最低賃金は賃上げや雇用に影響するか 小前和智
前コラム「最低賃金に効果はあるのか」では、最低賃金の重要性が増してきていることや、日本で最低賃金に注目が集まる背景についてみてきた。本コラムでは、前コラムと同様に、パートタイムやアルバイトなどの非正規雇用者であり、かつ時給で働く人々を対象として、最低賃金が賃上げや雇用に及ぼす影響をみる。
まずは、最低賃金の引き上げが賃上げに及ぼす影響について分析しよう。図1は、時間あたり賃金(注1)50円ないし100円刻みで雇用者を区分し、最低賃金の引き上げが各区分の雇用者の昇給率にどの程度影響を受けたかを示した。図の数字の大きさは、2015~2021年の期間に最低賃金1%の上昇に対して時間あたり賃金が何%上がったかを示している。統計的に関係性が認められる場合には緑色に、認められない場合には灰色に塗られている。
図1:最低賃金1%引き上げに関連付けられる昇給率(最低賃金に対する弾力性)
出所:「全国就業実態パネル調査(JPSED)2016~2022」
注:脱落ウエイト(xa17_l16, xa18_l17, xa19_l18, xa20_l19, xa21_l20, xa22_l21)を使用
対象:非正規雇用かつ時給で働く人で、翌年も同じ企業で就業継続した人
制御変数:当年の時間あたり賃金階級、当年の都道府県別失業率(年平均)、翌年の都道府県別失業率(年平均)、調査年
最小二乗法の推定によって得られた係数を掲載 有意水準 * p < 0.1, ** p < 0.05, *** p < 0.01
最も左端の、最低賃金よりも低い時間あたり賃金で働いていた雇用者は3.1%上昇と、かなり急激に昇給している。この層の多くが実際に最低賃金未満で雇われていたため(注2)、違法状態を解消しようとした事業主が最低賃金の引き上げ以上に昇給させた結果かもしれない。
最低賃金との差が0~49円の層でも1.2%ポイントの昇給となっている。最低賃金近傍の雇用者では、最低賃金の引き上げ以上に賃上げが実施されていることがわかる。さらに、最低賃金からの乖離額が200円未満では、概ね0.6%ポイント以上の昇給につながっている(ただし、100~149円の層では統計的に有意ではなかった)。この統計的に有意な範囲は、時給で働く非正規雇用者(本コラムの分析対象)の6割弱(2021年時点)に相当する。
それでは、最低賃金の引き上げは良いことだけなのだろうか。実は、最低賃金の引き上げが雇用の喪失につながるとの主張も存在する(注3)。たとえば、最低賃金によって賃上げが必要になるのであれば、企業としては賃上げが必要な層を中心に人員削減を行う可能性もある。そこで、最低賃金からの乖離額と、解雇や雇止めといった会社都合退職の発生確率との関係について分析しよう。
図2には、区分ごとの雇用者の会社都合退職の発生率を比較できるよう示している。最低賃金からの乖離額が200円未満の層では、最低賃金が賃上げに直接的に影響を及ぼさない層(最低賃金との差が400~999円)と比較して、会社都合退職の発生率が0.28~0.46倍低い。
出所:「全国就業実態パネル調査(JPSED)2016~2022」
注:脱落ウエイト(xa17_l16, xa18_l17, xa19_l18, xa20_l19, xa21_l20, xa22_l21)を使用
対象:非正規雇用であり、かつ時給で働く人
制御変数:最低賃金引き上げ率(非有意)、当年の都道府県別失業率(年平均)、翌年の都道府県別失業率(年平均)
ロジットモデルの推定によって得られたオッズ比を掲載
有意水準 * p < 0.1, ** p < 0.05, *** p < 0.01
本コラムでは、最低賃金の引き上げによって賃上げがなされるのか、また会社都合退職が発生しているのかを確認してきた。最低賃金の近傍の時給で働く雇用者を雇っている企業は、法律違反にならないように賃金を引き上げる必要がある。実際に、最低賃金からの差が200円未満の層は最低賃金の引き上げに連動して賃上げが実施されている。他方で、賃金を引き上げる負担を嫌って、最低賃金に近い労働者を会社都合で退職させるようなことは起きていないようである。
本コラムの分析には留意点がある。本コラムでは時給で働く正社員以外の雇用者のみを分析対象としているが、雇用への影響をみるには、対象としなかった正社員や月給で働く層と併せて分析する必要がある(注4)。また、最低賃金と関係の深いほかの制度との補完的な関係も議論されるべきだろう。さらに、最低賃金の純粋な影響を抽出することが難しいため、より精緻な分析モデルで多角的に実証される必要がある(注5)。
最低賃金をめぐる課題は、複雑で難しい。一つの研究ですべてが明らかになることはない。他方で、生活に直結する雇用や賃金の問題だけに、データに基づいた国民的な議論を可能にするよう、研究の蓄積が一層求められる。
注1:前コラムと同様に、時給額を「時間あたり賃金」とし、以降、同様の記載とする。
注2: 本コラム図1と図2の最左部分の棒グラフは、雇用者自身の住んでいる都道府県で設定された最低賃金よりも低い時間あたり賃金で働いていることを示している。実際に違反している場合もあるが、居住地から他県へ移動して就業している場合や最低賃金未満で就業することが特例で認められる場合があるため、これらのすべてが法律違反に該当するわけではない。
注3: 図1の分析は、少なくとも連続する2年間(t年、t+1年)同じ会社に勤めていた者を対象として、t年からt+1年にかけての昇給率と最低賃金の引き上げとの関係を分析した。したがって、t年に勤めていた会社をt+1年に辞めた者は分析に含まれていない。もし仮に、最低賃金の引き上げによってその近傍で働く雇用者が退職を余儀なくされているのであれば、最低賃金の引き上げは良いことずくめとはいえない。
注4: たとえば、図表2の結果を以って、最低賃金の引き上げが雇用の減少につながらないとは判断できない。本コラムの分析対象者のなかで相対的に比較すると、時間あたり賃金の低い層が相対的に会社都合退職していないことが観察されたに過ぎない。たとえば、Ohta and Komae(2022)においては、労働市場の状況によっては最低賃金の引き上げが求人数を減少させることを示しており、「雇用への影響」をみるには様々な対象への影響を分析する必要がある。
注5: 実際のところ、最低賃金の影響を正確に分析しようとすることはかなり難しい。最低賃金が景気や労働市場の状況を踏まえて引き上げられているからである。裏を返せば、最低賃金が賃金上昇に及ぼす影響を測るには、最低賃金以外の要素が及ぼした影響を取り除かなければならない。これが難しく、現在でもなお経済学における大きな論争となっている。
参考文献
- Ohta, S and Komae, K(2022)” Vacancies, Job Seekers, and Minimum Wages: Evidence from Public Employment Placement Service Data” Keio IES Discussion Paper Series, DP2022-004.
小前和智(研究員・アナリスト)
・本コラムの内容や意見は、全て執筆者の個人的見解であり、
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