランセに出るときには防衛庁(現防衛省)の航空研究所へ行き、風洞実験もしてアドバイスをいただきました。当時はよいウェアがありませんでしたが、東レに行き、世界でいちばん薄くて空気抵抗の少ないウェアを作ってもらいました。当時の僕は無名でしたけれど、はっきりした目標があったから、物怖じせずにお願いできたのです。エベレストの平均傾斜50度の南壁を滑降するときには、記録映画を作っていただきました。目的地まで行くのに2カ月かかったのに、滑降はたった2分半。時速180キロメー卜ルになった時点で降下を遅くするためにパラシュートを開くのですがそれでも時速80キロメートルです。斜面をこすりながら落ちていく感覚です。それでアカデミー賞を受賞できたのは嬉しかったですね。ハリウッドの評論家たちは「比類ないユニ一クさと大胆さ、極限の冒険だ」と評価してくれました。世界では「比類なきユニ一クさ」を持つことが大事です。そこに皆が感動し、共感してくれるわけですから。
― 三浦さんをそうした命がけの冒険に駆り立てるものは何なのでしょうか。
未知の体験への好奇心が僕を興奮させるのです。また、大きな目標を持つことは、達成したときはもちろん、日々の小さな努力にも喜びを与えてくれます。さらに、その目標が時代のニーズにあっていれば、多くの方が共感し、応援してくれるのだと思っています。冒険にも時代のニーズがあり、僕が1970年にエベレスト南壁で滑降したときは日本が世界にチャレンジしていた時期でした。今は高齢社会です。年齢の限界は超えられるのだと思っていただけると嬉しいですね。
Text=千葉望 Photo=橋本裕貴
After Interview
次々に「世界で初めて」つまり「比類なきユニークさ」を実現するために大切なのが、目標に向けて着実なマイルストーンを設定する計画力と、「できない理由」にとらわれず、「どうしたらできるか」に思考を転換する力だ。よく考えると、これはまさに登山家のマインドセットではないか。三浦さんの人生そのものが、登山と相似形なのだ。
83歳にしてなお、三浦氏の人生はまったく「余生」などではなく、さらなる高みを登撃(とうはん)する途上なのだった。「次は90歳でエベレスト」とおっしゃるだけに、日々の努力の仕方も、科学の力など役に立つものを使いたおすやり方も、半端ではない。
三浦氏の強い眼差しは、私たちに問うている。あなたは、目標を持ち、その目標のために日々一歩ずつ前進していると胸を張って言えるのかと。
聞き手=石原直子(本誌編集長)